革聖と呼ばれる行円上人が開いた古刹「革堂行願寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

革聖と呼ばれる行円上人が開いた古刹「革堂行願寺」を訪ねる

2023年9月3日 訪問
京都御所の少し南、多くの人々が行き交う街中に、西国三十三所巡礼をする巡礼者で境内がにぎわうお寺、行願寺があります。
革堂(こうどう)と親しみをこめて呼ばれる行願寺を、夏の日差しが残る9月上旬に大学生達が訪問し、副住職 中島惠海師にお話を伺いました。

「革聖」と呼ばれた1人の僧侶により歴史が始まる。

「行願寺の歴史は今からおよそ1000年前、寛弘元年(1004)に始まりました。行願寺を開いたお方は行円上人という方です。この行円上人というお方は、当時の人々から大いに慕われていたそうで、行円上人にちなむある逸話から「革聖」と呼ばれていたそうです。その革聖のお堂ということで、行願寺は「革堂」と呼ばれるようになりました。」

「行円上人が革聖と呼ばれるようになった理由、それは行円上人が僧侶になる前、狩人であったときのお話が由来です。野山をかけ狩りをしていた上人は、ある日、鹿を見つけ射止めました。その射止めた鹿に近づくと、息も絶え絶えなその鹿が子鹿を産み死んでいく姿を目の当たりにしたそうです。その一部始終を見ていた上人は、自分がしていた動物を殺めていた行為を悔やみ仏門に入りました。仏門に入られた上人は、このことを忘れないように殺してしまった母鹿の革に千手陀羅尼を記し、衣として常に身にまとったそうです。革を身にまとう聖ということで、人々に「革聖」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。」

この行円上人が身にまとったという革の衣。なんと今日まで行願寺に大切に守り伝えられてきているそうです。その写真が記載されているパンフレットを見た大学生たちからは、写真越しでも伝わる衣の存在感に感嘆の声があふれました。

行円上人が造立した無数の手と眼を持つ十一面千手千眼観音像

「革聖と呼ばれた行円上人は、あるとき賀茂の地にあった霊木を譲り受けたそうです。上人はその霊木を用いて観音さまを彫りました。その時のお像が行願寺のご本尊としておまつりされています。」

「ご本尊は秘仏のため通常お姿を直接拝することはかないませんが、実は行願寺のご本尊、かなり珍しいお姿をしているのです。そのお姿をお話しする前に、堂内中央におまつりされているご本尊のお前立ち像、千手観音立像に注目してください。」

中島副住職のその言葉に促され、大学生たちの視線は堂内中央にたたずむお像に集まります。
「あちらのお像の頭部には十一の頭、そして体を囲むように複数の腕が伸びています。このようなお像を十一面千手観音さまと呼びます。ご本尊のお前立ち像であるので、ご本尊も同じような姿をしていると思いますが、大きく異なっているのです。それではどこが異なっているのでしょうか。お前立ち像とご本尊の大きく異なる部分、それは手の数です。通常千手観音さまのお像といえども、千の手を実際に表現されているお像はほとんどありません。しかしながら、ご本尊はお前立ち像のように体を囲むように伸びる腕の表面に無数の手がびっしりと表現されています。それはあたかも魚の鱗のような様子です。いつか厨子の扉を開くことがありましたら、ぜひお参りにおこしください。」

本堂の天井に広がる本堂建立の願い

ここで、1人の学生から「行願寺はもともとこの場所に創建されたのでしょうか」と質問がとびます。

「行願寺は、もともとこの場所にはありませんでした。もとの場所のヒントになるものが、山門前にあります。本堂を正面に見て、山門の左手の石柱には「一条こうどう」と記されています。この石柱が示すように、もともと行願寺は一条通りの近く、一条小川(上京区)に創建されたといいます。しかしながら、何回も災害や戦乱に巻き込まれ伽藍の場所を移しました。現在の地に伽藍を構えたのは、今からおよそ200年前に発生した宝永5年(1708)の大火の後のことだと伝えられています。現在の本堂は、文化12年(1815)に建立された建物となっています。境内に残る他のお堂もその時期に整備され、諸堂のうち本堂と鐘楼が京都市の文化財に指定されています。」

ここで本堂の天井を見てくださいと促されます。
そこには、精緻に彫られた花々や鳥、動物たちの姿がありました。

「本堂の天井には現在の本堂を建立する際に助けていただいた方々が奉納した彫刻が飾られています。彫刻のそばをよく見てみると、短冊のようなものが横にあることがわかると思います。そこには寄進した方々の名前が記されています。それぞれの彫刻ごとに別々の名前が記されているので、このご本堂がたくさんの人々の力を合わせて建立されたことを今に伝えているものです。」

天井を見上げ、知っている花や動物を見つける学生たちの目は光り輝いていました。

本堂におまつりされる他のお像や人々

「ご本尊がおさめられている巨大な厨子の両脇には、西国三十三所巡礼の各札所ご本尊さまのお姿を写したお像がおまつりされています。それぞれのお像ごとに様々な表情、様々なお姿をみせているところが魅力だと思います。」

「本堂の中央から右に視線を移すと、大きなお地蔵さまに気がつくと思います。迫力のあるこちらのお像、実は頭部と体の部分が異なる時代に造立されたと考えられています。それぞれいつの時代に造立されたかは明確にわかっているわけではありませんが、頭部と体部の接続部分を隠すように、いつのころからか帽子を身につけていただいています。そのお隣には西国三十三所巡礼を再興した花山法皇のお姿をおまつりしています。」

「正面向かって左手には、行願寺にゆかりのあった方々のご位牌と元三大師のお姿をおまつりされています。中には、德川将軍家のご位牌もあるようですが、行願寺とどのようなご縁があったのか詳しくはわかっていません。歴史のあるお寺ですが、同時によくわかっていないことも多いお寺です。しかしながら、こちらにおまつりされているたくさんの方々のご位牌が示すように、たくさんの人々が行願寺とご縁があり、行願寺を助けていただいたのだと思います。そうしたみなさんのおかげで今の行願寺の姿があるのだと思います。」

(文・立命館大学大学院2回生)

学生の感想

今回の訪問では、本堂の天井に彫刻された精緻かつ美しい彫刻の数々に心を奪われました。様々な動物や草花の姿は、まさに今すぐ動き出しそうな印象を受けるほど立体感に富んでいました。この彫刻が1つ1つ別々の方々が寄進したことを伺い、そうしたみなさんの願いや祈りがこもっているからこそ、時を超え私たちの心を動かすのだと思いを馳せました。
革堂行願寺
〒604-0991
京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17