1200年以上の歴史をもつ都内有数の古寺「禅英山宝泉寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

1200年以上の歴史をもつ都内有数の古寺「禅英山宝泉寺」を訪ねる

2023年6月24日 訪問
たくさんの学生で賑わう早稲田の地。この地の移り変わりを1200年程前から見守っているお寺があります。

夏の晴れやかな空のもと、宝泉寺を学生達が訪問しました。

歴史の重厚さとモダンな景観が交差する宝泉寺

「本日はようこそお越しくださいました。早速ですが、参道をあがって本堂へ向かいましょう。」

大塚ご住職の案内で参道を進んでいくと、白を基調としたモダンな本堂と背後に広がる早稲田大学の建物が並び立っていました。

「手前にある建物が宝泉寺の本堂です。現在の本堂は昭和41年に建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。後ろにある早稲田大学の建物と調和するようにこのようなデザインになったと聞いています。お寺というと瓦屋根の木造の建物を思い浮かぶことが多いでしょうから、この景観に驚く方も多いのではないでしょうか。」
参道を登っていった先に現れる景観に圧倒されつつも、モダンな建築が織りなす独特な雰囲気のかっこよさに、しばらくの間見とれていました。
「宝泉寺は、今から1200年ほど前の810年頃に開かれたとも、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷によって900年代半ば頃に開かれたとも伝えられています。いずれにせよお寺が開かれてから1000年以上の歴史がある古いお寺です。古いお寺ですので、今までにたくさんの戦乱に巻き込まれてきましたが、その都度復興がなされてきた歴史があります。例えば、江戸の名所が記された『江戸名所図会』には、ご本尊は伝教大師最澄さまが彫ったと伝わる薬師如来像であったと記されていますが、いくつもの天災や戦争を乗り越えていく中で焼失してしまいました。しかしながら、平成4年に現在のご本尊が復興され新しい歴史が紡がれています。」

「また、江戸時代の宝泉寺は隣に位置していた水稲荷神社の管理を任されていました。水稲荷神社には、当時の江戸で有名であった『高田富士』という富士塚(ふじづか、富士山の石を使って作られた模造の富士山)があったといいます。富士山に登ることが難しかった当時の人々から絶大な人気を集め、たくさんの方々がお参りに来たといいます。この高田富士、1963年ころまでには現在の早稲田大学構内にありましたが、現在水稲荷神社とともに甘泉園公園に場所を移し現存しています。是非そちらもお参りしてみてください。」
藤原秀郷ゆかりの毘沙門天や高田富士へお参りする人々で賑わっていた宝泉寺。実は、他にも宝泉寺に人々が集まった理由があるとご住職はいいます。
「実は江戸時代、宝泉寺はあることを行うお寺として江戸で有名だったそうです。そのあることは時代の流れとともに実施されなくなりましたが、今年の5月に復興しました。そのときに使った道具が本堂に置いてあるので見に行ってみましょう。」

江戸で大人気、宝くじのルーツ富くじ

ご住職に案内され本堂の内部に入ると、ご本尊の薬師如来坐像の前に『富』と大きく書かれた煌びやかな箱と長い棒があります。

「この大きな箱と長い棒は、宝くじのルーツとも言われる富くじ(富つき)を行うときに使う道具です。宝泉寺は富くじが行われる場所として有名でした。『富興行一件記』という富くじに関する書物によると、宝泉寺が江戸で最も古く富くじを行っていたそうです。簡単にですが、どのように行うのかやってみましょう。」
「まず、この大きな箱の中に番号が記された木札を入れて、棒でかき混ぜます。そして、棒の先の尖った金属部分で、箱の中の木札をつきます。そのついた木札に記された番号の人が当たりということになります。このように当たりの木札を棒でつくことから、富つきとも呼ばれるのでしょうね」

ご住職による富くじのデモンストレーション、そして富くじに使う大きな箱や棒の煌びやかさに学生達は興味津々に食いついていました。
「今年の5月に実施したときは多くの方々に楽しんでいただきました。途絶えてしまっていた富くじですが、宝泉寺の魅力としてこれからも行っていきたいと考えています。」

新しい時代の魅力交流に取り組む大塚ご住職

富くじに使う大きな箱の隣に目を移すと、様々な機材が設置してあることに気がつきます。

「毎朝7時から行う朝のお勤めを、InstagramとYouTubeで配信しています。これらはそのときに使っている機材になります。私自身も驚いていることですが、多くの方々に配信を見ていただいているようで、この配信によって広がる交流の輪もありました。中には、直接お会いした時に、あたかも芸能人に会ったかのようにお話ししてくださる方もいます。このような配信をはじめて、今まで宝泉寺に接点のなかった方々との交流を深めることができ、うれしく思っています。」


また、宝泉寺の新しい歴史を紡いでいくために、これからも挑戦を続けていくと大塚ご住職はいいます。
「私は、宝泉寺をいつでも皆が立ち寄ることができ、交流できる場所にしたいと考えています。お寺が開かれてからいつの世も、宝泉寺は毘沙門天さまや高田富士などのご縁により、たくさんの方々が集まる場所でした。いままで受け継がれてきた宝泉寺の歴史や文化を、学生や地域の方々、宝泉寺とご縁のあった皆さんとともに紡いでいきたいと考えています。」

(文・立命館大学大学院2回生)

学生の感想

宝泉寺を訪れて真っ先に“調和”という印象を抱きました。坂になっている参道を登りきると見えてくる、開けた空間に本堂と早稲田大学の校舎群が並びたち、その両者が見事に調和している景観は、“かっこいい”という言葉がピッタリと当てはまるのではないでしょうか。
本堂を見て最初に感じた“調和”という印象は、ご住職から伺った宝泉寺の歴史からも強く感じました。創建されてから、ご本尊だけでなく、毘沙門天など様々な仏がおまつりされ、江戸時代には富士山信仰の一大拠点になり、たくさんの人々が集う場所になったとお聞きました。1000年以上の歴史のなかで、いろいろな信仰や考え方を受け入れ、それらが調和されていくということが、宝泉寺が持つ魅力の一つだと感じました。
禅英山宝泉寺
〒169-0051
東京都新宿区西早稲田1丁目1-2