播州薬師霊場第2番「医王山與楽寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

播州薬師霊場第2番「医王山與楽寺」を訪ねる

2023年6月16日 訪問
神戸市の西部に與楽寺は伽藍を構えています。創建当初の伽藍は戦乱により焼失してしまったと伝えられておりますが、たくさんの人々の手により復興され、お寺は現在まで守り伝えられてきました。

日差しが夏めいてきた6月中旬、学生5名が與楽寺の甲斐健盛(かいけんじょう)ご住職にお話をうかがいました。

奈良時代に開かれた、七佛薬師堂のひとつ

「與楽寺は、今からおよそ1300年前、霊亀2年(716)に開かれたお寺になります。お寺を開いたのは、藤原宇合(うまかい)という人物です。藤原宇合という人は、藤原不比等(ふひと)の息子になります。藤原不比等は藤原鎌足の息子ですので、藤原鎌足の孫になる人物だと言えばわかりやすいでしょうか。


当時政治の中心にいた藤原宇合は、現在の兵庫県南西部にあたる播磨国(はりまのくに)の明石郡に太山寺(たいさんじ)というお寺を建立します。それは、お父さんである藤原不比等の兄である定恵(じょうえ)の菩提を弔うためでした。藤原宇合は太山寺を建立するだけでなく、その太山寺の周りに薬師如来をおまつりする6つの薬師堂を建て、7体の薬師如来を太山寺とあわせて七佛薬師としておまつりしました。このときの6つの薬師堂の一つが與楽寺であると伝えられています。


お寺の歴史と同様に、本堂正面におまつりしているご本尊・薬師如来像の歴史も古く、お寺には行基菩薩が彫ったお像であると伝わっています。ご本尊は秘仏ですので普段はお厨子の扉は閉じていますが、特別な行事の際に御開帳を行います。」

お寺に伝わる清麗な阿弥陀如来像

「創建されてから1300年以上の歴史がある與楽寺ですが、お寺の中世頃の様子はあまりはっきりとしません。それは、お寺が戦乱に巻き込まれ、本堂などの伽藍だけでなく当時の古文書や記録がほとんど残っていないからです。
そのようななかでも、中世の與楽寺の痕跡を残す文化財が伝えられています。今本堂に掛けられている掛け軸もその一つです。このお軸は阿弥陀来迎図といい、阿弥陀如来を信仰する人々の前に阿弥陀如来が姿を現し、人々を極楽浄土へ導く姿を描いています。浄土信仰の流行に伴い、鎌倉時代頃からこのような絵画が多く描かれました。このお軸も鎌倉時代から南北朝時代ころに描かれたものだとされていますが、同時代の他の来迎図に比べて特徴的な部分があります。
阿弥陀如来像の頭部に注目してみてください。頭部の螺髪と呼ばれる部分が描かれているのではなく、立体的に浮き出ていることがわかると思います。みなさん、この部分に何が使われているかわかりますか?」
学生達は興味津々に掛け軸に顔を近づけます。
「実は髪の毛が縫い込まれているのです。それだけでも驚きですが、この髪の毛はこのお軸が描かれた当時の人々の髪の毛であるとされています。このお軸で使われている表現のように、人の髪の毛を糸として使用する表現を『髪繍(はっしゅう)』というそうです。」

数百年以上も前の人物の髪の毛が残っていることに学生達からは感嘆の声がもれます。截金(きりかね、細く切った金箔で文様を表現する技術)や金泥で精緻に描かれた阿弥陀如来像は、日の光にあたりキラキラと光り輝き、あたかもこの場に姿を現したような感覚を覚えました。

江戸時代の書物に出会う與楽寺文庫

與楽寺には、たくさんの書物が伝わっています。古いものでは江戸時代前中期頃に発刊されたものもあります。

「何年か前、境内にある蔵の整理を行いました。すると、古い書物が入ったダンボール箱がたくさん見つかりました。そこで、見つかった書物を整理し、どのような書物が與楽寺に伝えられてきたのかを調べました。見つかった書物の一部を本堂脇に置いています。どうぞ手に取ってみてください。」

ご住職に促され、学生達は思い思いに書物を手に取りパラパラとページをめくってみます。

「こちらの書物は『山門建立秘決』といい、いまからおよそ300年前の寛文9年(1670)に発刊された書物になります。大まかにいうと、比叡山延暦寺の歴史や逸話がまとまられている本になります。みなさんが知っている逸話も記載されていると思いますので、探してみてください。」

「この『山門建立秘決』、おもしろい部分があります。最後のページを開いてみてください。」

最後のページを開いてみると、なんと、墨で描かれた絵がでてきました。
「何を描いたか、誰が描いたのか、詳しくはわかっていません。みなさん何の絵に見えますか?本の内容をもとにして描いたのか、はたまた関係ない絵を描いたのか今となってはわかりませんが、この絵をみると昔の人が少し身近に感じるのではないのでしょうか。」
何を描いた絵なのか想像の翼を広げていると、また新しい本を持ってきていただきました。

「こちらの本は今からちょうど百年前、伝教大師千百年大遠忌を記念して大正時代に作られた図録です。昨年、千二百年大遠忌を記念して特別展が開かれましたが、百年前の展覧会と違いはあるでしょうか。」

百年前の図録を傷つけないように慎重にページをめくりながら、学生達は掲載された写真を食い入るように見ていきます。昨年の特別展で展示されていた文化財もあれば、展示されていない文化財もあります。昨年の特別展で見た数々の文化財が百年前の展覧会においても同様に展示されていたと思うと、この百年間文化財が大切に守り伝えられてきたことを肌で感じることができ、先人達がしたように百年後の人々に守り伝えていきたいと感じました。

子供から大人まで幅広い層が集う與楽寺

「先程紹介した書物は、どなたでもご覧いただけるように本堂の脇においています。お声がけいただければ、ご自由に閲覧できるようにしています。」

ご住職はTwitterなどのSNSを活用して、與楽寺に伝わる書物や文化財について情報発信を行っています。

「ここにある書物などの情報をSNSに載せています。SNSのおかげで文化財の詳細がわかることもあります。先程ご紹介いただいた阿弥陀如来来迎図やお釈迦さんの涅槃を描いた涅槃図もSNS上での交流から調査していただいたこともありました。」

境内を一通りご案内いただくと、子供達の賑やかな声が境内にあふれてきました。ご住職によると、お寺で書道教室を行っているそうです。また、年に数回、写経会を開いているそうです。写経会には地域のみなさんだけでなく、遠い地域からも来てくださるそうです。
與楽寺には幅広い世代の人々が足を運びます。こうした人々の存在とお寺に対する親しみや愛着が、戦乱を乗り越えお寺が守り伝えられた原動力だったのだろうかと、心に抱きながら、與楽寺を後にしました。

(文・立命館大学大学院2回生)
医王山與楽寺
〒651-2117
神戸市西区北別府2-12-1