延岡の町に伝教大師の魅力を伝え続ける「善正寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

延岡の町に伝教大師の魅力を伝え続ける「善正寺」を訪ねる

2023年3月25日 訪問
宮崎県延岡市山下町の今山の中腹に位置する善正寺は、養老三年(719)に開かれた蓬莱山金仙寺から天正十五年(1587)に分かれたとても古い歴史をもった寺院です。伝教大師最澄が大好きで、その魅力を広めていこうとする方々の熱い思いが伝わるご寺院でした。

ご案内いただいたのは、野中玄雄ご住職です。
「このお寺の名前は天台宗蓬莱山善正寺といいます。山号である蓬莱山というのは、『徐福伝説』から名付けられた名前です。日本全国に蓬莱の島に徐福が不老長寿の薬草を取りに来たとされる『徐福伝説』が伝わっています。その一つがこの延岡で徐福が今山の一角に舟をつないで不老長寿の薬草を求めた伝説によります。 このようにお寺の名前や山号というものは、縁起の良い文字を用いています。お寺はお葬式やご法事など悲しいときにいらっしゃることが多いと思いますが、いらっしゃった方に元気を与え、ご先祖さまや神仏から力をもらって帰っていただくのが本来の役割かと思います。」

山門

人の背丈ほどの大きな石造の仁王様が左右を守られています。
 「金剛力士の石像は240年ほど前に造られた荒削りの仁王様です。石工の師匠がこの像の制作途中に志半ばで亡くなられてしまい、弟子がその後を継ごうとしたのですが夢枕で手を加えるなと告げたため荒削りのままとなっております。来るときは右の仁王さんに触り、帰るときに左手の仁王さんに触るとご利益があるとされています。」






本堂

「今の本堂は昭和五十五年に境内伽藍大改修の時に建て直したものです。落慶法要には第253世山田恵諦座主猊下のご親修をいただき、比叡山の高僧方にもお越しいただきました。本堂の様式は、比叡山根本中堂と同じ天台様式が用いられています。中に谷間があり奥にお堂があるため、お参りいただいた方の目線がご本尊さまと合うようになっています。私たち僧侶は仏さまの気持ちとなるために修行をしなければならないため、谷間の下で拝むようにしています。
実は檀家の総代会長が伝教大師様の大ファンでした。伝教大師様の地道な努力を自分の生きざまと重ね魅力を感じられていたそうです。そのため『本堂を建て直すならぜひ天台様式で』という熱い思いを檀家の皆さんへ伝えて下さり、このように立派な本堂が完成しました。文字通り伝教大師さまの魅力が1200年経った今でも善正寺の大きな力となっています。」
「伝教大師さまの魅力を伝えるうえで最も重要としていることが『一隅を照らそう』という言葉であると私は思います。
この言葉をいつも目にしてもらい興味を持ってもらうために『一隅を照らそう』の文字の垂れ幕を本堂にかけています。また反対側には『感謝と誓いの言葉(ご回向)』という垂れ幕を掛けています。『願わくばこの功徳をもってあまねく一切に及ぼしわれらと衆生とみなともに仏道を成ぜんことを 合掌』というお経の最後に唱える誓いの言葉です。これがまさに仏教の根本だと思います。」

本堂内陣

特別に内陣へお通しいただきました。
「善正寺のご本尊さまは極楽浄土を司る阿弥陀さまです。その両脇に脇仏としてお釈迦さまとお薬師さまをお祀りしています。」

お厨子へ向かって右側に『B29』と書かれた卒塔婆や外国人の写真が置かれています。
「B29の供養と書かれているでしょう。延岡は太平洋戦争中に激しい爆撃に遭い、一晩のうちに300人余りの人が亡くなりました。地上からも高射砲で応戦する中でアメリカの搭乗員にも犠牲があったそうです。その方の亡骸がこのお寺に運び込まれすぐに埋葬したそうです。その後アメリカからご遺族が善正寺にいらっしゃって亡骸を引き取り、今でもそのご遺族との交流が続いて、今でもこの方が亡くなった5月5日にアメリカ軍と日本人の犠牲者の慰霊を行っています。」

今山大師・大師堂

続いて、今山大師の大師堂にご案内いただき、弘法大師像をお祀りしているお堂を、何故天台宗の善正寺さんが管理されているのかの理由をお話しくださいました。
「天保十年(1839)正月、延岡の村々は疫病に苛まれていました。延岡の村々では元来守護大師として弘法大師をお祀りしており、東海村の満石幸蔵は弘法大師像を皆が一緒に拝むことで疫病を封じることができるのではないかと考えました。
そこで満石幸蔵は息子の治助を連れ四国八十八ケ所をお遍路し、その後に高野山で弘法大師像を請けて戻り今山の一角に庵を設けお祀りしました。そうすると疫病が止んだため、疫病封じのお大師として信仰されるようになり、弘法大師の命日である3月21日(旧暦)にお祭りが開催されるようになりました。」

「お大師の像は大正7年まで村の管理でしたが、多くの人がお参りに来ていたため、宮崎県知事からの指導によって管理者を置くことが求められました。そこで村人の勧めによって、天台宗善正寺の住職が代々今山大師の住職を兼ねることになりました。地域から求められたお大師像の管理ですから、地域の方々と協力しながら、みなさんが楽しむ企画や喜ぶ企画が何か考えながら実行しています。」

「弘法大師像(本尊)は通常は公開しておりませんが、よろしければお参り下さい」
とおっしゃってお厨子を開けてくださいました。
今山大師では毎年4月に、九州三大春祭りの一つである延岡今山大師祭が盛大に行われます。
「コロナの前は毎年10万人以上の参拝客でにぎわっていましたが、ここ数年はあまり盛大には行えないままでした。今年は4年ぶりに通常通り行うことになりましたので、以前の賑わいが戻るのではないかと思っています。当然、大規模祭ですので、地域一体、宗派の枠も超えて協力し合いながら開催いたします。もちろん、いろいろと苦労もありますが、延岡の方言で『いっちゃが』という言葉があります。これは『いいんだよ、いいんだよ』という意味で、相手を受け入れる、相手を許してあげるといった言葉です。いわゆる『お接待』の心です。皆さんと共に守り続けることができているのは、この『お接待』の心でうまくいっているのだと思います。」

参加大学生の感想

善正寺では今回特別に近くでご本尊をご拝顔させていただきました。ご本尊は口角が上がり、目も弓なりで笑っているように感じました。この像の笑顔から自分たちも自然と笑顔となり、気持ちが沈んでいたとしても明るい気持ちへとなるきっかけとなるように思いました。ご本尊から、ご住職の元気になってもらうことがお寺の役割であるという意味が分かったようにも思いました。
本堂の改修のお話や位牌堂のお話を聞いてとても檀家の皆さんとの距離感が近く、協力体制がしっかりとしているように感じました。ご住職の人柄や思いはもちろんのこと、先祖代々から続いてきたお寺と檀家の繋がりの根底に、伝教大師最澄のことを思い伝えようとするお寺の方々と、それに共感し最澄の大ファンとなった檀家の皆さんの最澄さまへの崇敬があるからこそ、今にも伝わる強い信仰となっているのだと感じました。

 延岡大師祭りの写真を見せていただいたのですが、写っている人全員が笑顔で幸せそうな顔をしていました。それには古くから現代にいたるまで続く延岡の人々の今山大師への厚い信仰はもちろんのこと、『いっちゃが』精神のもとそれを支える天台宗の教えの懐の深さが生んだ結晶が今山大師であり、大師祭りであるのだと感じることのできた訪問となりました。
蓬莱山善正寺
〒882-0055
宮崎県延岡市山下町3丁目4088