地域に開かれ人々が集う「萬福寺」を訪ねる
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

地域に開かれ人々が集う「萬福寺」を訪ねる

2023年3月26日 訪問

 地域の人々がたくさん集うお寺が、宮崎県国富町にあります。そのお寺の名前は犬熊山萬福寺(けんゆうざんまんぷくじ)。今回、人々が集う萬福寺の魅力を永井義寛ご住職にお聞きしました。

萬福寺の歴史

萬福寺は今からおよそ1200年前の延暦22年(803)に開かれたと伝えられているお寺です。お寺の山号である『犬熊山』という言葉には、お寺の創建に関わる逸話が隠されています。
「お寺の創建よりも昔、神話の時代、この地に山幸彦(やまさちひこ、火遠理命・彦火火出見尊)が家来とともに狩りに訪れました。狩りの途中、お昼休憩をしていると、突然一緒につれてきた犬が山幸彦に向かってワンワンワンワンと吠え続けます。必死に落ち着かせようとしても逆効果、今にも噛みつかんばかりの様子になってしまいました。どうしようもなくなった山幸彦は、この犬を弓で撃ち殺してしまいました。犬が激しく吠えていた理由がわからぬまま後ろを振り向くと、大きな熊が山幸彦を今にも襲おうとしているではありませんか。山幸彦は手にしていた弓矢で熊を成敗し、先程自分が殺してしまった犬が自分を守るために激しく吠えていたことに気がつきます。このことに心を痛めた山幸彦は、弓と矢を3つに折り、犬と熊の遺骸とともにこの地に埋葬したと伝えられています。この逸話から、現在お寺が位置する地域を『犬熊山』と呼ぶようになりました。」

時は流れ山幸彦の逸話が残るこの土地に、唐へ留学するために九州に滞在していた最澄さんが訪れます。
「この逸話に心を打たれた最澄さまは、犬と熊が成仏できるようにこの場所に『三弓堂(みつゆみどう)』というお堂を建立しました。この三弓堂は現在も伝えられており、お薬師さまがおまつりされています。この萬福寺は三弓堂の回向堂として建てられたと伝えられています。そのため、萬福寺のご本尊は阿弥陀さまがおまつりされています。」

ご本尊

ご本尊の阿弥陀如来坐像と脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像は現在国の重要文化財に指定されています。
阿弥陀三尊がおまつりされている収蔵庫へ足を進めます。
「こちらにおまつりされている阿弥陀さまは、鎌倉時代の寛喜4年(1232)に澄圓(ちょうえん)さんの勧進で、仏師の聖賢(しょうけん)さんによって造立されたと墨書が残されています。おそらく、天台宗寺院のうち最も南に位置している重要文化財のお像だと思います。この阿弥陀さまは、お正月と境内に梅の花があふれる2月にお声がけをいただいた方に御開帳しています。」
まるでいまにも動きだしそうなほど、手足の先まで繊細に彫られています。阿弥陀さまの美しさに、しばらくその場を離れることができませんでした。

『まんぷく食堂』

阿弥陀さまに見とれていると、萬福寺の境内に地域の皆さんが集まってきました。この日は萬福寺で開かれるこども食堂、『まんぷく食堂』が開かれる日でした。まんぷく食堂は、永井ご住職や『まんぷくふくくる委員会』代表の金丸美保子さんが中心となり、みんなが気軽に集まり、誰もが安心して交流でき、悩みを気軽に相談できる地域の居場所を作ることを目指しています。

「お寺が今どのくらい地域のみなさんに目を向けているのか、愛されるような活動をしているのか、みんなの役に立てているのかどうかということを考えることが大事だと思っています。これから先の『地域の中のお寺』像を考えたときに、お寺が地域のみなさんの心の支えとなる場所になるように、自分ができることを行っていきたいと考えています。」
永井ご住職と一緒に活動している金丸さんは、「まんぷく食堂を通して、地域の子供達が様々なことを経験して豊かな心を育んで欲しい。また、子供のお母さん・お父さんたちが笑顔になれるような癒やしの場所になるように目指している」といいます。

萬福寺の境内を見渡すと、まんぷく食堂に来ている地域のみなさんがたくさんの笑顔があふれていました。みなさんの笑顔を見ていると、みなさんの温かさをお裾分けしていただいた気持ちになるとともに、自分たちも永井ご住職や金丸さんのようにできることを行っていきたいと思いました。

枯山水式庭園

最後に、枯山水の庭園を見渡せる広間に案内していただきました。
「庭園の中央にある梅の古木は樹齢300年くらいだと聞いています。2月になると枝一面に綺麗な花を咲かせてくれます。夏には新緑が見事ですし、季節によってまた違った美しさも見せてくれますよ。」

この広間では、庭園を見ながらヨガをおこなったり、お琴の演奏会を催したりしているそうです。
「この場所では非日常を無料で簡単に味わえるので、参加していただいた方にはとても喜んでもらっています。このような取り組みを通してお寺の玄関口を広げると、お寺が思い出の場所になってくれると、将来地域のみなさんがお寺を大事にしてくださるのかなと考えています。」



「最澄さまが残されたお言葉に『依身より依所』というものがあります。みんながそれぞれがんばろうとしても、それを発揮する場所や環境が必要だと思います。その発揮できる場所として自分たちが萬福寺を提供するためには、みなさんの善意を発揮できる場所として、恥じないような場所づくりをしていきたいと考えています。例えば、昨年金丸さんとともに国富町の地域防災士の資格を取得しました。仮に災害が発生したときに、他地域との情報のやりとりを双方向かつスムーズにできるようにしています。また、寺子屋を開いているので、災害時の動きを図上で考える図上訓練のワークショップを開催していきたいと考えています。天台宗にも防災士協議会があり、宗教的側面で地域のみなさんがあつまるだけでなく、地域のことを考え地域のためになる場所として萬福寺を盛り上げていきたいです。」

参加大学生の感想

永井ご住職のお話を聞いていると、「地域の中のお寺」を強く意識されていると感じました。どのようにしたら地域のみなさんに愛され親しみをもっていただけるのか、地域にとって役立つことができるのかを考え様々な活動を実践しているご住職の姿や萬福寺に集まるみなさんの笑顔をみると、自分たちもできることを行っていき、様々な人々との交流の輪を広げていきたいと感じました。
現在の日本のお寺の数は、コンビニエンスストアよりも多いとされています。そのほとんどが、観光名所になっている大きなお寺ではなく、街の中にあるお寺であり、その一つ一つのお寺を中心として人々が紡いできた歴史や文化があるのだと思います。しかしながら、街にあるお寺は人々の生活に物理的に近いといえども、檀家以外がお参りに行っていいのか、お坊さんに話しかけていいのかなどと 感じる方が多いと聞きます。このことが示すように、人々とのお寺との距離がますます広がっているため、地域やお寺を中心とした文化の伝承が難しくなるケースが多いと聞きます。萬福寺さんが行っている活動のように、お寺の入り口が広がり、様々な人々が集い交流の輪が広がると、これまでの伝統文化が受け継がれているだけでなく、新たな視点や要素が加わり層の厚い文化が紡がれていくのかなと、今回の訪問を通して感じました。
犬熊山萬福寺
〒880-1101
宮崎県東諸県郡国富町大字本庄2097