神話の歴史を未来へつなぐ「王楽寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

1000年の歴史を未来へつなぐ「王楽寺」を訪ねる

2023年3月26日 訪問

宮崎市内を眼下に望む丘の上に、竹篠山王楽寺はあります。神話の時代、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)や伝教大師最澄さんとの逸話を残し1000年以上もの歴史を持つ王楽寺の魅力を、永井義寛師にお聞きしました。

神話とのつながり

「ここ王楽寺は伝教大師最澄さまによって開闢(かいびゃく、お寺を開くこと)されたと伝わっています。また一説には、最澄さまの時代より少し前になる養老年間(717年~724年)頃にお寺が建てられていたとも言われています。この『王楽寺』というお寺の名前の由来は、神話の時代まで遡ります。」

「現在の宮崎県高千穂の峰に天孫である瓊瓊杵尊が降臨され、この竹篠山に来訪されたとき、『この場所は海まで見渡せて、日も良く当たる良い土地である。この場所に王の治める楽土を築きたい』と話されました。後にお寺が開かれるときに、このお話をもとにして『王楽寺』と呼ばれるようになったと伝わっています。」

王楽寺と神話の時代とのつながりは、お寺の名前だけではありません。
「王楽寺が位置するこちらの竹篠は、瓊瓊杵尊の子である山幸彦(やまさちひこ、火遠理命・彦火火出見尊)のご誕生の地とも伝えられています。また、瓜生野(うりゅうの)という地名は、第12代景行天皇がこの地を訪れたときに『よい瓜が採れる土地だ』と話されたことから、この土地が瓜生野と呼ばれるようになったとされています。」

このように日本の神様との接点が深いこともあり、1000年以上もの王楽寺の歴史の中では、神仏習合の時代が長く、王楽寺の住職が鵜戸神宮の別当寺の住職を兼ねていました。現在でも、毎年5月に鵜戸神宮で行われる別当宮司慰霊祭では法要を行い、毎年2月に行われる大祭にも参列されているそうです。

本堂

本堂の内部に目を向けてみると、神様とも仏様とも距離の近い神仏習合の影響が垣間見えます。
「竹篠山の長い歴史の中では、山岳信仰・修験道の一大拠点になっていた時代があったそうです。往時は12もの子院があるほど栄えていたと伝えられています。明確な理由は明らかではないですが、他のお寺では見られない本堂の造り、内陣が外陣に比べて高くなっているのは、竹篠山が山岳信仰の拠点として栄え、独自の文化を育んでいた名残なのかもしれません。」
本堂の内陣には、往時の竹篠山の繁栄を示すたくさんのお像がおまつりされています。
今回特別に内陣に入らせていただき、間近でおまいりさせていただきました。
たくさんのお像にお参りしながら本堂の中央に目を向けると、ガラス窓を通して本堂の後ろに大きな建物の存在に気がつきます。
「王楽寺のご本尊は薬師如来です。本堂正面に安置しているお像はお前立ちのお像で、檀家さんが彫られたお像です。ご本尊をはじめ、脇侍の日光菩薩、月光菩薩は国指定の重要文化財に指定されているため、本堂ではなく、現在は後ろに建つ収蔵庫にておまつりしています。ご本尊は1年に一度、毎年4月8日に行われる花祭りにて御開帳しますが、今回特別に御開帳いたします。」

ご本尊

胸を高鳴らせながら本堂裏手にある収蔵庫に足を進めると、扉の向こうに美しいお像が姿を現しました。
「ご本尊は最澄さまの作と伝えられていますが、学術的に調査をしたところ鎌倉時代に制作されたお像ではないかと言われています。一説では、いつの頃かお寺が火事で燃えてしまった際、最澄さまが彫られた平安時代のお像は一緒に燃えてしまい、その後に作られた鎌倉時代のお像が現在のご本尊だとも言われています。」
ご本尊をはじめ脇侍の日光菩薩、月光菩薩は金色に輝く美しいお姿をされていますが、波瀾万丈な歴史を乗り越えてきたそうです。
「明治時代のはじめ、神仏分離令が出された際、日本全国で廃仏毀釈運動が起こりました。ここ王楽寺も例外ではなく、そのあおりを受け王楽寺は廃寺となりました。その際、地域の方々がご本尊をはじめとするお像を土に埋め、廃仏毀釈運動により傷つけられることを防ぎ守り伝えたと聞いています。この大きさのお像を、そこまでして守ろうとしたことにすごいとしか言いようがないですね。」
ご本尊の美しさにしばらくの間見とれるとともに、ご本尊の前で永井師とご本尊の魅力や美しさについて語り合いました。

未来へつなぐ

境内をまわり、最後に永井師からお寺の継承についてお話をお聞きしました。
「王楽寺が現在まで伝えられているのは、決してお坊さんだけの力ではなく、地域のみなさんがお寺を大切に思い、お寺を守ってくださったからこそだと思います。地域のみなさんのお寺に対する思いや亡くなった先代ご住職の思いを胸に、現在、先代ご住職のお子さんである甲斐晴惠さんが修行に励んでいます。次の時代に向けて地域の中のお寺の役割やお寺の継承の大切さを地域のみなさんとともに伝え合っていきたいと考えています。」

参加大学生の感想

今回の訪問では、まず王楽寺の歴史の厚さ・深さに驚きました。日本全国たくさんのお寺がなる中で、神話の時代との接点が数多くあるお寺は、日本全国探してもほとんどないのではないでしょうか。また、お寺の歴史についてのお話を聞いていると、王楽寺が地域のみなさんにいかに大切に思われ誇りとなっているかを強く感じました。廃仏毀釈運動によって王楽寺が廃寺になった際、地域の方々の手によりご本尊を土に埋め守り伝えたお話、先代ご住職が体調を崩された際、お庭の手入れなどお寺の維持管理をたくさんの檀家さんが協力しておこなっていたというお話をお聞きしました。時代が違えども、王楽寺を大切に思う地域の方々の気持ちは不変であり、お寺を守り伝えようとしている皆さんの姿勢に非常に感銘を受けました。今回、修行に励んでおられる甲斐晴惠さんにはお会いできませんでしたが、王楽寺への思いや地域への思いなど、いつの日かお会いしてお聞きしたいと思いました。
竹篠山西方院王楽寺
〒880-0044
宮崎県宮崎市大字瓜生野1068番地