『大原問答』の舞台 勝林院を訪ねる
TOP > いろり端 > 京都市左京区 勝林院

いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

『大原問答』の舞台 勝林院を訪ねる

2023年2月11日 訪問

法然上人が様々な宗派の僧侶と議論した「大原問答」の地として有名な勝林院。休日に参拝者でにぎわう大原の地は、時代を超えて人々とその想いが集まる場所でした。

藤井宏全ご住職にご案内いただきました。

鐘楼

境内の入口を通るとすぐに、勝林院の中では最も古いものとされる梵鐘があります。

「藤原時代後期の作という非常に歴史のある梵鐘で重要文化財に指定されております。うっすらと白い文字が記入されています。これは太平洋戦争中に金属供出の対象となってしまった際に、先代の住職が『この梵鐘は勝林院のものである』ということを明記したとのことです。すると、兵器の材料となることなく無事に戻ってきたということです。」
平和の尊さと、信仰について考えさせるエピソードをお聞かせいただき、境内をすすみます。

本堂(外観)

京都市の指定文化財となっている本堂は、細かな装飾が彫られているその外観にまずは目を奪われます。「お堂は安永7(1778)年に再建されたもので、総欅づくりです。少し補修を加えていますが、正面の蟇股の部分には龍・獏・麒麟といった霊獣の彫刻が施されています。」

「それから、こちらの柱に注目してみてください。きちんと面がとってありますね。これを何というか知っていますか?この部分を『几帳面』といいます。ここから来た言葉なんですね。」言葉のとおり、細部まで細かく丁寧な装飾が加えられています。
「欄間の部分の彫刻が素晴らしいと言われております。決して極彩色に彩られているわけではありませんが、花鳥図の彫刻が素晴らしいですよね。蟇股の部分には林和靖という中国の詩人が描かれていたり、鶴と松・熊笹・山鵲(さんじゃく・尾の長い鳥)・梅が彫られ松竹梅を構成していたり、春と秋の景色が彫り込まれていたり、と非常に手が込んでいます。残念ながら作者はわからないのですが、お堂が再建された江戸時代中期頃に腕の立つ職人が手掛けたものだと思われます。」

本堂(内部)

入堂すると、すぐに存在感抜群のご本尊に視線が釘付けとなります。
「平安時代に造られた阿弥陀様のお顔とは違い、現代的な少しふっくらとしたお顔が特徴的です。きりっとした表情でもあり、見る角度によっては優しい感じにも見えます。」
このご本尊にも、勝林院が創建されてから、数多の戦乱や天災を乗り越え、身分の上下にかかわらず、様々な人々の手により大切に守り伝えられてきていることがわかる証拠が残っています。それはご本尊の首の付け根にある円形の溝です。

「よく見ていただくと、お顔に対してお体が少し小さいというか、アンバランスさを感じませんでしょうか?実はお顔とお体では歴史が違っているのです。首元にある溝から上のご尊顔は室町時代に、溝より下のお体は江戸時代に造立されたと考えられているそうです。火災の時に全部は運び出せず、ご尊顔だけを運び出して難を逃れたことや、お体を修復して落慶法要を執り行った、という、残っている記録をもとに推測されています。」
災害によってご本尊が被害を受けるごとに人々が修復を施し、現在まで巨像が守り伝えられてきたのだと思いをはせました。

本堂にはそのほかにも様々な由緒を持つお像が祀られています。開祖である寂源上人の義兄が藤原道長であったことや、徳川家二代秀忠の正室でもあったお江の方を弔うためにお堂が再建されたことなど、やはり多くの人に大切にされ、その想いがつながっていることが感じられるお堂でした。
「寂源上人は比叡山から大原の里に下ってこられて、長年修行をされてきたようです。お一人の力ではなく、当然、藤原氏の庇護も受けながら周囲の整備も進んできたのでしょう。この周辺『魚山(ぎょざん)』と言われる地域には、修行や学問のために多くの僧が集まり、およそ100を超える数の坊があったといわれています。比叡山の東側の坂本と、西側の大原は、そうした一大宗教空間が築かれていたのだと考えられます。」

勝林院の保存について、ご住職は
「江戸時代の建物ですから、やはりあちこちに傷みが出てきています。屋根もこれだけ広いので、修復が大変ですが、取り外して、構造材を確認して・・・と考えると時間も費用も相当かと思いますよね。やるべきことはそれはもうたくさんありますので、一つずつやっていこうかと考えています。」とおっしゃられていました。

参加大学生の感想

勝林院を訪れ、仏教としての教えを伝える場であるとともにつながりというものを感じることのできるお寺であるように感じました。梵鐘が戦争から戻ってきたエピソードがありましたが、これは運が良かったということだけではなく、やはり人々の想いがつながったからだったのだと思いました。寂源上人が争いを避けてこの大原を信仰の場とした当時からつながって、一大信仰の地となり、多くの人々の想いや気持ちを伝える場となって様々な人を救ってきたのではないかと感じました。

時代は違っていても、「勝林院を未来へ守り伝える」という同じ熱意を抱き、尽力されてきたことが境内を巡っていると私たちにも伝わってきます。そのような人々の熱意や願いがあふれていることが勝林院に私たちが引きつけられる理由の一つなのではないかという気持ちを抱きました。

魚山大原寺勝林院
〒601-1241
京都市左京区大原勝林院町187