定年後に若き日の夢を叶え、生まれ育った坂本の素晴らしさを伝えたい。
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

定年後に若き日の夢を叶え、
生まれ育った坂本の素晴らしさを伝えたい。

2020年の大河ドラマの主人公が、坂本とゆかりのある明智光秀公に決まり、坂本のまちは盛り上がりを見せています。今回は、そんな坂本のまちで観光ボランティアガイドをされている「比叡山坂本観光ボランティアガイドの会 石積み」事務局長の山口 弘さんにお話をお伺いします。生まれも育ちも坂本という山口さん。温かい気持ちでお迎えし、笑顔で帰っていただきたいという思いで、いつも坂本のまちを案内されています。

-「坂本」の観光ボランティアガイドを行うきっかけを教えてください。

私は定年退職後、違う仕事に就いていたのですが、4年前に家内が「新聞にこんなものが入っていたよ」と観光ボランティアガイド会員募集のチラシを持ってきたんです。若い頃、旅行関係の職に就きたかったので、そのチラシを見た途端「これだ!」と思い、すぐに申込書を坂本観光案内所に持って行きました。私は坂本で生まれ育ち、70年ほどここで暮らしていますが、勉強をし始めると意外と知らないことがたくさんありました。歴史や人物について知るほど、前にも増して坂本の良さを実感しました。その良さを坂本に来られた方々に伝えたいと「比叡山坂本観光ボランティアガイドの会 石積み」のメンバーになりました。

-「坂本」のおすすめの季節とその風景を教えてください。

おすすめは10月から11月末にかけての紅葉の時期ですね。紅葉は滋賀院門跡、日吉大社、日吉大社の参道が最高ですが、旧竹林院の八王子山を借景とした庭園の紅葉、明智光秀公と一族の菩提寺である西教寺の紅葉も見逃せません。自然の美しさが坂本にはあります。この時期は観光ボランティアガイドもフル活動で、特に11月21日から23、24日は、京阪電鉄「坂本比叡山口駅」と坂本観光案内所の前にテントを立てて、観光協会主催で待ち受けガイドを実施しています。ご希望があれば無料でさせていただくガイドなのですが、とても好評で、年々ご利用も増加しています。ガイドをする私も楽しいですし、“こんなに美しいところがあったなんて”と言っていただけることも多く、嬉しく思います。

秋の旧竹林院(伊藤弘之さん撮影)

秋の西教寺(伊藤弘之さん撮影)

-「坂本のまちあるき」の楽しみ方を教えてください。

私は、ファミリーや若い人で案内の内容を大きく変えることはないのですが、先ほどお話ししたように、楽しくご案内できたらいいと思っています。例えばこんな歩き方はいかがでしょうか?
坂本のまちは、松馬場・作り道・権現馬場・御殿馬場など、すべての道に名前が付いている日本でも珍しい町と言われています。それぞれ意味もあって、たくさんの松が植えられていた松馬場、造り酒屋・菓子屋・醤油屋などモノを作る店が多かったことから作り道など、通りの名の由来を考えながら歩くのも楽しいと思います。
日吉大社にお参りされる場合は、その昔、琵琶湖舟運の港町である下阪本に上陸した参拝客と同じように、松馬場から作り道、日吉馬場を通って行くのも一興です。

また、坂本は「お地蔵さんの里」とも言われ、気を付けて町を歩いていただくと、至るところにお地蔵さんがいらっしゃいます。石積みの中に組み込まれたお地蔵さんや祠の中のお地蔵さん、さらには最澄さんの自作と伝わる六体のお地蔵さんもありますので、宝物探し気分で歩いてみるのもいいのではないでしょうか。

-「坂本」の魅力を伝えるうえで、心がけていることは何ですか。

年号だとか人の名前だとかあまり難しいことは言わず、お客様にはわかりやすく、また、ご興味に合わせて楽しくお伝えすることを心がけています。もちろん、坂本の歴史に欠かせない重要な年号や人物名はお話しますが、私もまだまだ勉強の身なのであまり知ったかぶりをしてもいけません(笑)。逆にお客様から質問を受けることもありますので、前日には予習はします。そんな私の姿を見て家内は「老化防止に最適」と笑っています。

-今までに印象に残ったガイドはありますか

ひとつの例ですが、以前、四国の今治から来られた御夫婦を比叡山延暦寺にご案内し、非常に感激されてお帰りになられました。そのご主人は、しまなみ海道の観光ボランティアガイドをされていて、私が四国に行ったときには反対にガイドをしていただきました。また、先日、台風が今治を通過したときは心配になってメールをお送りすると、“今年11月の紅葉の時期にまた坂本に行きたい”とのご返事がありました。“山口さんのガイドが良かったので”と再度ご指名をいただき、またご縁がつながることは、本当にガイド冥利に尽きるなと思います。

-最澄とはどんな人だと思われますか。

思想的なことはあまりお話しはしないのですが、比叡山延暦寺は、最澄さん抜きではお話ができないので、さらりと伝教大師最澄さんの偉大さをお伝えします。804年に唐に渡って仏教を学び、日本仏教の発展における基礎を築いた人ですし、そして鎌倉時代には伝教大師最澄さんの跡を追って、多くのお坊さんが比叡山にこもり、いろんな宗派を作られた。
私の解釈で恐縮なんですが「一隅を照らす 此れ則ち国宝なり」という言葉は、一隅という言葉は、自分の置かれている立場で、皆さんに光をもたらしなさい。光というのは「笑顔」でもあるかと思います。国宝というのは、財産や宝ではなく、人の心が国宝になるんですね。
もう一つ「忘己利他(もうこりた)」という言葉があります。己のことを忘れて、人のために尽くしなさいという意味ですが、最澄さんは、私たちに色々と考えさせる重い言葉を残された人だと思いますね。

-最澄と坂本のまちとの関わりを今も伝承していると感じることがあれば教えてください。

坂本では、最澄さんのことを「のの様」と呼んで、子供のころから親しまれていますし、比叡山幼稚園では「のの様」に手を合わせて朝のご挨拶をしている姿も見られます。私も小さなころから最澄さんのことを「のの様」と呼んできましたから、最澄さんと言うより、実は「のの様」と言う方がしっくりときますね。中には、大きくなってから「のの様」は最澄さんのことかと知る人もいるほどです(笑)。それだけ、比叡山延暦寺のお膝元である坂本では、最澄さんは生活の一部と言いますか、切っても切れない存在だということです。
また、坂本に来られたらぜひ見ていただきたいものがあります。坂本観光案内所に置いてある、小学生が制作したかわいいガイドブックなんですが、イラストなんかも描かれていて、なかなかの出来なんですよ。こんな風に、子供のころから坂本の歴史や自然、行事などに触れることで郷土愛を育て、また坂本に伝わる伝承をつないでいくものではないかと思います。
※のの様:最澄の幼少期の呼び名と言われ、家伝承で坂本の子供たちに伝わっています。最澄の俗名「広野(ひろの)」からそう呼ばれるようになったのかは不明。

今回のインタビューで、昔は松馬場がメインストリートだったこと、坂本に昔から伝わるしきたり、町内の道は山王祭の神輿が通りやすいようになっていること、各町内に氏神様が1社ずつあることなど、坂本に関するたくさんのお話をしていただきました。観光気分になるほどお話は楽しく、今度は個人的にガイドをお願いして、坂本のまちを一緒に歩いてみたくなりました。ガイドを終えてお客様から「今日はとても楽しかった」と言われることが一番のご褒美だと話す山口さん。観光関係の仕事に就きたかったという若い頃の夢を定年退職後に叶え、生き生きとした表情で坂本のまちの魅力を語られます。その姿はまさに一隅を照らし、私たちを笑顔にしてくれます。まだまだある、坂本のお話。
比叡山坂本サンポ(http://hieizansakamoto.jp/)のホームページから申し込んで実際に歩きながら聞いてみてはいかがでしょうか。

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