1200年の歴史が息づく坂本。何気ないところにも深い歴史や物語があります。
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

1200年の歴史が息づく坂本。
何気ないところにも深い歴史や物語があります。

坂本の町を歩くと青いポロシャツを着ている人を見かけることがあります。彼らは坂本を訪れた観光客に自然風土や歴史文化などを案内する観光ボランティアガイド。現在、「比叡山坂本観光ボランティアガイドの会 石積み」には約60人が登録し、日々、坂本のまちの魅力を伝えています。今回は、その会をまとめる会長の伊藤弘之さんにどのような思いで坂本のまちを案内されているのかについてお話をお伺いました。

-「坂本」の観光ボランティアガイドを行うきっかけを教えてください。

6年前に「比叡山坂本活性化事業実行委員会」が発足され、その一環として新聞折り込みで地域の観光ボランティアガイド1期生の募集が行われました。その募集を見て応募をしたのが観光ボランティアガイドになるきっかけです。歩いていると本当にいい町だということはわかるのですが、それまでの私は、歴史的背景をあまり知らなかったというのが正直なところです。研修課程の勉強会では、比叡山延暦寺や西教寺、日吉大社などで現地案内があり、住職や神職から直接、お話を聞くことができました。勉強会で聞いた貴重なお話を自分なりに解釈し、自分の住んでいる坂本のまちの魅力を皆さんにお伝えできればと観光ボランティアガイドを始めました。

-「坂本」のおすすめの季節とその風景を教えてください。

全般的には紅葉の季節ですが、個人的には桜が終わった後の新緑と、雨露で石積みの苔が艶やかに光る梅雨時がおすすめです。日吉大社の近くにある南側の石積みは日陰になるので、とてもきれいに苔が残っています。この道は、桜の季節になると桜のアーチが美しく、撮影スポットとしてご案内をしていますが、桜が散った後には苔の緑が、梅雨時には雨に濡れて美しく輝く苔が穴太衆積み独特の石積みの風景に映え、この季節にしか見られない特別感があります。この時期は紅葉や桜の時期に比べると、坂本を訪れる人がほんの少し減るのですが、オリジナルの写真ファイルをお見せして、その美しさをみなさんにお伝えしています。私が撮影した写真を見て“もう一度、来たい”と言っていただけると、とても嬉しいですね。

春の日吉馬場(伊藤弘之さん撮影)

新緑の日吉馬場(伊藤弘之さん撮影)

-「坂本のまちあるき」の楽しみ方を教えてください。

日吉大社をご案内する場合、以前に来たことがあるかどうかをお尋ねするのですが、案内を終えた後、お客様から“個人で来た時には素通りしていた所に、そんな物があったのか”と、喜んで頂けることが多いです。
例えば、お子様がいらっしゃるファミリーや若い方には、西本宮楼門軒下の四隅にいるお猿さん探しで盛り上がったりします。日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」の三猿は、よくご存知だと思いますが、実は四つ目のお猿さんが日吉大社にはいるんですよ。何だと思います? 実は「思わざる」というお猿さんです。「三つのさるよりも思わざるこそ まさるなりけれ」と比叡山中興の祖と仰がれる良源の処世訓から生まれたものです。そのほか、右巻きと左巻きに分かれている西本宮本殿の屋根の巴紋(ともえもん)や木の中にいる忍耐(しんぼう)地蔵など、観光案内マップには載っていないポイントをご案内します。

シニアの方には、日吉大社の廃仏毀釈が全国で最初に行われたことや、神道と仏教の習合を表した山王思想を形として表した山王鳥居、七社ある社の床下には下殿があり、神仏分離が行われるまでは、ここに仏像を安置し仏事が行われていたことなど歴史的・宗教的なお話も織り交ぜたりします。
お客様の年齢やご興味に合わせてご案内するのはもちろんですが、インターネットには載っていないお話をさせていただくのも地元に住む観光ボランティアガイドならでは。比叡山坂本サンポ(http://hieizansakamoto.jp/)のホームページから申し込みが可能ですので、坂本に来られる際には、ぜひ、観光ボランティアガイドを活用して欲しいですね。

-「坂本」の魅力を伝えるうえで、心がけていることは何ですか。

やはり、町全体のお話をすることでしょうか。比叡山延暦寺のためにどのような町並みになっているかということと、季節の変わり目の素晴らしさをお話することを心がけています。また、4本、5本と町の中を走る水路も外せません。これは明智光秀公が坂本城を統治する際に最初に取り組んだライフラインと言われています。比叡山を水源とする水を生活用水として使えるように作った水路です。そんな話をすると、明智光秀公の評判もぐんと上がるんですよ(笑)。彼のおかげでこれだけの町並みができたということで、地元では明智光秀公をとても身近に感じています。以前からそのようなお話はしているのですが、2020年には明智光秀公を主役とした大河ドラマが始まることもあり、最近、歴史の勉強も兼ねて明智光秀公に関する講演会へ行っています。そこで初めて知ったのですが、坂本のまちは、中世を通して日本でも有数の賑わいを誇った港町で、日本海から運ばれてくる物産が坂本に集まり、比叡山延暦寺や京の都に運んだそうです。中世に活躍した運送業者「馬借」や「車借」も坂本が発祥だそうで、そんな話を聞くと良い所に住んでいるんだなとつくづく思います。

-最澄とはどんな人だと思われますか。

教えから想像すると「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」や「忘己利他(もうこりた)」というお言葉をあの時代に出され、今も私たちの心の中でその言葉が生きている。本当にすごい人だと思います。また、お山(比叡山)に上がりますと延暦寺の建物がすべて琵琶湖を向いています。延暦寺のお坊さんによると「最澄さんのお生まれが坂本だから」というのが理由だそうです。そんなお話を聞くと、さもありなんと思いますね。もうひとつ、比叡山の中腹に「伝教大師母君の遺跡 花摘堂」があるのですが、ここから上は女性の立ち入りを禁じた結界とされていました。最澄さんも修行が苦しかったんでしょうね。幼少の頃、ここまで降りて来て母親を待ち、会って涙し、また修行に戻って行ったと聞いています。堅物なイメージがある最澄さんですが、とても人間味にあふれた人だったんではないでしょうか。
※さもありなん:そうであってもおかしくない、もっともなことだという意

-最澄と坂本のまちとの関わりを今も伝承していると感じることがあれば教えてください。

毎年12月1日に比叡山延暦寺のお坊さんが、坂本地区の家々を回る托鉢が行われます。この日が来ると家内が「今日は托鉢の日だから」と小銭を包んで待っていたりします。
また、雪が残る3月末の朝、散歩途中に百日回峰行で降りてこられた若い僧侶さんに日吉大社で出会ったこともあります。日常生活の中で、最澄さんの教えなのかなと思える風景に出合えるのも、坂本だからこそ。1200年前から脈々と受け継がれている歴史を身近に感じる瞬間でもあります。
1200年も前から残る伝承や最澄の教えが息づく、坂本のまち。ガイドブックやインターネットには載っていない地元の方だからこそ知り得る貴重な話を聞けるのが坂本の観光ボランティアガイドの魅力でもあります。また、ガイドの印象でその町の印象も変わります。伊藤さんの穏やかな笑顔と優しい語り口は心地良く、坂本のまちも伊藤さんのお人柄のように感じるから不思議です。坂本へ行かれる際には、ぜひ観光ボランティアガイドに案内を依頼してみてはいかがでしょうか。一緒に巡れば、ずっと楽しい「まちあるき」になるはずです。

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