令和元年6月11日
いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
1200年間続いてきた山王祭で唯一無二の役
“高張” を継承する西谷さんと談をとる
今回談をとるのは1200年もの間、先祖代々受け継がれてきた、山王祭でたった一人しかいない“高張(たかはり)”の役を務める西谷良弘(にしたによしひろ)さん。“高張”とは、華やかな神輿に目を奪われがちな祭りの中でどんな役割を担っているのか。長年の継承と熟練の技、歴史ある山王祭の見どころについて、話をお聞きしました。
ー 山王祭における“高張”の役割を教えてください。
4月13日に、神様の出産を再現した宵宮落とし神事(よみやおとししんじ)が行われます。駕輿丁(かよちょう=神輿を担ぐ人たち)たちが4基ある神輿を一斉に揺すって陣痛を、そして神輿を落として御子誕生を表現します。
この時が“高張”の出番です。神輿振りから神輿をいったん落として甲冑武者の姿をした“とび”が神輿の黒棒の部分にしがみついて境内の上に乗るのですが、“とび”が走ってくるタイミングを見計らって、僕が合図とともに高張提灯(たかはりちょうちん)を持って走るんです。
この時が“高張”の出番です。神輿振りから神輿をいったん落として甲冑武者の姿をした“とび”が神輿の黒棒の部分にしがみついて境内の上に乗るのですが、“とび”が走ってくるタイミングを見計らって、僕が合図とともに高張提灯(たかはりちょうちん)を持って走るんです。
ー “高張”はどんなところが難しいのでしょうか?
高張提灯を掲げて走るだけではないかと思われるかもしれませんが、実はタイミングが非常に難しいんです。“とび”は毎年違う人がやるから走る速さも人それぞれ、タイミングも毎年違います。コツは“とび”の足を見ること。これが意外に難しいんです。
神輿を落とすタイミングと“とび”が入ってくるタイミングを合わせるための“高張”は、他の役と同様に1200年前から変わらず受け継がれてきている姿を保っています。
神輿を落とすタイミングと“とび”が入ってくるタイミングを合わせるための“高張”は、他の役と同様に1200年前から変わらず受け継がれてきている姿を保っています。
ー “高張”を受け継がれた経緯を教えてください。
“高張”は代々、勝嶌(かつしま)の家系に受け継がれてきました。定かではありませんが古い話を紐解いていくと、日吉大社ができた時に坂本で一番古い神社に敬意を表して、その御旅所(おたびしょ:神が巡行の途中で休憩または宿泊する場所)周辺に住む勝嶌家が“高張”の役を任されたのではないかと思います。
僕の母の実家が勝嶌家だったのですが、一時は別の家系の人が“高張”をしていて、「勝嶌で始まったものは勝嶌で守っていきたい」という思いに駆られて受け継ぎました。
僕の母の実家が勝嶌家だったのですが、一時は別の家系の人が“高張”をしていて、「勝嶌で始まったものは勝嶌で守っていきたい」という思いに駆られて受け継ぎました。
ー “高張”のやりがいはどんなところですか?
正直なところ、やりがいは感じません(笑)。宵宮落としの前に生源寺(しょうげんじ)で行われる4つの駕輿丁の読み上げ式の際にも、提灯に火を灯して立ち合う役目も担っています。“高張”は山王祭でたった一人しか務めることができないからこそ、重要な役割であると同時に孤独なんです。神輿をかいて(担いで)いる方が、よほど楽しいですね。
ー それでも“高張”を守っていかなければいけないんですね。
神様を乗せる神輿を担ぎ、今年一年の健康や五穀豊穣を願う祭りにおいて、“高張”は神輿にも触らない役回りです。しかし、祭りはたくさんの人の力を合わせなければできません。“高張”は決して目立つ役ではありませんが、神様の出産という大切な儀式において必要不可欠な役なんです。
神輿のような華やかさはなくても、他の誰でもなく自分にしかできないという思いが強いですね。勝嶌の家系しかできない役だからこそ、1200年続いてきたこの“高張”を受け継ぎ、途切れることなく次の世代へ残していかなければいけないと思っています。
神輿のような華やかさはなくても、他の誰でもなく自分にしかできないという思いが強いですね。勝嶌の家系しかできない役だからこそ、1200年続いてきたこの“高張”を受け継ぎ、途切れることなく次の世代へ残していかなければいけないと思っています。
ー 後継者は決まっているんですか?
甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。
ー 教える上で難しいところはどんなところですか?
口で言ってもわからないことの方が多いので、基本的には見て覚えてもらうことです。年に一度しか見ることができないし、毎年場面も人も変わるから、覚えるのが難しいんです。
また祭りの細かなしきたりや、ケガをしないコツも教えなければいけません。
そろそろ甥に引き継いでもいいかなと思っていたのですが、周りからは「お前が苦労してやってきた“高張”を、まだ山王祭の『さ』の字も知らん甥っ子に簡単に譲ったらあかん」と言われてしまいました。
また祭りの細かなしきたりや、ケガをしないコツも教えなければいけません。
そろそろ甥に引き継いでもいいかなと思っていたのですが、周りからは「お前が苦労してやってきた“高張”を、まだ山王祭の『さ』の字も知らん甥っ子に簡単に譲ったらあかん」と言われてしまいました。
ー 将太さんが“高張”を継ごうと思ったきっかけは?
将太さん:
13歳くらいのころから祭りに参加し始めて、おっちゃんに「せぇ(やれ)」と言われたこともありましたが(笑)、自然な流れでそうなった感じです。
初めて祭りに参加した年はおもしろくてしょうがなかったけど、翌年からは寒くて仕方がなかったですね。
初めて祭りに参加した年はおもしろくてしょうがなかったけど、翌年からは寒くて仕方がなかったですね。
ー “高張”を受け継ぐことへの思いをお聞かせください。
将太さん:
祭りで一人しかいないからこそ、自分がやらなければという自負があります。それを肝に銘じてやっていきたいと思います。
おっちゃんが守ってきたものを託されることは嬉しいし、そこはしっかり受け継いでいきたいですね。
おっちゃんが守ってきたものを託されることは嬉しいし、そこはしっかり受け継いでいきたいですね。
ー お二人にとっての山王祭とは?
良弘さん:
あって当たり前のもの、生活の一部ですね(笑)。
1200年変わらず受け継がれてきた坂本の祭りだからこそ、坂本で生まれ育った僕たちが継承し続けていかなければいけないものです。
1200年変わらず受け継がれてきた坂本の祭りだからこそ、坂本で生まれ育った僕たちが継承し続けていかなければいけないものです。
将太さん:
しんどいけど、めちゃくちゃおもしろい祭りです。
山王祭に参加するには青年会に入る必要があるんです。僕も青年会に入っていますが、祭りの前には松明作りなど準備もしなければいけないし、これが本当に面倒くさいんだけど、祭りの本番はめちゃくちゃ楽しい。神輿をかいている時は「なんでこんな重いもの持って、しんどいことしてんねん」と毎年思いながら、祭りが終わった後は「おもしろかったな」って思うんです(笑)。
山王祭に参加するには青年会に入る必要があるんです。僕も青年会に入っていますが、祭りの前には松明作りなど準備もしなければいけないし、これが本当に面倒くさいんだけど、祭りの本番はめちゃくちゃ楽しい。神輿をかいている時は「なんでこんな重いもの持って、しんどいことしてんねん」と毎年思いながら、祭りが終わった後は「おもしろかったな」って思うんです(笑)。
ー 山王祭の見どころを教えてください。
4月12日の神事で行われる、山頂からの階段を下りてくる神輿をぜひ見てほしいですね。13日の宵宮落としの神輿振りも圧巻です。
ー お二人から見た、坂本の魅力を教えてください。
良弘さん:
坂本に約50ヵ寺ある里坊の石垣や、日吉大社の参道の桜は見ものです。遅咲きのしだれ桜もあって、長くお花見が楽しめます。最近では紅葉のライトアップも人気ですね。
将太さん:
僕は檜皮葺(ひわだぶき)という檜の皮を使った屋根を作る仕事をしているのですが、本物の檜の皮や漆を使った建物が多く残っていて、本当に昔ながらの風景が残っているんです。そんな坂本の風景を見に来てほしいですね。
ー 好きな言葉を教えてください。
良弘さん:
伝統と継承ですね。
長年受け継がれてきた伝統だから、変えずに後世へ残すことが重要だと思っています。
ただ、“高張”のことを知っている人が少ないので、もっと知ってもらえるようにしていきたいと思っています。
伝統ある“高張”を継承し、日吉大社の山王祭として恥ずかしくない祭りを次の世代にも伝承して、1000年後も同じ祭りをしてほしいと思います。
長年受け継がれてきた伝統だから、変えずに後世へ残すことが重要だと思っています。
ただ、“高張”のことを知っている人が少ないので、もっと知ってもらえるようにしていきたいと思っています。
伝統ある“高張”を継承し、日吉大社の山王祭として恥ずかしくない祭りを次の世代にも伝承して、1000年後も同じ祭りをしてほしいと思います。
将太さん:
「恩は石に刻め。恨みは水に流せ」
昔聞いた言葉なのですが、ずっと記憶に残っている言葉です。
昔聞いた言葉なのですが、ずっと記憶に残っている言葉です。
日本文化を学ぶ
「高張」とは
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います