いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
中世の丹波を感じられる寺院 「大国寺」を訪ねる
2023年11月11日 訪問
兵庫県丹波篠山市に位置する「大国寺」は、飛鳥時代の大化年間に法道仙人が自作の薬師如来を安置したことに始まる寺院です。鎌倉時代の本堂のほかにも、平安時代の仏像など多くの文化財を残しています。丹波篠山もみじ三山の一つともなっており、紅葉が色づき多くの参拝者でにぎわう中、酒井裕圓ご住職にご案内いただきました。
大国寺の歴史
「大国寺の山号は安泰山といいます。お寺の創建は、今から約1400年前の飛鳥時代の大化年間です。インドから来られた法道仙人がこの地に訪れ、自作の薬師如来を安置して始まったと伝えられています。中世はこの地は皇室領であったこともあり、本堂の建物は約700年前の正和年間に時の天皇である花園天皇のご帰依によって再建されました。その際に山号を入れた「安泰山大国寺」の称号を賜りました。道路を挟んだお向かいの文保寺や高蔵寺等は明智光秀の丹波攻めの被害に遭ってしまいましたが、大国寺は運よく被害を免れたため今も多くの文化財が残されています。」
鎌倉時代の大国寺本堂
「本堂は、鎌倉時代末期の再建であると推定されています。格子戸で仏さまと参拝者を隔てるのが密教寺院の特徴です。内陣・中陣・外陣に分かれており、中陣より中が禅宗様で、外陣が和様という折衷様で造られています。中陣の柱にも木鼻がついているのは、日本では大国寺のみであるとみられているようです。現在は入母屋造りの茅葺き形銅板葺きの屋根ですが、創建当初は檜皮葺きだったようですね。昭和36年(1961)に国の重要文化財の指定を受けました。その後解体修理が行われ、再建当初の姿へと原形復元されています。」
「大国寺は檀家のいない祈願道場であり、日々、さまざまな祈願・祈祷を行っています。
そのためか、不思議な経験をしたこともあります。以前拝んでいましたら、頭を撫でられるような感覚があり写真を撮ってもらうと龍のような煙が登っていました。こういった経験からも、大国寺には多くの歴史を築いてきた先人、見守ってくださっている仏様がここにいてくださっているのだろうと感じますね。」とご住職はお話しします。
「大国寺は檀家のいない祈願道場であり、日々、さまざまな祈願・祈祷を行っています。
そのためか、不思議な経験をしたこともあります。以前拝んでいましたら、頭を撫でられるような感覚があり写真を撮ってもらうと龍のような煙が登っていました。こういった経験からも、大国寺には多くの歴史を築いてきた先人、見守ってくださっている仏様がここにいてくださっているのだろうと感じますね。」とご住職はお話しします。
大国寺本堂内の仏像群
「本堂内陣の中央には、三尊の仏さまが安置されていて、いずれも大正11年に国宝の指定を受け、現在は重要文化財に指定されています。
中尊は11世紀のもので、文化財の指定時には大日如来とされているのですが、大国寺の名は大国主の名前から来ており、大国主の本持仏が薬師如来であるため、中尊を薬師如来として手にも薬壷を載せてお祀りしています。つまり、全体仏では法身仏である大日如来、手の印は定印を結び報身仏である阿弥陀如来、薬壺から応身仏である薬師如来を表しており一仏三身の如来であるとしています。
中尊が如来であれば脇侍を菩薩とすることが多いのですが、中尊の一仏三身から胎蔵界大日如来と阿弥陀如来の要素を抜きだして脇侍としているので、中央が薬師如来・脇侍が大日如来と阿弥陀如来という三尊形式になっています。なお、脇侍は12世紀の作と伝わっています。
装飾を見ていただくと、薬師如来と大日如来の宝冠には宝相華が描かれていますし、中尊の後背や台座など当初のものも多く残されています。すべてはヒノキの寄木造りの像であるとみられます。
少し複雑ですが、なぜこういった珍しい三尊の意味もご理解いただけると大国寺を知っていただける機会になるように思います。」
中尊は11世紀のもので、文化財の指定時には大日如来とされているのですが、大国寺の名は大国主の名前から来ており、大国主の本持仏が薬師如来であるため、中尊を薬師如来として手にも薬壷を載せてお祀りしています。つまり、全体仏では法身仏である大日如来、手の印は定印を結び報身仏である阿弥陀如来、薬壺から応身仏である薬師如来を表しており一仏三身の如来であるとしています。
中尊が如来であれば脇侍を菩薩とすることが多いのですが、中尊の一仏三身から胎蔵界大日如来と阿弥陀如来の要素を抜きだして脇侍としているので、中央が薬師如来・脇侍が大日如来と阿弥陀如来という三尊形式になっています。なお、脇侍は12世紀の作と伝わっています。
装飾を見ていただくと、薬師如来と大日如来の宝冠には宝相華が描かれていますし、中尊の後背や台座など当初のものも多く残されています。すべてはヒノキの寄木造りの像であるとみられます。
少し複雑ですが、なぜこういった珍しい三尊の意味もご理解いただけると大国寺を知っていただける機会になるように思います。」
「三尊の横に祀られているのは持国天と増長天で平安時代の像です。元は二天門におまつりされていたのですが、本堂再建の際に二天門までの再建に至らず、保存を考えて本堂に移されたようです。ヒノキの一木造りで光背も当初の物が残されています。須弥壇の上には、室町時代に造られたとても小さな十二神将像が祀られています。とても個性がありますので近くでご覧ください。」
「本堂外陣の右奥には、江戸時代初期の万治年間の造像とみられる阿弥陀如来坐像がまつられています。元はこの付近にあった満願寺というお寺の像であったのですが、廃寺となったため客仏として安置されています。」
様々な仏がまつられている境内
大国寺の境内は見事な紅葉で彩られ、小さなお堂もあって、ご参拝される方々が撮影しながら境内を散策されていました。
「本堂の西側にある天満宮には、十世紀まで遡る神像がおまつりされています。今は天神とされていますが、もとは女神像であったようです。また本堂前にある大紅葉の樹齢は250年で以上の歴史があります。紅葉の時期はきれいで、毎年多くの参拝者でにぎわっています。みなさんもまた違う季節にもご参拝ください。」
「本堂の西側にある天満宮には、十世紀まで遡る神像がおまつりされています。今は天神とされていますが、もとは女神像であったようです。また本堂前にある大紅葉の樹齢は250年で以上の歴史があります。紅葉の時期はきれいで、毎年多くの参拝者でにぎわっています。みなさんもまた違う季節にもご参拝ください。」
(文・奈良大学文学部4回生)
参加大学生の感想
大国寺の本堂に入ると、多くの平安時代の仏像が並んでおり、鎌倉時代の本堂と合わせ中世から受け継がれる歴史をそのまま感じることができる空間でとても興奮しました。丹波篠山という地が皇室との繋がりがあり、それらの文化が残されている大国寺ならではの歴史の深さを感じることができました。それらのモノがきれいに残っていて、大切に大国寺を守ってきたことも感じられました。
紅葉で多くの参拝者でにぎわう中で、大国寺に訪問させていただきました。コスプレをしている方や幅広い年代の方が参拝に訪れており皆さんが笑顔で楽しそうにしていました。本堂・仏像といった文化財などの歴史の深さ紅葉のきれいさのほか、大国寺には居心地の良さがあり、それが人々を惹きつけている魅力なのかなと思いました。さまざまな人の祈りが込められ積み重ねられている大国寺は、多くの人々を受け入れるとても懐の深く身近な場所であるとともに、多くの仏さまをまつることも合わせありがたみを実感することのできる寺院であるのだと思いました。
紅葉で多くの参拝者でにぎわう中で、大国寺に訪問させていただきました。コスプレをしている方や幅広い年代の方が参拝に訪れており皆さんが笑顔で楽しそうにしていました。本堂・仏像といった文化財などの歴史の深さ紅葉のきれいさのほか、大国寺には居心地の良さがあり、それが人々を惹きつけている魅力なのかなと思いました。さまざまな人の祈りが込められ積み重ねられている大国寺は、多くの人々を受け入れるとても懐の深く身近な場所であるとともに、多くの仏さまをまつることも合わせありがたみを実感することのできる寺院であるのだと思いました。
安泰山大國寺
〒669-2223
兵庫県丹波篠山市味間奥162
〒669-2223
兵庫県丹波篠山市味間奥162
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います