いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
飛行機が飛ぶ過去と現在を繋ぐ名刹「芝山仁王尊 観音教寺」を訪ねる
成田国際空港にほど近い千葉県北部、芝山町。
なだらかな台地と田園風景が広がるこの地に、古くから地域の信仰を集めてきた古刹・観音教寺が静かに佇んでいます。
地域の人々からは『芝山仁王尊』の名で広く親しまれ、無病息災、当病平癒、厄除け等を願う多くの参詣者の信仰を集めてきました。
観音教寺は正式名称を天應山観音教寺福聚院といい、天応元年(781)に創建されました。
澄んだ冬空の下、まだ冷たい空気が境内を包む2月中旬、第60代住職を務める河合智信師に観音教寺の歴史や魅力をご案内いただきました。
地域の人々からは『芝山仁王尊』の名で広く親しまれ、無病息災、当病平癒、厄除け等を願う多くの参詣者の信仰を集めてきました。
観音教寺は正式名称を天應山観音教寺福聚院といい、天応元年(781)に創建されました。
澄んだ冬空の下、まだ冷たい空気が境内を包む2月中旬、第60代住職を務める河合智信師に観音教寺の歴史や魅力をご案内いただきました。
◆創建から1200年以上、千葉県屈指の歴史を誇る観音教寺

本堂《享保6年(1721)建立》
「本日はようこそお参りいただきました。観音教寺の境内を巡っていただく前に、観音教寺の歴史を皆さんに御紹介したいと思います。」

「御本尊様は、こちら本堂中央の御厨子の中におられます。ご覧いただいてお分かりのように厨子の扉を閉めて秘仏としておまつりしております。御開扉は1年に1度、節分会のときに執り行います。いつかぜひお参りいただけたらと思います。」
「創建されてからしばらく経った平安時代の天長2年(825)、慈覚大師円仁様により中興されたといいます。そして、観音教寺の周囲には、多くの子院や坊、末寺が建立されたそうです。中世には、地元の武士たちからの信仰を集め、さらに隆盛を極めていきます。しかしながら、戦国時代の終わり頃、豊臣秀吉による小田原征伐による影響で全山焼失してしまったそうです。」

天蓋
「全山焼失してしまった境内の復興が始まるのは、戦国時代が終わった江戸時代になってから。観音教寺は徳川幕府の庇護を受けることとなり、境内の建物も順次復興されていきました。実はこちらの本堂に徳川との深い繋がりを今に伝えているものがあります。内陣の中央をご覧ください。お坊さんが座る場所の上に屋根のようなものが吊るされていますね。こちらを天蓋(てんがい)と言います。」
「天蓋をじっくりと見てみてください。何か気が付きませんか?」
「天蓋をじっくりと見てみてください。何か気が付きませんか?」

「こちらの天蓋には徳川を表す『葵の御紋』が随所に施されています。他の部分も緻密で美しい意匠が施されていますから、当時の技術の粋を集めて作られて寄進されたものだと思います。このような歴史あるものを今も現役で使用しているお寺も珍しいと思います。」
◆過去・現在・未来 比叡山の祈りを表す堂内空間

「中央の御厨子の内部には御本尊である観音様をおまつりしています。御本尊様に向かって左側の壇をご覧ください。御厨子の内部に金色のお身体をされた仏様がいらっしゃいますね。あちらが薬師如来様で、江戸時代の元禄6年(1693)に比叡山延暦寺の根本中堂に倣いおまつりされた仏様であると伝えられています。その左右に脇侍である日光菩薩様や月光菩薩様、眷属である十二神将様がいらっしゃいます。」
「そして向かって右側の壇には、阿弥陀如来様又は釈迦如来様と伝えられている如来様をおまつりしています。」

「従いまして、観音教寺の本堂に入ることで、比叡山の「東塔」「西塔」「横川」の祈りを体感しお参りすることができると伝えられてきました。比叡山の東塔地域は「現在」、西塔地域は「過去」、横川地域は「未来」をそれぞれ象徴していると言われますから、私たちが「過去」「現在」「未来」の祈りと繋がることのできる場所とも言われています。」
◆江戸っ子たちの信仰を集めた災厄除けの『お仁王様』
「江戸時代の観音教寺は徳川の庇護を受けたとお話ししましたが、徳川家のような武士たちに加えて江戸に暮らした民衆からも篤い信仰を集めていました。その信仰の中心が『お仁王様』になります。」

「観音教寺の『お仁王様』は、特に火災や泥棒などの災厄を取り除いてくださる仏様として信仰を集めています。江戸時代、たくさんの人々が暮らした江戸の町を火災などから守っていた火消しという職業がありました。その火消しの大元締めの一人である新門辰五郎という方が、たくさんの火消したちや江戸の商人たちを引き連れて、必ず観音教寺に初詣に訪れていたといいます。その数なんと1万人。車も無い時代ですから、『お仁王様』に対する信仰の篤さが分かると思います。『江戸の商家でお仁王様のお札をはらないお店はない』と当時は言われていたそうです。」

「古来より信仰を集める『お仁王様』は本堂へ続く参道の途中にある仁王門におまつりされていますが、本堂をはじめ観音教寺の随所に少し小さな『お仁王様』がおまつりされています。これほど『お仁王様』のお姿にあふれるお寺は珍しいと思います。」
『お仁王様』の霊験あらたかな逸話を伺いながら、本堂から仁王門へ歩みを進める学生たち。
そんな学生たちの目に飛び込んできたのは、大空に巨大な翼を羽ばたかせるかのような威厳溢れる屋根が特徴的な仁王門の姿でした。
そんな学生たちの目に飛び込んできたのは、大空に巨大な翼を羽ばたかせるかのような威厳溢れる屋根が特徴的な仁王門の姿でした。

仁王門《明治7年(1874)建立》

「こうしてみると、観音教寺の仁王門は、門というよりお堂の造りに近いと思います。現在の建物は、5年余りの大改修を経て明治7年に落慶となった建物と伝えられています。江戸から明治に移り変わる激動の時代に、これほど巨大で立派な建物が建立されたということですから、仁王門の改修や『お仁王様』に対する当時の人々の並々ならぬ想いがこの仁王門に込められていると思います。」
繊細でありながらも豪壮な仁王門の彫刻群に圧倒されながら、いよいよ学生たちは『お仁王様』と対面します。
緊張感を抱きながら仁王門の内部へ入ると、暗闇の中に凛然と立つ『お仁王様』の姿がありました。
緊張感を抱きながら仁王門の内部へ入ると、暗闇の中に凛然と立つ『お仁王様』の姿がありました。

木造仁王立像《左:吽形像、右::阿形像/芝山町指定文化財》
「本堂に向かって右側の間に口を開く阿形のお姿を、向かって左側の間に口を閉じる吽形のお姿をおまつりしています。これらの『お仁王様』は中世の頃に造立されたお像であると考えられていて、芝山町の文化財に指定されています。」
「実は、この『芝山町』という町の名前も『芝山仁王尊』が由来です。古来より『お仁王様』がこの地域のシンボルであることから、『芝山仁王尊』の『芝山』にちなみ『芝山町』という町の名前に決定されたそうです。観音教寺の『お仁王様』はこの地域の人々の拠所であり、地域にとって不可欠な存在ですね。」
「実は、この『芝山町』という町の名前も『芝山仁王尊』が由来です。古来より『お仁王様』がこの地域のシンボルであることから、『芝山仁王尊』の『芝山』にちなみ『芝山町』という町の名前に決定されたそうです。観音教寺の『お仁王様』はこの地域の人々の拠所であり、地域にとって不可欠な存在ですね。」
◆過去と現在を繋ぐお寺 観音教寺
境内にてご住職と語らいを続けていると、境内上空を飛行機が通りました。
学生たちは思わず空を見上げ、歴史ある建物と現代の風景が重なる観音教寺ならではの環境に驚いた表情を浮かべていました。
学生たちは思わず空を見上げ、歴史ある建物と現代の風景が重なる観音教寺ならではの環境に驚いた表情を浮かべていました。


「航空会社の方々の伺うと、飛行機の操縦席から観音教寺の三重塔が丁度見えるそうです。この話を伺い、私は飛行機に乗った時に確認しようと意気込んでいたのですが、客席からは残念ながら見ることはできませんでした。客席の窓からは、横方向のみ見ることができますから、飛行機の真下にある観音教寺の境内は丁度見えないということです。飛行機の航路の真下に位置する観音教寺ならではのことですね。」
「一方で、観音教寺の周辺地域は、成田国際空港が開港する際に移転地域に指定されていました。かつて観音教寺の周囲には100以上の商店や旅館、住宅などが並び建っていたそうですが、そのほとんどは他の場所へお移りになり、周囲は閑散としてしまいました。」
自分たちの真上を飛ぶ飛行機の姿に圧倒されながら、ご住職と学生たちは観音教寺と地域の歴史をたどり、空高く建つ三重塔へたどり着きました。
春らしさを感じる穏やかな日差しのもとで凛と建つ三重塔の姿は、観音教寺と芝山町の悠久の歴史を伝えているかのようでした。

三重塔《天保7年(1836)落慶/千葉県指定有形文化財》

「こちらの三重塔、実は2層目、3層目と上へ登ることができます。内部に階段はありませんが、梯子をかけることで登ることができるようになっています。以前、三重塔は開放されており、子供たちの遊び場のようになっていたとも聞いています。危険な箇所がありますから現在登ることはできませんが、お参りの方々向けの催事として、将来的に三重塔を登る体験を計画しています!空港からお参りに来てくださるインバウンドの方々にとっても日本の文化を体感できる機会になるかなと思います。」

【非公開】木造大日如来坐像
「三重塔の中央には大日如来様をおまつりしています。残念ながら大日如来様に関する記録が伝えられておらず詳細は不明なのですが、先日調査に来られた方曰く、平安時代の仏様ではないかとのことでした。こちらの大日如来様をはじめ、1000年以上の歴史の中で来歴が分からなくなってしまっている仏様も多くいらっしゃることから、調査も進めていきたいと考えています。」

「これらの埴輪のうち男性の姿を表した埴輪は、豊かなあごひげと高さのある帽子が特徴的な独特な姿で特に注目されているそうです。普段は、近くの芝山町立芝山古墳・はにわ博物館で展示していただいているので、ぜひご覧くださいね。」
御本尊様や『お仁王様』、埴輪など様々な魅力にあふれる観音教寺。
観音教寺の魅力を体感する学生たちとご住職の語らいの時間はあっという間に過ぎていきます。

過去と現在を繋ぐお寺、観音教寺。
1200年以上にわたり人々の営みと祈りが紡がれ今日まで育まれてきました。
先人たちが見守ってくださっているかのように、そして、これからの未来を進む人々を応援してくださっているかのように、観音教寺の境内には和やかな空気が満たされていました。
◆参加学生の感想

境内では、特に仁王門に立つ仁王像の存在感が強く心に残りました。やや見上げる位置関係によって像の迫力が一層際立ち、参拝者を見守るような力強さを感じました。建物そのものの迫力もあり、文化財としてではなく、現在にも続いている場所であることを実感しました。
観音教寺は、静かな景観の中に過去と現在が自然に共存する、他にはない魅力を持つ場所であり、実際に訪れることでその価値をより深く感じることができました。
龍谷大学 2年
芝山仁王尊 観音教寺
〒289-1619 千葉県山武郡芝山町芝山298
〒289-1619 千葉県山武郡芝山町芝山298
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います