山上に仏様の世界が広がる和泉屈指の霊地「施福寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

山上に仏様の世界が広がる和泉屈指の霊地「施福寺」を訪ねる

古来より内陸から沿岸に向かう人々が往来し、様々な信仰と文化が育まれている和泉山脈。
そのような和泉山脈を構成する槇尾山に、創建1450年以上の歴史を誇る名刹・施福寺が伽藍を構えています。

欽明天皇の御代に創建されたと伝えられている施福寺は、修験道の祖とされる役行者や真言宗の開祖・弘法大師空海が訪れ修行した地として知られ、往時には70以上もの坊が並び建つ畿内屈指の霊地として隆盛を極めました。

また、西国三十三カ所巡礼の第4番札所である施福寺には、老若男女問わず巡礼者が訪れ槇尾山におわす仏様へ祈りを捧げています。

槇尾山の紅葉が見頃を迎えた施福寺の悠久の歴史と魅力を、施福寺のご住職を務める津守佐理師にご案内いただきました。

◇『観音八丁』と呼ばれる険しい参道を登る

標高約600メートルの槇尾山の山腹に伽藍を構える施福寺。
学生たちは仏様がおわす山上の本堂へ続く「観音八丁」と呼ばれる約1キロメートルの参道を登ります。

これからの山上での仏様との出会いに胸を高鳴らせながら、駐車場から急勾配の坂道をしばらく進むと、木々の間に堂々と建つ仁王門へたどり着きました。

仁王門《宝暦8年(1758)建立》

仁王像(阿形像)

施福寺の仁王様は、鎌倉時代に造立されたと考えられている仁王様。
通常とは異なり、向かって右側に口を閉じる吽形像を、向かって左側に口を開ける阿形像を配置しているとのこと。

また、右手を頭上より高くあげ左手に宝棒を持つ吽形像のお姿や右腕で金剛杵を持つ阿形像のお姿は、奈良東大寺の南大門におまつりされている国宝の仁王様と似たお姿で、日本全国でもわずか4例のみの珍しいお姿であるとのことでした。
仁王像(吽形像)

お身体に苔が育つ仁王様のお姿。
厳しい自然の中で凛として立つその力強いお姿は、悪しき存在が霊地に入らないよう、にらみを利かせる仁王様の強い信念や志を表しているように感じました。

仁王様のその眼差しと向き合う学生たち。
これから仏様がおわす山上の霊地へ参拝する決意を固め、山上へと続く参道へ歩みを進めました。
仁王門から登り続けて約10分。
参道の両脇に苔むした石垣が見えてきました。
この石垣は、かつて施福寺を構成していた坊(子院)の跡とのこと。

古代から霊地として信仰を集めてきた施福寺には、いつの時代も多くの僧侶や行者が集い、修行に励んでいたといいます。このような僧侶たちが拠点としていた場所こそ、現在跡として石垣が残る坊でした。

坊跡

往時には70以上もの坊が軒を連ねていたという施福寺。
学生たちは往時の施福寺の姿を想像しながら、施福寺の歴史を紐解くように参道を登ります。

◇山上に建つ大堂・本堂で施福寺の悠久の歴史を体感する

険しい参道を進む学生たち。
時折すれ違う参拝者の方々と「がんばれ」「あともう少し」と声を掛け合いながら歩みを進めました。

しばらく進むと、鬱蒼とした森林が開き、あたたかな日の光が差し込んできました。
最後の力を振り絞って石段を登ると、そこには紅葉に彩られた迫力ある本堂が建っていました。

本堂《弘化2年(1845)の山火事による焼失の後、安政年間(1854 - 1860)に再建》

本堂へ進むと、施福寺の御住職を務める津守佐理師をはじめ施福寺の皆様にあたたかく迎えていただきました。

「皆さんお疲れ様でした。本日はようこそ施福寺へお参りいただきました。せっかくですので本堂の中で施福寺の歴史や仏様をご案内したいと思います。」

呼吸を整え、津守師のお話に耳を傾ける学生たち。
これから語られる施福寺の秘められた歴史や信仰、文化との出会いに学生たちの目は輝いていました。

「施福寺が創建されたのは今から約1400年以上昔の欽明天皇の御代の頃、播磨国加古郡の行満上人という方が創建されたと伝えられています。日本へ仏教が公に伝わった仏教公伝が538年もしくは552年と言われていますから、その少し後に創建されたお寺になります。」

「実は、お寺の創建よりも以前より、この槇尾山は霊地として信仰を集めていました。皆さん「纏向(まきむく)」という言葉は聞いたことがありますか?現在の奈良県桜井市の地名で、付近には有名な纏向遺跡や神々がおわす聖地として信仰を集める三輪山があります。この三輪山の近くに巻向山という山があり、この巻向山は航海の安全と戦勝を祈願する磐筒男神(いわつつおのかみ)という神様がおわす聖地として信仰を集めていました。」

「施福寺が創建されるよりも前、この槇尾山に巻向山の磐筒男神を勧請したと伝えられています。そのため「巻向山の神をまつる山(=尾)」として、槇尾山は、古来「巻尾山」と呼ばれていたと伝えられています。」
本堂向かって左側にある向拝

「それでは、なぜ磐筒男神が槇尾山に勧請されたのでしょうか?このことを紐解く鍵となるのが、磐筒男神が航海の安全と戦勝を祈願する神様である点にあると思います。」

「この槇尾山がある地は、古代の交通の要衝であったと言われています。古代の人々は、現在の奈良県から紀の川を通り、現在の泉南市にあったとされる男之水門(おとのみなと)を経由して槙尾川の河口にあったとされる大津の港へ赴いたと考えられています。このとき、古代の人々は、大津の港の上流にある槇尾山に航海の安全と戦勝を祈願する神・磐筒男神を勧請して、これからの行程の安全を願い、祈りを捧げたのだと考えられています。」

「この磐筒男神が鎮座されている磐座は現在も山中に残っています。実は、古の施福寺では磐筒男神が鎮座されている磐座に対して本堂から礼拝していたと伝えられています。施福寺の本堂は、皆さんがお入りいただいた正面に加えて向かって左側にも屋根が張り出した向拝という部分があり、この点が珍しいのですが、この左側の向拝の延長線上に奈良の巻向山があり、磐筒男神が鎮座されている磐座があります。これは、磐筒男神に対する古の礼拝の名残とも言われています。」

「もう少し古代のお話しをいたしましょう。大津の港まで赴いた人々は、明石海峡を通り、播磨国の加古川へと進んだといいます。加古川を登っていくと、石生(いそう)という場所にたどり着きます。ここには、日本一低い分水嶺があり、日本海側へと通じる由良川へと船を進めることができます。古代の人々はこのようにして、日本海側へと船を進めて、大陸へと赴いていたのではないかと推測されています。」

「この交通ルートの中で、加古川という名前が出てきましたね。施福寺を創建されたのは、加古郡の行満上人という方と先ほどお話しいたしました。つまり、行満上人も奈良から大陸へとつながる一大交通ルートを通ってこの地を訪れたのだと思います。このことからも、古代の槇尾山は様々な地域から人々が訪れる交通の要衝の地であり、往来の安全を祈る霊地として信仰を集めていたということがお分かりいただけると思います。」

「往来の安全を祈る霊地として信仰を集めていた古代の槇尾山や施福寺には、様々な人物が訪れ修行に励んだと伝えられています。行基菩薩やその高弟である法海、南都六宗の一つである三論宗の高僧・勤操(ごんそう)、勤操のもとで得度したと伝えられている弘法大師空海などそうそうたる方々が施福寺で修行されたと伝えられています。このような方々とゆかりの深い仏様がおまつりされているので、順番にお参りしていきましょう。」

◇花山法皇を助けた「足守の馬頭観音様」

木造馬頭観音坐像

「お参りの皆さんに最初にお参りしていただく仏様が、こちらの馬頭観音様です。馬頭観音様は8本の腕を持ち、忿怒の表情を浮かべる観音様で、頭上に馬を乗せています。」

「施福寺の馬頭観音様は私たちに足の裏を向けているお姿が特徴です。馬頭観音様の「馬」は人間の生命力を表しているといいますから、『生命力の源は足である』ということを、そのお姿を通してお伝えしている観音様であるとお参りの皆さんにお話ししています。」
奉納された馬の像

「施福寺には馬頭観音様にまつわる逸話が残されています。今から約1000年前、観音菩薩の霊地を巡礼していた花山法皇は、施福寺への参拝の道中に道に迷ってしまったそうです。その時、馬頭観音様が花山法皇をお助けし、施福寺まで馬が花山法皇を案内したと伝えられています。この逸話にちなみ、施福寺の境内には様々な馬の像が信者の方々より寄進されています。」

◇豊臣秀頼公が再興した金色に輝く御仏たち

馬頭観音様にお参りした学生たちは、津守師に続いて本堂の中央へと向かいました。
そこには人の背丈をゆうに超える大きな仏様がいらっしゃいました。
御本尊・木造弥勒如来坐像

「皆さんが驚かれたように、施福寺には大きな仏様がいらっしゃいます。中央の仏様が弥勒如来様です。行満上人が施福寺を創建した際に御本尊として弥勒如来様をおまつりしたと伝えられています。」

「弥勒様というと、多くのお寺では弥勒菩薩様としておまつりしていることが多く、他の菩薩様のように煌びやかな宝冠や瓔珞を身に着けていらっしゃるお姿が多いです。その一方で、施福寺の御本尊様は、煌びやかな飾りは身に着けていない如来様のお姿をされている点が特徴です。」

「弥勒様は未来仏とよく言われますね。お釈迦様が入滅されてから約56億7000万年後に出現される仏様として信仰を集めており、それまでは兜率天で修行されていると伝えられています。煌びやかな飾りを身に着けている弥勒菩薩様は兜率天で修行されているお姿を、施福寺の御本尊様のような如来様のお姿は約56億7000万年後に出現された際のお姿であるとされています。」
木造文殊菩薩立像

「向かって右側には、文殊菩薩様をおまつりしています。右手に宝剣を、左手に経巻を持つお姿をされています。」

「奈良時代に行基菩薩が施福寺を訪れた際、文殊菩薩様を造立し、弥勒如来様の脇侍としておまつりしたと伝えられています。そのことから、現在の施福寺でも弥勒如来様の隣に文殊菩薩様をおまつりしています。」
木造十一面千手千眼観音菩薩立像

「そして、向かって左側には、十一面千手千眼観音菩薩様をおまつりしています。十一の面に複数の御手を持つお姿が特徴の観音様です。こちらの観音様は西国三十三所巡礼の第4番札所の札所本尊様でして、多くの方々にお参りいただいている観音様です。」

当初の十一面千手千眼観音様は、行基菩薩の高弟と伝わる法海というお坊さんにより造立された仏様であったそう。

木造四天王立像《左から広目天立像、増長天立像、持国天立像、多聞天立像》

「そして、四方には四天王様がおまつりされています。右奥が多聞天様、右手前が持国天様、左奥が広目天様、左手前が増長天様です。」

「現在皆さんがお参りしているこれらの仏様は、約400年前に豊臣秀頼公が施福寺を再興していただいた際に造立された仏様であると伝えられています。これは、天正9年(1581)、織田信長の兵による焼討ちにより全山が消失してしまったがゆえの再興でした。先ほど、皆さんが登ってきた参道沿いに坊の跡がいくつかあったと思いますが、焼討ち以前は、あのような石垣とともに数多くの坊があったと伝えられています。

「また、弘化2年(1845)には、山火事が発生してしまい、仁王門を残して境内の建物は全て焼失してしまいました。しかしながら、ご本尊様をはじめとするこれらの仏様は助け出され、今日まで大切に伝えられてきました。施福寺の御影には足元は波の上にのっています。これは航海の安全を約束するお姿でまつられています。」
大きな厨子に掲げられている扁額

「実は、最近まで御本尊様や他の仏様は秘仏としておまつりしていました。仏様の後ろをよく見ていただくと、大きな扉がありますよね。仏様はあの扉の内側におさめられており、そのお姿をお参りすることができたのは1年に1度の御開扉のときのみでした。」

「施福寺の仏様をもっと身近に感じていただきたい。施福寺をお参りしてよかったと思っていただきたい。そうした想いから、仏様にはお厨子の内から外へお出ましいただいて、身近に仏様のお姿をお参りできるように本堂を改修いたしました。そして、仏様の写真撮影も認めています。仏様のお姿を通して、施福寺の歴史や信仰、文化を実感していただきたいと考えています。」

◇「変化はチャンス」 悪い方角を良い方角へ変えてくださる大きな観音様

御本尊様をお参りした学生たちを出迎えたのは、大きな観音菩薩様
その大きさに学生たちは言葉を失いました。

木造方違大観音菩薩坐像

「こちらの大きな観音様は、方違大観音様と呼ばれて信仰を集めている観音様です。悪い方角・方位を良い方角・方位へ変えてくださる観音様として古来より信仰が篤く、転宅や転勤、結婚、家の新築、旅行など、新しい変化の際にお参りする方々が多い仏様です。」

「皆さんがこれから歩んでいく人生の中で様々な変化があると思います。新しい場所、新しい環境に歩みを進めることは躊躇してしまったり、怖かったりすることもあると思います。しかし、変化を恐れずに一歩を踏み出すと、今まで見えなかった新しい世界が広がっています。『変化はチャンス、チャンスは変化』。この大きな観音様は、人生の大きな節目や変わり目に直面している皆様に寄り添う仏様です。」

◇施福寺で育まれた様々な信仰を伝える仏様たち

本堂の奥、丁度御本尊様の背中側にたどり着いた学生たち。
そこには、様々な仏様が立体的におまつりされている仏様の世界が広がっていました。
木造二十八部衆立像

「こちらには、施福寺に伝えられている多様な仏様をおまつりしています。壁面におまつりされているお像は、先程お参りしていただいた十一面千手千眼観音様の眷属である二十八部衆様です。よくご覧いただくと、風神や阿修羅など有名な方々もいらっしゃると思います。」

「両脇の壁面におまつりしている二十八部衆様の下には、それぞれお坊さんのお像をおまつりしています。向かって左側が弘法大師、右側のお厨子の内にいらっしゃる方が伝教大師になります。」
愛染堂(弘法大師御髪所跡)

「施福寺は、弘法大師が得度されたお寺であり、伝教大師の手引きにより遣唐使船に乗り唐へと留学する前に施福寺に滞在していたと古来より伝えられてきました。」

「本堂へと続く参道沿いには、弘法大師が剃髪される際にご自身の姿を写した「姿見の井戸」や剃髪された場所に建つ愛染堂、剃髪された髪が納められているという「弘法大師御髪堂」があります。」

「このような歴史を伝えていることから、施福寺は天台宗のお寺ですが、弘法大師ともゆかりの深いお寺でもあります。弘法大師と伝教大師のお像がこのように並んでおまつりされているお寺は珍しいと思います。」
木造弁財天坐像

「そして、十一面千手観音様を中心に左に不動明王様、右に弁財天様、手前に慈恵大師様をおまつりしています。」

「右側におまつりされている弁財天様は、近年修復が完了した仏様です。こちらの弁財天様は、もともと、琵琶湖に浮かぶ弁財天様の霊地・竹生島の宝厳寺におまつりされていた仏様で、天正17年(1589)に雨乞いの為の法要の本尊として造立された仏様であったそうです。」

「どのような経緯で施福寺へお移りになられたのか、まだまだ分からないことも多いですが、修復を担当いただいた松永忠興師は「素晴らしい弁財天様」と仰っていました。」

木造涅槃像(なで仏)

「そして、最後に御紹介したい仏様がこちらのお釈迦様の涅槃像です。お釈迦様は80歳で入滅されたと伝えられています。施福寺では、お釈迦様が長寿であったことにあやかり、涅槃像をなでて健康長寿を祈る信仰があります。皆さんもぜひ撫でていただいて、元気に健康で生活いただいて、また施福寺をお参りいただければと思います。」

険しい参道を登った先に広がる仏様の世界。
そこは、古代より人々の清らかな祈りが満ち、未来へ紡がれるあたたかな空間でした。
仏様のもとに様々な人々が集い、一期一会の出会いが生まれ自然と笑顔が育まれる施福寺。
穏やかに降りそそぐ日に光のもとで、人々が紡いできた悠久の歴史を体感する訪問となりました。

◇参加学生の感想

今回の訪問では、おまつりされているそれぞれの仏様のお姿には、それぞれ意味があること、そして、仏様のお姿を実際に見て参拝者の方々に感じていただくために、秘仏であった仏様を現在のように公開しているご住職の想いに感動いたしました。

最初にお参りした馬頭観音様は、足の裏をこちらに向けている珍しいお姿をされており、それは『馬力』という言葉や『第2の心臓』とも呼ばれる足が生命力を高めるために大切であるということを表しているとお聞きしました。観音八丁と呼ばれる参道を歩いて登り、最初に馬頭観音様をお参りし、無事にお参りできたことへの感謝と生命力をいただく。施福寺が伽藍を構える山の麓から仏様へお参りするまで、物事には全て意味があり、それらは繋がっているのだと感じました。

立命館大学 博士課程
施福寺
〒594-1131 大阪府和泉市槙尾山町136