いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
丹波の春を告げる「鬼こそ」で有名な創建1300年以上の古刹「常勝寺」を訪ねる
山々が並び、豊かな自然の恵みに彩られる兵庫県丹波市。
瀬戸内海に注ぐ加古川と日本海に注ぐ由良川の源流が近づく現在の丹波市一帯は、古来より交通の要衝として知られ、様々な人々が往来し文化を育み、そのような人々の祈りを受け止めるために多くの寺院が創建され、歴史を伝えてきました。
今から約1300年以上昔に創建された古刹・常勝寺もその一つ。
兵庫県を中心に様々な伝説や逸話を残す法道仙人(ほうどうせんにん)によって創建されて以来、丹波地域を代表する悠久の歴史を紡ぐお寺として人々の信仰を集めています。
毎年2月11日には、丹波の春を告げる行事『鬼こそ』が行われ、新たな1年の無病息災を願う人々が境内に集います。
本堂まで続く365段の石段を四季折々の草花が美しく彩る常勝寺の魅力を、常勝寺のご住職を務める宮崎実康師にご案内いただきました。
瀬戸内海に注ぐ加古川と日本海に注ぐ由良川の源流が近づく現在の丹波市一帯は、古来より交通の要衝として知られ、様々な人々が往来し文化を育み、そのような人々の祈りを受け止めるために多くの寺院が創建され、歴史を伝えてきました。
今から約1300年以上昔に創建された古刹・常勝寺もその一つ。
兵庫県を中心に様々な伝説や逸話を残す法道仙人(ほうどうせんにん)によって創建されて以来、丹波地域を代表する悠久の歴史を紡ぐお寺として人々の信仰を集めています。
毎年2月11日には、丹波の春を告げる行事『鬼こそ』が行われ、新たな1年の無病息災を願う人々が境内に集います。
本堂まで続く365段の石段を四季折々の草花が美しく彩る常勝寺の魅力を、常勝寺のご住職を務める宮崎実康師にご案内いただきました。
◇法道仙人による創建、本堂へ続く365段の石段を登り1300年以上の歴史を体感する

ご住職とともに少し歩くと、『竹林山』と記された大きな石碑と『普門橋』という橋にたどり着きました。

「常勝寺は、大化年間(645 - 650)に法道仙人という方によって創建されたお寺であると伝えられています。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、法道仙人は様々な伝説や逸話を残すお方でして、兵庫県を中心に法道仙人によって創建されたと伝える様々なお寺が歴史を伝えています。」
「この地を訪れた法道仙人は、観音菩薩様をおまつりしたと伝えられております。その後、この山一帯に堂塔伽藍が整備されて、全体で約70の僧房が軒を連ねていたそうです。しかしながら、火災や戦国時代の戦に見舞われてしましました。現在の常勝寺の建物は、江戸時代に復興された建物や明治時代以降に建立された建物が伝えられています。」
「常勝寺は観音菩薩様と深いご縁があるお寺でして、この普門橋の名前も観音菩薩様について記され「観音経」とも呼ばれる『法華経』の「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)」から名付けられています。」
「この普門橋は昭和41年に架けられた橋で、以前の橋は屋根付きの木造の橋が架けられており、『廊下橋』として地域の方々に親しまれていました。残念ながら昭和40年の台風の際に増水によって流されてしまいましたが、流される以前に撮影された古い写真が何枚か残されています。」
ご住職とともに橋を渡ると、朱色の仁王門へたどり着きました。
「こちらの仁王門の左右には仁王様をおまつりしています。向かって右側のお像が口を開けている阿形像、左側のお像が口を閉じている吽形像で、お寺の内に悪い存在が入ってこないように目を光らせている仏様です。」
「こちらの仁王門の左右には仁王様をおまつりしています。向かって右側のお像が口を開けている阿形像、左側のお像が口を閉じている吽形像で、お寺の内に悪い存在が入ってこないように目を光らせている仏様です。」

実は近年、吽形像にスズメバチが巣を作ってしまったのだそう。
「2020年の8月頃から、吽形像にスズメバチが巣を作ってしまいました。仁王様は造立されてから数百年たつ仏様ですので、当時、目の部分に隙間がありました。おそらく、その隙間から吽形像の胎内に入ってしまったのだと思います。一番巣が大きかった時期には、巣が顔を覆ってしまうほどの大きさになってしまいました。巣を取り除くにしても仏様ですから簡単には取り除くことができず、ハチが巣を離れた時期に巣を取り外し、ご縁のあった仏師の方に修復を実施していただきました。」
当時の写真を見せていただくと、今の凛々しいお姿からは想像できないほど、顔全体がハチの巣に覆われていました。

「今回、ハチの巣を取り除くために吽形像の胎内を調べていただくと、元禄8年(1695)とも読める墨書きが見つかりました。まだまだ詳細な調査が必要ですが、おそらくこの時期に造立された仏様であると仏師の方もお話しされていました。」
「今回の一件で私も改めて実感したのですが、仁王様のようにこれだけ大きな仏様を間近で見る事ができるのはなかなか無いと思います。私たちはどうしても御本尊様に目がいってしまいますが、お参りいただく皆さんにも私たちと距離の近い仁王様に注目していただき、歴史を体験していただけたらなと思っています。」

仁王門
「また、仁王様が安置されている仁王門も仁王様と同じ時代に建てられた建物であると伝えられています。ただ、先程お話しした昭和40年の台風によって1層部分が壊れてしまい、2層目は古い部材のままで、1層部分を鉄筋コンクリートで新しく作っています。コンクリートの建物と木造の建物が共存している何とも不思議な建物で、どのように建てたのだろうと私も長年不思議に思っています(笑)。」
様々な困難や災難に見舞われながらも歴史を紡いできた常勝寺。
常勝寺の入口に架かる橋や仁王門、仁王様のお姿からは、その復興の歴史を、復興に携わった先人たちの息づかいを感じることができました。
仁王様に見守られながら、ご住職とともに参道を進みます。
ふと目線を上げると、一直線に本堂へと延びる石段が学生たちを驚かせます。
様々な困難や災難に見舞われながらも歴史を紡いできた常勝寺。
常勝寺の入口に架かる橋や仁王門、仁王様のお姿からは、その復興の歴史を、復興に携わった先人たちの息づかいを感じることができました。
仁王様に見守られながら、ご住職とともに参道を進みます。
ふと目線を上げると、一直線に本堂へと延びる石段が学生たちを驚かせます。

「この石段は、昭和3年(1928)、昭和天皇御即位に関係する行事を記念して整備されました。石段の両脇の部分をご覧いただくと、モルタルやコンクリートで作られた境の部分と溝があります。境の部分には曲線を施し、そして境の部分と溝の部分の表面には『洗い出し仕上げ』という表面を磨いて模様を表す技巧が施されて丁寧につくられています。本堂の近くには、この石段整備の記念碑が建っており、詳しく読んでみると現在のお金で1000万円近い費用がかかったようです。」
「このような石段の整備を含め、常勝寺の広大な境内を護持運営していくためには、資金と労力が必要となります。常勝寺は、他の天台宗のお寺と同様に祈願を行うお寺としての側面が強いお寺で、藩からの援助のあった江戸時代が終わり明治時代になるとますます困窮してしまったそうです。」

山中にあるお寺ですが、どこか穏やかで柔らかな雰囲気に包まれる常勝寺。
どこか懐かしく居心地のよい常勝寺の境内には、常勝寺を守り伝える皆さんの想いが溢れています。

「常勝寺は天台宗のお寺ですが常勝寺のある地域では弘法大師様への信仰も篤く、弘法大師様をおまつりする大師堂というお堂がかつて存在していました。明治時代には地域のある女性が代表して四国八十八カ所を巡礼したそうです。その際、札所のお寺の境内の土を持ち帰り、それぞれの祠に納めたそうです。」
「この四国八十八カ所の仏様たちは、常勝寺の境内をぐるっと一周するようにおまつりされていまして、以前は地域の方々から構成された大師講の皆さんによって大切に伝えられてきました。しかしながら、ご高齢の方々も多いですし、祠を構成する石組など修復する技術者の方々も引退されてしまい、未来へ伝えるために困難に直面しているのが正直なところです。現在は、地域の皆さんと協力しながら少しずつ修復を行っています。」

客殿
参道の左右におまつりされる仏様にお参りしながら石段を登っていくと、大空にまっすぐ枝を広げる大きな銀杏と建物が見えてきました。
「こちらの建物は、常勝寺の客殿と庫裏です。もともとは慈眼院という塔頭の建物でした。明治の初めには、このような塔頭が5つ存在していましたが、時代の流れと共に慈眼院の建物のみ伝えられています。石段の左右に平らな土地があったと思いますが、かつてその場所に塔頭が存在していました。」
参道に面した庫裏の門をくぐると、大きな建物が並んでいました。
「こちらの建物は、常勝寺の客殿と庫裏です。もともとは慈眼院という塔頭の建物でした。明治の初めには、このような塔頭が5つ存在していましたが、時代の流れと共に慈眼院の建物のみ伝えられています。石段の左右に平らな土地があったと思いますが、かつてその場所に塔頭が存在していました。」
参道に面した庫裏の門をくぐると、大きな建物が並んでいました。

「位牌堂はどこへお移ししたのかといいますと、本堂側を見ていただくと、小さなお堂の屋根が見えると思います。あちらが移した位牌堂の建物になります。現在は新しく位牌堂を建立したので、旧位牌堂と呼んでいます。こちらの旧位牌堂にも魅力がありますので、近くへ行ってみましょう。」
石段を少し登り旧位牌堂に近づくと、生き生きとした龍の彫刻が学生たちを出迎えました。

「残念ながらこの龍が何代目の中井権次の作かは不明ですが、中井権次は歴代通じて龍の彫刻の名手であったそうなので、中井権次の技術力を体感することができる貴重な文化財だと考えています。」

「もう少しすると葉っぱが黄金色になり、この一帯に黄色い絨毯を敷いたようになります。常勝寺をお参りいただく皆さんにもこの美しい景色を楽しんでいただきたいと考えています。ただ、大きな木ですから落ちる葉っぱの量も多く、落ち葉掃除が毎年大変です。。。(笑)」
◇静かな空間に紅が映える本堂と薬師堂

庫裏の時点で365段の石段は半分ほど。
ご住職とお話しをしながら、残りの石段を登ります。
夕暮れ時、白い息を吐きながら歩みを進めると、深い緑の中に建つ紅のお堂が見えてきました。
ご住職とお話しをしながら、残りの石段を登ります。
夕暮れ時、白い息を吐きながら歩みを進めると、深い緑の中に建つ紅のお堂が見えてきました。

「正面に見える紅の建物が常勝寺の本堂になります。この本堂は江戸時代の元禄10年(1697)に建立された建物になります。正面を見ていただくと、緻密で美しい彫刻がありますね。あちらの彫刻も、旧位牌堂でお話しした中井権次によって手掛けられた彫刻になります。」
「実はさらに本堂より上に建物が続いていました。地図をご覧いただくと、本堂の近くに「中本堂(なかほんどう)」とありますね。残念ながら建物は残っていませんが、建物を支えていた礎石が今も残っています。さらに中本堂から進むと、空本堂(そらほんどう)という建物が建てられていたと伝えられています。空本堂はいわば奥の院のような存在でした。」
「残念ながら空本堂も建物は残っていません。しかし、空本堂におまつりされていたと伝えられている仏様が現在もおまつりされています。その仏様こそ、本堂の左側に建つ薬師堂におまつりされている薬師如来様になります。薬師如来様は秘仏としておまつりをしておりますが、せっかくの機会ですから薬師如来様にお参りいただきたいなと思います。」
ご住職をはじめ常勝寺の皆さんのご厚意により、特別に薬師如来様を御開扉していただきました。
ご住職がお厨子の扉を開くと、薄暗い中に凛々しい眼差しを向ける薬師如来様のお姿が現れました。

秘仏・木造薬師如来坐像《国指定重要文化財/33年に一度の御開帳》
「こちらが薬師如来様になります。造立されたのは鎌倉時代頃と考えられており、国の重要文化財に指定されている仏様です。」
「皆さんにお配りしたパンフレットにもそのお姿の写真がありますね。その写真と実際のお姿を比べていただくと、胸のあたりが綺麗になっているように見えると思います。これは、近年薬師如来様を修復していただいた際に綺麗にしていただいたためです。」
「皆さんにお配りしたパンフレットにもそのお姿の写真がありますね。その写真と実際のお姿を比べていただくと、胸のあたりが綺麗になっているように見えると思います。これは、近年薬師如来様を修復していただいた際に綺麗にしていただいたためです。」

「薬師如来様は33年に一度、常勝寺の御本尊様が御開扉される際にともに御開扉する秘仏としておまつりしております。以前の御開扉が平成25年(2013)ですので、次回はあと20年後くらいですね。そのとき皆さんも再び常勝寺をお参りいただければと思います。」
凛々しく精悍なお姿をされる薬師如来様との出会いを胸に、本堂へ歩みを進めます。
◇銅で造立された珍しい千手観音様を御本尊としておまつりする

「先ほどお話ししたように、この本堂が建てられたのは江戸時代の元禄10年(1697)ですが、このような「天台様式」の建物になったのは、明治時代のこと。参道整備の際に登場した實應法印によって改築されました。本来であれば、根本中堂と同じように、皆さんに外陣から御本尊様と目線を合わせてお参りいただきたいのですが、もともとは「天台様式」の建物ではなかったようですから、お勤めをする壇などを内陣に置くスペースが無く、外陣に設けています。」

「木造ではなく銅造の珍しい仏様でして、寄木造の仏像と同様に、腕と身体とを別々に鋳造して組み合わせるという技法で造立されています。伝えられているところによると、常勝寺を創建した法道仙人の護念持仏を頸に鋳込んで造立されているそうです。平安時代から鎌倉時代にかけて造立された銅造の千手観音菩薩様は全国的に見ても珍しいそうで、国の重要文化財に指定されています。」
「御本尊様は、33年に一度御開扉される秘仏です。前回は平成25年(2013)に行われました。その際、新しい発見がありました。」

「お参りいただく皆さんのためにも、いつかお前立の観音菩薩様をおまつりしたいと考えておりました。そして平成25年、御開扉したところ、御本尊様がおまつりされている厨子の内部にバラバラの状態の仏様がいらっしゃいました。すべてを集めて仏師の方に修復していただいたところ、なんと千手観音菩薩様のお姿となりました。それ以来、この木造の千手観音菩薩様を御本尊様のお前立としておまつりしております。」
◇丹波の春を告げる『鬼こそ』

鬼こそで使用される法道仙人と鬼のお面
御本尊様がおまつりされる須弥壇の前には、ギョロっとした大きな目が特徴的な大きなお面が並べられていました。
「こちらのお面は毎年2月11日に行われる『鬼こそ』という行事で使用されるお面です。現在使用しているお面は3代目で、お寺に伝えられている最も古いお面が室町時代に作られたお面であると言われています。ですので、少なくとも約600年の歴史のある行事です。」
「こちらのお面は毎年2月11日に行われる『鬼こそ』という行事で使用されるお面です。現在使用しているお面は3代目で、お寺に伝えられている最も古いお面が室町時代に作られたお面であると言われています。ですので、少なくとも約600年の歴史のある行事です。」

「鬼こそでは、常勝寺を創建した法道仙人と4体の鬼が登場します。これは、法道仙人が常勝寺を創建する際に村人を苦しめていた鬼を改心させたことに由来します。そして、人間の味方となった良い鬼たちが堂内を練り歩き、人々の厄や災いを取り払う行事が鬼こそということになります。ですので、鬼こそに登場する鬼たちは、節分の豆まきに登場する鬼のような悪い鬼ではなくて、良い鬼という点が特徴です。」

「例えば、火に着目してみましょう。火が大きく燃え広がってしまうと私たちにとって災いとなってしまいますが、火を上手に使う事で美味しい料理や温かいお風呂に入ることができますね。他の水や風、病も同じように考えれば、私たちにとって有益な側面もあるということです。つまり、この4体の鬼たちは私たちが幸せになるヒントを皆さんに示しているとも言えそうですね。」
鬼という存在に込められた先人たちの考え方に感銘を受ける学生たち。
さらに、ご住職と鬼こその魅力を語らいます。

「多くのお寺では、小さな鬼のお面を付け、両手を使い、松明をぶつけるなど荒々しいものが多いのですが、常勝寺の鬼こそは、大きなお面を片手で支えながら、もう一方の手で松明や剣などを持つという珍しいものです。実際に被ると、視野も狭く動くことも大変なのですが、地域の方々から構成されている保存会の皆さんが練習を重ねていただき、毎年素晴らしい鬼こそを行ってくださっています。」
「鬼たちは様々な動作を行いますが、最後に松明を持っている鬼が、松明を本堂の縁から投げます。その松明を持ち帰っていただくと1年間無病息災で暮らすことができると伝えられており、松明が投げられると奪い合うようにして取り合います。実は、投げられる松明には火が付いたままですので、結構危険ではありますね(笑)。」
「また、常勝寺のある地域は養蚕が盛んな場所でして、この松明の一部を箸のように使って蚕を移すと元気な蚕に育つと伝えられています。鬼こそは地域とともに伝えられてきた大切な行事ですので、これからも皆さんと手を取り合って伝えていきたいと考えています。」

気が付けば日が沈み、周囲がうっすらと暗くなっていました。
今回の訪問の最後、学生たちは先人たちの想いがこもる石段を下り、客殿を訪れました。
朝には向かいの山に日が昇り、夜には美しい月を眺めることができるという客殿。
客殿へ入ると、薄暗い中に紅葉の赤色が映え、穏やかで優しい景色が広がっていました。
地元の皆さんに愛され守り伝えられてきた常勝寺。客殿から眺める美しい景色には、地域の皆さんと歴史を紡いできた常勝寺の悠久の歴史が秘められていました。

◇参加学生の感想

薬師如来様が現代にまで守り伝えられているのは、多くの人々の祈りが込められているからであるのだと思います。近年修復も終えたとのことで、これからも長い間常勝寺から多くの人々を見守り続けてくれている存在であるのだと思いました。
奈良大学 博士前期課程 2年
常勝寺
〒669-3131 兵庫県丹波市山南町谷川2630
〒669-3131 兵庫県丹波市山南町谷川2630
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います