四季折々の花々が境内を彩り、人々の心を癒す浄土が広がる「白毫寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

四季折々の花々が境内を彩り、人々の心を癒す浄土が広がる「白毫寺」を訪ねる

兵庫県の丹波市に、藤の花や紅葉の名所として人々に親しまれている天台宗の古刹・白毫寺(びゃくごうじ)が伽藍を構えています。

白毫寺は、今から約1300年前、現在の兵庫県を中心に様々な伝説や逸話を残す法道仙人によって創建されたと伝えられています。法道仙人とともに天竺から当地へお移りになられた薬師如来様のもとには様々な人々が集い、白毫寺の境内には清浄な空気が満ちています。

十一月のはじめ、山々に育つモミジが紅に色づき始めた秋晴れの日の午後、学生たちが白毫寺を訪れ、ご住職を務める荒樋勝善師に白毫寺の魅力を伺いました。

◇法道仙人が創建し、慈覚大師によって中興された古刹

「本日はようこそお参りいただきました。折角の機会ですから、白毫寺の魅力をお話しする前に、皆さんと一緒に般若心経をお唱えしたいと思います。」

本堂に響く般若心経の読誦の声。
堂内に響く声は澄みながらも柔らかく、創建されてから約1300年間、白毫寺に紡がれてきた祈りを自然と感じさせるものでした。

「皆さん、ありがとうございました。それでは、最初に白毫寺の歴史についてお話ししていきたいと思います。」

「白毫寺が創建されたのは、今から約1300年前。慶雲2年(705)のことです。法道仙人という方が白毫寺を創建されました。法道仙人という方は、天竺(現在のインド)から中国の五台山へ赴き修行を重ね、日本へと渡ってこられたと伝えられている方で、現在の兵庫県を中心に、法道仙人が創建したというお寺や逸話・伝説が様々伝えられています。」

「この『白毫寺』というお寺の名前は法道仙人が名付けたと伝えられています。仏様をご覧いただくと、眉間に丸いふくらみがあることが分かりますね。このふくらみを白毫(びゃくごう)といい、実際には白い毛が渦巻いているそうです。仏様はこの白毫から光を放って人々を救うと言われています。」

「少し話しはそれますが、紅茶の等級を表す言葉に『オレンジ・ペコー(Orange Pekoe)』という言葉がありますね。このペコー(Pekoe)という言葉は、中国語の白毫の発音が由来であるとされています。オレンジ・ペコーと称される茶葉には若い新芽が用いられ、その若い新芽には白い産毛が生えていることから、白い毛が渦巻く『白毫』と結びついたのだそうです。身近なところに仏教の言葉が秘められていますね。」

身近な言葉に秘められている仏教の言葉に驚く学生たち。
ご住職の魅力的で興味深いお話しが続きます。

「法道仙人が白毫寺を創建してから数百年後の承和14年(847)、白毫寺を慈覚大師円仁という天台宗のお坊さんが訪れます。慈覚大師は伝教大師のお弟子のひとりで、唐に渡り各地で修行をされ、日本仏教や文化に多大な影響を与えた方です。」

「唐から戻られた際に白毫寺を訪れた慈覚大師は、5つの峰に囲まれた地に伽藍を構える白毫寺の景色を見て、自らが修行した五台山の景色を思い出したそうです。このことから、慈覚大師は白毫寺の山号を『五台山』と名付けたと伝えられ、後の時代に現在の『五大山』という山号になりました。」

「白毫寺と慈覚大師の深い繋がりを伝える文化財が今日まで大切に伝えられています。せっかくですので、今回特別に皆さんに実物をご覧いただきたいと思っております」
ご住職のご厚意に目を輝かせる学生たち。
そのような学生たちの前に並べられたものは、白毫寺の悠久の歴史を表すような荘厳な輝きを放つ「五種鈴(ごしゅれい)」でした。

五種鈴《兵庫県指定文化財》【非公開】

「こちらは五種鈴といいまして、密教の特別な修法を行う際に用いる法具になります。その名前の通り、持ち手の先端がそれぞれ異なっており、それぞれ独鈷鈴(とっこれい)・三鈷鈴(さんこれい)・五鈷鈴(ごこれい)・宝珠鈴(ほうしゅれい)・塔鈴(とうれい)という5種類の鈴から構成されています。」
五種鈴《兵庫県指定文化財》【非公開】

「仏様のうち5という数字と深い関係がある仏様といえば、その通りです、五大明王様ですね。五大明王様といえば、不動明王様を中心に左右に4体の明王様を配しております。天台宗では、五大明王様をお招きして護国の祈りを届ける特別な密教の修法がございまして、その修法で五大明王様をお招きするときやお帰りいただくときに、この五種鈴を鳴らすそうです。」

「こちらの五種鈴は、慈覚大師様が唐より帰国の折に日本へ持ち帰ってきたものと白毫寺では伝えられてきました。実際には、鎌倉時代に日本で造られたものとのことですが、このような五種鈴が欠けることなく一具で伝えられていることは珍しく、一具で伝えられている五種鈴の中では最古級であるとのことです。このような点から、兵庫県の文化財に指定されています。」

本堂に響く五種鈴のりーんという荘厳な音色。
その音色は、学生たちの心を震わせます。
五種鈴の音色とともに、学生たちを包み込む白毫寺の悠久の歴史。
ご住職とともにその歴史へ更なる歩みを進めていきます。
石造宝篋印塔《兵庫県指定文化財》

「慈覚大師が白毫寺を訪れて以来、白毫寺はますます発展を遂げることとなりました。鎌倉時代までには七堂伽藍が整えられ、最盛期には93の僧房が軒を連ねていたといいます。」

「この白毫寺の隆盛を支えていたのは、地域の方々や地元の有力者の方々の信仰でした。その信仰の一端を伝えているのが、白毫寺の境内に伝えられている石造宝篋印塔です。この宝篋印塔には銘文が刻まれており、貞治4年(1365)に領主である赤松貞範の供養塔として建立されたことが分かります。この宝篋印塔の近くには、至徳元年(1384)の銘文が刻まれた石塔の基礎も伝えられており、地域に暮らす当時の人々から大いに信仰を集めていたことが分かります。」

「隆盛を極めていた白毫寺には、たくさんの人々が訪れたことでしょう。中世の白毫寺の門前には門前町が形成され、旅館や飲食店などが並んでいたそうです。現在でも白毫寺の近隣には地域の方々が暮らしていますが、様々な苗字の方々がいらっしゃいますから、様々な職種の方々が集ったという門前町の歴史を伝えているのだと思います。」
荻野直信書状【非公開】天正7年、丹波攻めに備えるために、保月城(黒井城)に入っていた荻野直信が白毫寺に発給した書状。保月城の修築のために各寺院にその普請を分担させる代わりに、各条の賦課を免除している。

「隆盛を極めていた白毫寺ですが、戦国時代になると困難に直面することになります。」

「天正3年(1575)、皆さんご存じの織田信長は、白毫寺が伽藍を構える丹波の攻略を明智光秀に命じたといいます。その命令に従い、明智光秀がこの白毫寺の近くにある保月城(黒井城)を攻めてまいりました。明智方は2度攻撃を行いましたが、保月城を落とすことはできませんでした。」

「なぜ明智方は保月城を落とすことができなかったのでしょうか。これには秘密がありました。保月城の正面は現在の春日町でした。明智方はこちら側をおさえて保月城に対し兵糧攻めを行ったそうなのですが、実は、この白毫寺のある側、いわばお城の裏口から食べ物や飲み水が補給されていたために、落とすことができなかったのだと伝えられています。特に飲み水に関しては、白毫寺の裏山から、竹のパイプを用いて水を引いていたそうです。当時の技術力の高さに驚きますよね。」
斎藤利三下知状【非公開】

「2度明智方の攻撃を跳ね返した保月城ですが、残念ながら3度目の攻撃を防ぐことはできませんでした。保月城の正面をおさえても意味をなさないと考えた明智方は、保月城の周囲を徹底的に調べ、ついに白毫寺側から補給がされていることに気づいてしまいました。そのため、3度目の攻撃の際に白毫寺一帯は焼討ちされてしまい、たくさんの僧房や七堂伽藍を誇っていた白毫寺は全山焼失してしまったと伝えられています。」

「しかしながら、御本尊様だけは奇跡的に兵火を逃れたと伝えられております。白毫寺に伝えられている逸話によると、白毫寺を焼討ちした後、近くの山の山頂が夜な夜な光り輝いていたそうです。奇妙に思った明智方の武士たちがその場所を訪れてみると、白毫寺の御本尊様がひとりでに逃れていたのだそうです。『霊験あらたかな仏様である』と感じた明智光秀は、攻略した保月城に入り当地の統治を任せていた配下の武将・斎藤利三に命じて白毫寺の復興を行いました。その際に白毫寺へ出された下知状が大切に伝えられています。」

本堂・庫裏(旧圓照院本堂・庫裏)

「戦国時代が終わり江戸時代になると、戦で傷ついた白毫寺の境内の整備が行われました。現在の境内に広がる庭園や心字池、太鼓橋、建物などは、江戸時代初期から中期頃にかけて整備されたものであると聞いております。」

「しかしながら、往時は93坊あった僧房の多くは復興することはできず、本坊である圓照院(えんしょういん)やいくつかの僧房に暮らす僧侶たちによって白毫寺は歴史を紡いでおりました。現在皆さんとお話ししているこの本堂と隣の庫裏は、もともと圓照院の建物でした。建物をご覧いただくと、当時の規模や歴史を体感できるかと思います。その後、明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈運動により、それらの僧房も失われてしまいましたが、地域の皆様や信徒の皆様と力を合わせて今日まで歴史を繋いでおります。」

約1300年の歴史をご住職とともに歩んだ学生たち。
おまつりされている仏様、秋の穏やかな日差しに照らされている境内の建物や自然に白毫寺の歴史が秘められていることに気が付きました。

「それでは、実際に白毫寺の境内を巡りましょう。」

ご住職とともに白毫寺の境内へ歩みを進めます。

◇境内に広がるお薬師さまの浄土

ご住職とお話しをしながらしばらく進むと、金色に色づいた大きな銀杏の木のもとに、木製の橋と澄んだ水を湛える池が見えてきました。

心字池と太鼓橋《丹波市指定文化財》

「こちらの橋が太鼓橋(たいこばし)、その太鼓橋が架かる池が心字池(しんじいけ)になります。太鼓橋は江戸時代に架けられた橋で、全国的にも珍しいことから丹波市の文化財に指定されています。また、心字池は実際に『心』の字を4つの池で表しております。」
太鼓橋《丹波市指定文化財》

「この心字池は、私たちが暮らす俗世と仏様の世界を隔てる結界として設けられ、太鼓橋は俗世と仏様の世界を結ぶ橋として架けられています。」

「ご覧いただくと、心字池を挟んで手前側の俗世と向こう側の仏様の世界の景色は、ほとんど変わりませんね。地面の高さが変えられているわけでもないですし、育っている木々も同じです。これは、私たちが暮らす俗世と仏様の世界には大きな違いはないということを表しています。ただ一つ、仏様の世界に赴くために必要なことがあります。それは何でしょう?ヒントは心字池です。」

「それは何かというと。。。『心』です。ですから『心』の字を模した池が結界として設けられているのだと伝えられています。そして、仏様の世界に赴くためには、心を磨くと言えばよいでしょうか、一生懸命努力を重ねなければなりません。その厳しさを太鼓橋の厳しい傾斜が表しているのです。」
心字池

太鼓橋と心字池に込められた先人たちの教えの数々。
そこには、先の世で一生懸命に日々を過ごした先人たちの息遣いが感じられました。

「それでは、御本尊様のもとへとまいりましょう。太鼓橋を渡っていきたいところですが、屋根がありますから今回は橋の横を渡ります。横から見ると、かなりの傾斜であることが分かりますよね。私が子供のころは手を使わずにどこまで登れるか、友達とよく競争しましたね(笑)。」

ご住職と談笑しながら心字池を渡り、仏様の世界へたどり着いた学生たち。
御本尊様のもとへと歩みを進めます。

薬師堂

「こちらが白毫寺の御本尊様をおまつりする薬師堂です。江戸時代頃の建物であると伝えられています。せっかくの機会ですから、堂内へとお入りください。」

薬師堂内陣

「中央にお厨子がございますね。こちらに白毫寺の御本尊様である薬師如来様をおまつりしております。御本尊様は立っている立像のお姿でして、白毫寺では法道仙人とともに天竺より日本へ飛来した薬師如来様あると伝えられております。」

「33年に一度御開帳が行われる秘仏としておまつりしており、前回の御開帳は平成20年に行いました。お厨子の前にはお前立の薬師如来様をおまつりしております。」
お前立・木造薬師如来立像(中央)・木造日光菩薩立像(右)・木造月光菩薩立像(左)

「薬師如来様の周囲をご覧いただくと、お厨子の左右に1体ずつ穏やかな表情の菩薩様がいらっしゃいます。右側の菩薩様が日光菩薩様、左側の菩薩様が月光菩薩様でして、お名前が表すように、太陽の出ている昼間に日光菩薩様が、月の出ている夜に月光菩薩様が薬師如来様を補佐されております。」

「さらに、薬師如来様の眷属である十二神将様を左右におまつりしております。十二神将様の頭の上をご覧いただくと何か乗せていますね。こちらは十二支を表しています。よく丑三つ時と言いますが、昔の日本では十二支が時間を表す言葉として使われていました。一説には、十二支が表す時間と十二神将様は対応しており、1日を2時間ずつ交代で守護されているのだそうです。ぜひ皆さんの生まれ年のお像を探してみてください。」

木造十二神将立像

「仏様の鮮やかなお姿が印象的ですが、これは前回の御開帳の際、お前立の薬師如来様や日光菩薩様、月光菩薩様、十二神将様の修復をお願いしまして、造立当初の美しいお姿に直していただきました。」
木造法道仙人立像

「また、脇の壇には、白毫寺を創建した法道仙人のお像をおまつりしております。先ほどお話ししたとおり、兵庫県を中心に法道仙人が創建したお寺は数多く伝えられているのですが、法道仙人のお像をおまつりしているお寺は珍しいのだそうです。」

「白毫寺では、立っているお姿の法道仙人のお像をおまつりしております。造立された時代は、おそらく江戸時代頃だと思います。」

白毫寺におまつりされる仏様と向き合う学生たち。
おまつりされる仏様は、その穏やかな眼差しで白毫寺の歴史を見守り続けてきました。
仏様の美しく包容力のあるお姿からは、白毫寺の歴史を伝えてきた先人たちの姿が感じられました。

◇誰もが気軽に訪れることのできるお寺を目指して

境内を巡り再び本堂へと戻ってきた学生たち。
ご住職が学生たちへ語り掛けます。
九尺ふじ

「今回のご訪問では、残念ながら皆さんにご覧いただくことができなかったのですが、毎年5月頃には、境内を藤の花が彩ります。本堂の隣に広場がありまして、L字型で約120メートルの藤棚がございます。植えているのは「九尺ふじ」という花の房が長い品種でして、美しさだけでなく迫力も感じさせる花が特徴です。」

「先代住職のころから白毫寺では『誰もが気軽に訪れるお寺』を目指しております。今の社会では、お寺というとどうしてもお葬式や法事のイメージがありますよね。そして、どちらかというと天寿を全うされてからの場所という感覚があると思います。」

「しかしながら、私は、来世のためだけでなく、今の世を懸命に生きている人のためのお寺にしていきたいと考えています。訪れると心がほっとするような、皆さんが心穏やかに暮らすことの一助となるようなお寺を目指して、先代のころより境内に藤の花やモミジの木、桜の木などを植えて、四季を通じて皆さんが幸せを感じることのできるように頑張って境内の整備をしております。」

「そして、現在私は『一隅を照らす運動』に携わらせていただいております。この運動で大切にしているのは、『お互いを思いやることのできる心を育みましょう。』ということでございます。その思いやりの心が育まれることで、1人1人の幸せが重なり、そして世界の平和へと繋がっていくのだと私は考えています。」

「白毫寺が皆様の幸せを育むことができる場所であるように、皆様の幸せをお互いに思いやり、様々な幸せの形が満ちるお寺になるように、地域の皆様と力を合わせて白毫寺の歴史を未来へと紡いでいきたいと考えています。」

◇参加学生の感想

今回の訪問では、太鼓橋や心字池などにより『聖』の世界と『俗』の世界が境内全体で表現されているというご住職のお話しが印象深く心に残っています。

ご住職のお話しでは、心の字を表す心字池は、仏がおわす『聖』の世界と私たち人間が住む『俗』の世界の境界線であり、急勾配の太鼓橋は『聖』の世界へ至る悟りの道のりの厳しさを表していると伺いました。このお話しをお聞きし、境内全体を使って視覚的に仏教の教えを伝えるという先人たちの発想力に圧倒されるとともに、数百年以上も先人たちの発想を大切に守り伝えてこられた皆様の篤い信仰心と想いが境内に満ちているように感じました。

また、境界なく多様な人々が気軽に訪れる事ができるお寺でありたいという歴代白毫寺のご住職の想いが、境内に咲く四季折々の美しい花々にあふれているとお聞きしました。「一隅を照らす」という伝教大師のお言葉を大切にされている白毫寺の皆様の強い想いがあるからこそ、美しい花々が訪れる人々を優しく包み込み、皆さんの笑顔を育んでいるのだと思います。四季折々の花々が咲き、いつ訪れても美しい白毫寺を、いつかまた訪問させていただき、白毫寺の皆様とお会いできたらと思いました。

立命館大学 博士課程
白毫寺
〒669-4334 兵庫県丹波市市島町白毫寺709