地域の五穀豊穣の祈りを受け止める大きな十一面観音様をまつる「遍照寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

地域の五穀豊穣の祈りを受け止める大きな十一面観音様をまつる「遍照寺」を訪ねる

遍照寺は松江市の北部に位置する下佐陀地域に伽藍を構えています。江戸時代中期に東照宮の別当寺であった圓流寺(えんりゅうじ)の僧侶が当地に遍照寺を中途開山して以来、松江市湖北地域の人々が五穀豊穣を祈り、豊かな恵みに感謝をする人々の拠り所として歴史を紡いできました。堂内中央には、室町時代に造立されたとされる大きな十一面観音様がおまつりされ、人々の祈りを受け止め続けています。

穏やかな秋風が境内を吹き抜ける10月末、遍照寺の境内やおまつりされている仏様の魅力を遍照寺住職・雲井泰仁師に御案内いただきました。

◇江戸時代中頃、東照宮の別当寺・圓流寺のお坊さんにより中途開山される

「皆さん、本日はようこそお参りいただきました。早速ですが観音堂へとお入りください。」
ご住職のお言葉に従い扉が開いた観音堂へと入ると、なんと人の背丈の倍以上の大きさの観音様と目線が交わります。
あまりの迫力に驚く学生たちにご住職が優しく語り掛けます。

「こちらの十一面観音様の大きさとその迫力に驚かれましたか?これほど大きな十一面観音様をおまつりしているお寺は松江では珍しいと思います。」

どのような理由でこれほど大きな十一面観音様がおまつりされているのか、学生たちの興味が高まります。

「大きな仏様をおまつりする遍照寺の歴史は、残念ながら実はあまりよく分かっていないのです。古い史料も残されておらず、創建については謎のままです。」

「遍照寺の歴史で明らかになっているのは、江戸時代中頃から。突然ですが、皆さん圓流寺(えんりゅうじ)というお寺はご存知でしょうか。松江市の東側、現在の松江市立皆美が丘女子高等学校がある場所に歴史を伝える天台宗のお寺です。皆さんご存知のように、松江藩は堀尾家や京極家の後に松平家が治めた場所です。ですので、現在の高校があるあたりに東照宮が建てられていたそうです。そして圓流寺は、東照宮を管理する別当寺として壮麗な伽藍が整えられていたそうです。」

「遍照寺は、この圓流寺で修行をしていたお坊さんが中途開山されたお寺と伝えられています。詳しいことは分からないのですが、松江藩主と深い関りのある圓流寺のお坊さんが中途開山したお寺ですから、遍照寺も松江のお殿様と何かしらの関係があったのかもしれません。」

「江戸時代、遍照寺のある下佐陀地域は農業が盛んな地として知られていますから、もしかしたら、田畑を守るお寺として、農業を営む人々の拠り所として、お殿様が圓流寺のお坊さんに命じてお寺を中途開山したのかもしれませんね。」

「ここで気になるのは「中途開山」という言葉です。中途ですから、江戸時代中頃より前があるはずですよね。また、正面の大きな十一面観音様は室町時代の造立、両脇の二天王様は平安時代に造立された仏様であると考えられていますから、この地域に江戸時代より前に遍照寺の前身となるお寺があったことは確かだと思います。」

遍照寺の秘められた歴史に目を輝かせる学生たち。
ご住職によると、地域の方々とともに中途開山以前の遍照寺の歴史を調べているそう。
いつの日か遍照寺の秘められた歴史が明らかになることを願う学生たちでした。

◇五穀豊穣の祈りを受け止める十一面観音様と睨みをきかせる二天王様

木造十一面観音菩薩坐像《室町時代》

「こちらの大きな十一面観音様は、高さが約3メートルのお像です。先ほどお話ししたように、遍照寺が中途開山される前の室町時代に造立された仏様であると考えられています。この中途開山以前は、遍照寺のある谷の裏側にあたる鹿島町護武地区におまつりされていてのではないかと言われています。」

左手に蓮の花と葉が入る水瓶を持ち、その水瓶には右手を添えています。
頭髪は頭上で高く結い上げられ、きらびやかな宝冠をのせ、小さなお顔があらゆる方向を向いていました。

「遍照寺の十一面観音様は、地域の五穀豊穣の祈りを受け止める観音様として信仰を集めて参りました。現在でも、毎年11月18日前後に護摩供養を行っておりますが、以前は今よりも早い時期に放生会として行われており、この放生会が地域の稲刈りの合図でした。」

他にも十一面観音様と地域の関係を伝えるものが残っています。

「十一面観音様の膝上に四角い箱が置いてありますね。あちらの箱は『観音くじ』の箱になります。現在は行われていないのですが、毎年正月に『御祷(おとう)』という年中行事が行われていました。その御祷では、地域の方々が『観音くじ』を引き、当たりを引いた人は、遍照寺が持つ耕作地を1年間耕作する権利をいただくことができたそうです。そして、この1年間で収穫した作物のうち、お寺へ納める量以外の作物は自分のものとすることができたそうです。」

十一面観音様と地域の皆さんの近く深い関係に心が温まります。

木造二天王立像《平安時代》

「十一面観音様の左右におまつりされている二天王様は、平安時代に造立された仏様であると考えられています。それぞれ広目天様、多聞天様とされているのですが、持ち物やお姿から、持国天様と増長天様であると思います。」
二天王様の足元の邪鬼

「もともとは四天王様であったのか、最初から二天王様として造立されたのか、残念ながら詳しい由来は分かっていません。ただ、遍照寺から少し離れた東側には古来より街道が通っていたそうなので、街道を往来する人々を見守るためにおまつりされた仏様ではないかとも言われています。」

刀や槍を持ち、ギョロっと大きく目を見開き睨みをきかせている二天王様。
この二天王様がどのような歴史を、人々の営みを見守り続けてきたのか、想像の翼を広げる学生たち。
二天王様に踏まれている邪鬼の愛くるしい表情も魅力的でした。
「地域の方々とお話ししていると、これだけ大きな仏様ですから、観光の目玉になるのではないかとのお声をいただくこともあります。」

「遍照寺の近くの地域には、ハス園を整備している方がいらっしゃり、地域をどのように盛り上げることができるか皆さんとお話ししています。地域の皆さんや遍照寺にご縁のある方々と協力して仏様や地域の魅力をお伝えしていきたいと考えています。」

◇女性の神々をまつる美しい鎮守社

観音堂の隣には、遍照寺の鎮守社がおまつりされています。

鎮守社《江戸時代建立》

「こちらの鎮守社には、天照大御神と弁財天様をおまつりしています。江戸時代に建てられた建物と言われております。実はこの建物、堂内に鮮やかな天井絵が描かれています。皆さんにも是非見ていただけたらと思います。また、建物に施されている彫刻も繊細で見どころですのでご覧ください。」

「また、鎮守社の前に灯篭がありますね。こちらは、江戸時代の文政13年(1830)に寄進された灯篭です。最初にお話しした通り、遍照寺は歴史の分からない部分が多いですから、こちらの石灯篭は文字が風化せずに残っていますので、遍照寺にとって歴史を伝える貴重な文化財であると思っています。」
特別に見せていただいた鎮守社の天井絵。
赤や白、青、黒、緑などで描かれた極彩色の雲の絵がダイナミックに描かれており、鮮やかな雲が実際に立ち込めているように感じました。

◇おまつりされるたくさんのご位牌が伝える地域の方々との繋がり

「先ほどの観音堂では五穀豊穣などの御祈願を主に行っています。こちらの回向堂では、檀家の皆様の回向を行っております。どうぞお入りください。」

堂内に入ると、鮮やかな天井画に目が奪われます。

「こちらの天井画は、小林探水画伯によって描かれた草花を題材にした天井画で、昭和56年に奉納いただいたものです。以前は天井には何もなかったので、ある檀家さんから絵を張ってみたらどうかというお声をもとに天井画を御奉納いただきました。」

「ご覧いただいてお分かりのように、こちらのお堂にはたくさんの御位牌をおまつりしております。実は、このような祈りの空間となった理由がございます。」

「江戸時代、遍照寺は松江藩の援助を受けてお寺が運営されていたそうです。しかしながら、明治時代になると松江藩からの援助は無くなってしまいました。さらに第十世晃暢和尚の時から妻帯となり、私のひいおばあさんが西宗寺(松江市上東川津町 浄土真宗本願寺派)から遍照寺の寺庭夫人第一号として遍照寺に入ったそうです。」

「ただでさえ援助が無く厳しい生活をしていたそうなのですが、ひいおばあさんのお子さんが病を患ってしまい困窮する事態となってしまいました。そのことを当時の総代さんにご相談すると、『遍照寺に私たちのご先祖様の御位牌をおいていただき毎日拝んでいただく代わりに、お米を寄進致します』とおっしゃってくださったそうです。」
「それ以来、遍照寺では毎日皆様の御位牌を拝んでおりますし、これからも毎日拝んでまいります。また絶家となった家の御位牌もありますから、ある檀家の方からは「永代供養みたいだね」と言われたことがありました。確かにそのとうりだなと思います。御位牌の前にお供えしている茶碗は、それぞれのご家族が持ち寄ってこられた茶碗を使用しており、それぞれの家の家紋が表されています。」

「遍照寺のある地域の皆様は、どなたも先祖の方々を大切にされています。そして、遍照寺のまわりの地域には農家の方々が多いですから、自分のことだけでなく、みんなで力を合わせて生活していくという文化が昔からあります。例えば、回向堂の近くにある水屋の屋根が老朽化していたのですが、ご縁のある方から御寄進をいただき修復をすることができました。」

「これまで育まれてきた地域の皆様との深い繋がりを大切に、地域の皆様と力を合わせて、遍照寺だけでなく、地域の皆様のご先祖様や地域の歴史や魅力を未来へ伝えていきたいと考えています。」

◇参加学生の感想

観音堂の中に入ると大きな本尊さまがおり、とても驚きました。大きな本尊さまの他にも二天像など多くの仏さまがおられそれぞれの仏さまにはそれぞれ修理が施されながら守られており、遍照寺というお寺が信仰の地として重要な場所であったのだと実感することができました。

ご位牌をおまつりしていくことで相互的に助け合うという関係が現在も続いているということをお聞きし、遍照寺が地域の人々にとっての祈りの場として愛されていることが伝わりました。また自分のところだけでなく周りの方も含めて供養することが続いているというのも、この地域に根付いている遍照寺だからできることであるのだと思いました。

奈良大学 博士前期課程 2年
遍照寺
〒690-0866 島根県松江市下佐陀町25