霊験ある腹籠不動尊をまつる泰澄大師・朝倉氏とゆかりの深い「窓安寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

霊験ある腹籠不動尊をまつる泰澄大師・朝倉氏とゆかりの深い「窓安寺」を訪ねる

北陸地方にそびえ立つ霊峰・白山。
日本三大霊山の一つとして信仰を集める白山の周辺地域には、白山信仰とゆかりの深い寺院や神社が多数伝えられています。
福井県越前市に伽藍を構える窓安寺もその一つ。白山を開山したと伝えられている越(こし)の大徳・泰澄大師が創建して以来1300年の歴史を持ち、『腹籠(はらごもり)不動尊』というとても珍しい不動明王様がおまつりされています。

今回、記者としても活躍されている窓安寺第四十四世住職である久保智祥師から窓安寺の歴史と魅力を伺いました。

◇泰澄大師により創建され1300年続く窓安寺の歴史

「窓安寺が創建されたのは、今から約1300年前の養老年間(717~724)こと。初めて白山の登拝に成功し、白山を開山したとされる泰澄大師によって創建されたと伝わっています。実は窓安寺が最初に創建されたのは現在地から東に20 kmほどの、白山に近い福井県池田町野尻に創建されたそうです。」

「以前、私の弟が池田町に窓安寺の痕跡がないか現地を探索したことがあります。すると、山中に建物が建っていたと推測される平らな場所があったそうです。また、地元の方々にお聞きすると寺があったことが伝えられていることが分かりました。」

「現在の場所に窓安寺が移ったのは、室町時代の天文2年(1533)のこと。戦国大名として名をはせた朝倉氏の家臣であった小泉氏が土地を寄進し、真秀上人という方が中興開山したと伝えられています。これ以来、朝倉氏との繋がりが深まり、朝倉氏の菩提寺となったと伝えられています。現在でも窓安寺の檀家さんの中には小泉氏の末裔の方をはじめ、朝倉氏の家臣の末裔の方々がいらっしゃり、窓安寺を支えていただいております。」

この朝倉氏との繋がりを示すものが境内にいくつか伝えられています。

【中央】朝倉景鏡公供養塔(宝篋印塔)

「その1つが朝倉景鏡(あさくらかげあきら)公の供養塔です。朝倉景鏡公は越前朝倉氏の最後の当主であった朝倉義景公の従兄弟にあたる方で、朝倉家中で筆頭的な地位の方であったそうです。」

「景鏡公は、劇的な人生を歩まれた方で、加賀一向一揆の征伐や金ヶ崎の戦いの際の織田軍追撃など主要な戦いで総大将として指揮をとり、多くの武功をあげたといいます。しかしながら、織田信長による越前侵攻の際には義景公を自害に追い込み織田信長に降伏しました。降伏後は所領であった大野郡(現在の大野市や勝山市周辺)を治めていましたが、一向一揆によって攻められ討死されたと伝わっています。」

「この供養塔も朝倉氏や家臣と繋がりが深いことから建立されたのだと思います。」
石造不動明王立像(越前市指定文化財)

「また、越前市の指定文化財に指定されている石造不動明王立像と石造地蔵菩薩立像も朝倉氏とのゆかりを示す仏様です。お不動様は2.3 m、お地蔵様は2.15 mという巨大な石仏で、福井の名産である笏谷石(しゃくだにいし)を用いて造立されています。お地蔵様には「永禄3年(1560)」と刻まれ、朝倉氏が統治していた時代に造立されたことが分かります。」

凛々しく勇ましい立ち姿のお不動様と穏やかさと寛容さを感じられるお地蔵様。
群雄割拠の様相を呈した越前の地を見つめてきた眼差しには力強い迫力がありました。

「また、中世から近世にかけて近くにある神明社の管理をする別当寺でもあったようです。神明社は、その美しい姿から「越前富士」と親しまれ、泰澄大師が開山した山岳信仰が盛んな霊山である日野山を遥拝(ようはい、遠く離れた所から拝むこと)する場所でした。池田町から現在の場所に移ってからも泰澄大師と繋がりがある点は興味深いですね。」

石造不動明王立像・石造地蔵菩薩立像(越前市指定文化財)

◇火災から蘇った本堂と穏やかな眼差しの御本尊・阿弥陀如来様

境内の中央に建つ大きな本堂。
本堂の中央には、穏やかで優美な御本尊・阿弥陀如来様がおまつりされています。

「こちらが窓安寺の本堂です。昭和10年の火災の後、昭和14年に再建された建物になります。ご覧いただいているように、大きくて立派な本堂ですよね。当時の檀家の皆さんのご尽力によってこれほどの建物を建立していただいたのだと思います。本当にありがたいことです。」

迫力ある本堂の姿に圧倒される中、中央に目を向けると金色に輝く優美な仏様がおまつりされていました。
御本尊・阿弥陀如来立像

「中央におまつりしているのが、窓安寺の御本尊である阿弥陀如来様になります。両脇には観音菩薩様と勢至菩薩様をおまつりしています。」
特別に近づいてお参りさせていただいた御本尊様。
金色に光り輝く荘厳なお姿。
木で造立されていると思えない程、薄く繊細に表現されている衣。
人々を包み込むような温かく穏やかな眼差し。
戦乱や火災などに直面しながらも、悠久の時を越えて人々を見守り続ける御本尊様の姿に心が震えました。

◇お腹の中におまつりされている珍しい『腹籠不動尊』

檀家の皆さんの回向の場所である本堂と隣接して、祈願をするための道場・不動堂が建てられています。
不動堂には、霊験ある不動明王がおまつりされていると久保師は学生たちに語りかけます。

「窓安寺におまつりされている不動明王様は非常に珍しいと言われており、『腹籠不動明王』と呼ばれて信仰を集めています。」
不動堂 大正時代頃の建立

「それではどのような点が珍しいか。それは、『腹籠』と呼ばれているようにお前立のお像のお腹の中に不動堂の御本尊様がおまつりされているという点です。」

「お腹の中におまつりされている不動明王様は、窓安寺を開いた泰澄大師が自ら造立された不動明王様であると伝えられています。数年前に同志社大学の井上一稔先生に調査をしていただいたところ、室町時代の15世紀末から16世紀前半に造立された仏様であることが判明しました。」

「その調査の際に撮影していただいた写真がありますのでご覧ください。写真を見ていただくと、体の動きが少なく、まっすぐ立っていることが分かりますね。また。衣の表現の仕方や顔面の表現の仕方などから造立時代が判明したそうです。」

「また、像高が約37 cmですので胎内仏としてはかなり大きなお像であることが分かります。日本全国には胎内仏をおさめる仏様も多くいらっしゃいますが、お前立のお像の大きさ(約92 cm)に対して約三分の一もある胎内仏は少ないと聞いたことがあります。」

「お腹の中におまつりされている腹籠不動明王様は秘仏で、何年に一度のような御開帳の間隔も決まっておらず、出来る限り御開帳はしないようにと言い伝えられています。」

「また、お前立のお像も珍しいお姿をされています。こちらの不動明王様は秘仏ではありません。今回特別にお像の前の荘厳を外してみるので、その珍しいお姿をお参りいただければと思います。」

お前立の不動明王様の前にある荘厳が外され明かりが灯ると、腰の前で腕を交差させる凛々しい立ち姿の不動明王様の姿が現れました。

お前立・木造不動明王及び二童子立像(越前市指定文化財)

「お前立の不動明王様は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて造立されたお像で、越前国で活躍した面打ち師出身の出目幾斉(でめきさい)によって造立されたお像であると伝えられています。こちらのお像のようにお腹や腰の前で腕を交差するお姿は非常に珍しいそうで、調査をしていただいた井上先生もいままで見たことがないとおっしゃっていました。」

「後ろ側なので見えませんが、お前立の不動明王様は背中の部分が観音開きになっており、腹籠不動明王様がぴったりと納める事ができるようになっています。ですから、制作の時から像内に腹籠不動明王様をおまつりする目的で造られたと思われます。」
お前立・木造不動明王立像(越前市指定文化財)

「なぜこのように腕を交差させているのか、理由は明らかではありません。井上先生は霊験ある腹籠不動明王様をお守りしているのではないかとお話しされていました。このお姿を見て、皆さんはどのように思いますか?」

ここで学生から1つの意見が出ました。

「腹籠不動明王様の強すぎるお力を抑えているのではないか。」

「確かに一理ありますね。腹籠不動明王様は強力なお力を持っているが、私たちにとっては強すぎる。だからこそ、お前立のお腹の中におまつりして、さらにお前立のお像の腕をお腹の前で交差させることでお力を和らげている。腹籠不動明王様を滅多に御開帳しないということもその意見を裏付けていそうですね。」
昭和10年の火災の痕跡

「先ほどお話しした通り、窓安寺は昭和10年に本堂と庫裡が焼失する火災に遭っています。しかしながら、本堂から渡り廊下で繋がっている不動堂は火災の被害を受けませんでした。実はその痕跡が今でも残っていて、不動明王様がおまつりされているすぐ後ろの梁に焼けた跡が残っています。」

そこには黒く焼け焦げた梁が今も残っており、まさに不動明王様がおまつりされているすぐ後ろまで火の手が迫っていたことが伺えました。
実際に痕跡を見ると、不動明王様が炎を止めたとしか考えられず、とても不思議に感じるとともに腹籠不動明王様のお力を強く感じました。

◇檀家の皆さんとともに歴史を紡ぐ

「今回、皆さんとともに窓安寺の境内を巡り、改めて檀家の皆さんや地域の皆さんとともに歩んできた歴史が窓安寺の歴史なのだと私自身も強く感じました。現在、庫裏の建替え工事を行っていますが、たくさんの方々のお力添えをいただいております。皆さんの窓安寺に対する想いを大切にして、皆さんとともに窓安寺の歴史を紡いでいきたいと考えています。」

◇参加学生の感想

窓安寺を巡ってみて、腹籠不動というとても珍しい不動明王が印象に残っています。仏像を仏像で覆うという珍しいことが行われた背景には当時の人々の腹籠不動への畏敬がとても強く感じられて、今の時代を生きている私も腹籠不動の説明を聞いて実際に見てみると不動明王に圧倒されるような緊張を感じました。
 窓安寺のご住職は新聞記者の仕事もなさっていて、記者として活躍しながら歴史ある寺院を守り、歴史を繋げられている姿に感動しました。
 窓安寺は奈良時代に泰澄によって創建され、戦国時代の朝倉氏の名残も多く残っており、越前という地域に大きな影響を与えた時代の流れを感じることのできるお寺であると思いました。

立命館大学 3年
窓安寺
〒915-0825 福井県越前市南3-1-5