出羽一佛と称される千手観音さまをまつる古刹「吉祥院」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

出羽一佛と称される千手観音さまをまつる古刹「吉祥院」を訪ねる

「出羽国」と称され、様々な信仰や文化が花開いた東北地方西部。出羽国の一部である山形県山形市に、奈良時代より1300年以上信仰を集め、「出羽一佛」と称される御仏がおまつりされる古刹・吉祥院が伽藍を構えています。サクランボが赤らみ始めた6月上旬に学生たちが吉祥院を訪問し、ご住職を務める布施晃精師に吉祥院の魅力をご案内いただきました。

流行する病を鎮め、世の安寧を祈るために3体の千手観音さまを安置する

吉祥院をご案内いただいた布施晃精師は、親しみやすいお人柄で、学生たちにわかりやすく吉祥院の歴史とおまつりされる仏さまの魅力を語っていただきました。

「吉祥院は、今から約1280年前の奈良時代に創建されました。当時の出羽国ではひどい病が流行しており、この病を鎮めるために時の天皇・聖武天皇の命で行基により開創されたと伝えられています。行基はこの地を訪れ、3体の千手観音さまをおまつりしたといいます。すると、流行していた病は鎮まったため、世の安寧を祈る鎮護国家の道場として信仰を集めました。この地を治めた領主の方々からの信仰も篤く、例えば、江戸時代初頭までこの地を治めた最上家とのつながりを感じさせる建物が現在も伝えられています。」

「現在、皆さんがいるのは吉祥院の本堂になります。天文12年(1543)、最上義守公によって再建された当時の建築様式に復元修理された建物で、中央には千手観音さまをおまつりしていますが、こちらのお像はご本尊さまのお前立のお像になります。大正時代までは、こちらに大きな厨子と厨子の中に入ったご本尊さまや他の仏さまをおまつりしていましたが、明治36年(1903)に旧古社寺保存法によりご本尊さまが「国宝」に指定されたため、本堂の後ろに防火・盗難防止のための専用の建物(奥之院)を建立し、ご本尊さまをはじめとする仏さまを遷しました。」

「ちなみに、本堂の後ろ側の戸を開けると、本堂の内陣越しに奥之院に遷ったご本尊さまを拝めるように本堂を改築しております。地域の方々にとって、ご本尊さまがおまつりされる奥之院は神聖な祈りの場所です。その場所に入るのは非常に恐れ多いということで、奥之院に直接入らず本堂からお参りする方々が多いです。

「ただし1年に1度だけ、8月10日の四万八千日万燈会の際には、奥之院を御開帳して皆様にお参りしていただいております。万燈会の際には、境内に蝋燭や行灯が置かれ、燈火が境内を照らします。ぜひいつか万燈会にもお参りしてくださいね。」

「奥之院の御開帳は1年に1度とお話しましたが、ご本尊さまにお参りしたいと吉祥院にお越しくださる方に特別に御開帳をしています。みなさんにもぜひご本尊さまにお参りしていただきたいので、奥之院の扉を開けるまでしばらくお待ちください。」

ご住職のお言葉に胸を躍らせながら、奥之院の重厚な扉が開かれることを心待ちにする学生たち。

扉が開いた瞬間に学生たちの目に飛び込んできたのは、数千年を生きた大樹と相対しているような重厚感と穏やかさを併せ持つご本尊さまのお姿でした。

「出羽一佛」と称される篤い信仰を集めるご本尊・千手観音さま

千手観音さま、阿弥陀如来さま、薬師如来さまのご真言を唱えてお参りしたのち、おまつりされている仏さまの魅力についてご住職からお話しいただきました。
ご本尊・千手観音立像(国指定重要文化財)

「中央の厨子の真ん中におまつりしている仏さまが、吉祥院のご本尊さまである千手観音さまになります。そして千手観音さまの両脇の仏さまが、脇立の阿弥陀如来さまと薬師如来さまになります。千手観音さまは、ケヤキの一木造で内刳を施さない平安時代前期に造立されたお像、脇立の2躯の仏さまは、平安時代中期に造立された仏さまであると考えられています。」
薬師如来立像(山形県指定有形文化財)

「ご本尊さまを含むこの3躯の仏さまには、興味深い点があります。正面から見ると、2つの腕を持つ仏さまに見えるのですが、左右から見てみると、それぞれの肩や肘に穴が開いていることが分かると思います。この穴は、2つの腕に加えてさらに腕があった痕跡であるそうで、ご本尊さまだけでなく両脇の2躯の仏さまも、かつては千手観音さまであったのではないかと考えられています。」
三条実美卿により記された「出羽一佛」

「先ほどお話ししたように、吉祥院の開創の際、行基は3躯の千手観音さまをおまつりしました。そのことがご本尊さまを含む厨子の中の3躯の仏さまに残る痕跡からも分かります。古来、この3躯の千手観音さまを総称して「出羽一佛」と称され、現在でも吉祥院のことを「千手堂」と地元の方々は呼びます。」

「さらに、ご本尊さまには注目されている点があります。足首のあたりを見てみてください。足首に飾りを身に着けています。この飾りを「足釧(そくせん)」といい、足釧を身に着けている千手観音さまの作例は少ないようです。さらに、裙(くん)と呼ばれる身にまとう衣の表現も独特なものであると聞いています。こうした独特な飾りを施したことに何か理由があるのかもしれませんね。」

ご本尊さまに対する想いをご住職は語ります。

「いつのころからか腕を失ってしまった千手観音さまですが、腕がないことで千手観音さまとより一層向き合えるのではないかと考えています。他の腕が伝えられている往時の姿を想像してみますと、ご本尊さまそのもののお姿ではなく、その背後にあるたくさんの腕に注目してしまうような気がしませんか。腕が失われているからこそ、お参りする方々がご本尊さまの様々な面を感じながら祈りを捧げることができると思いますし、その点がご本尊さまや吉祥院の他の仏さまの魅力であると考えています。」
阿弥陀如来立像(山形県指定有形文化財)

千手観音さまに対する人々の祈りの篤さを感じた学生たち。
ここで、ある1つの疑問が生まれます。

「それではなぜ、脇立の2躯は千手観音さまから阿弥陀如来さま・薬師如来さまと仏さまの名前が変わったのでしょうか。この答えは、山形で隆盛した修験道にあります。山形には山岳信仰の聖地、羽黒山・月山・湯殿山があります。この山々は山岳修験の霊地として大いに栄え、日本各地の霊山とも交流があったといいます。現在の和歌山県に熊野という霊地がありますが、熊野でまつられている熊野三所権現の思想が行者によって山形に入ってきたとき、熊野三所権現のそれぞれの本地仏である千手観音(那智)・阿弥陀如来(本宮)・薬師如来(新宮)を3躯の仏さまに割り当てたのだろうと推測されています。」

千手観音さまに対する信仰だけでなく、山岳信仰の思想も含まれるという吉祥院の信仰の多様さに驚かされました。

ご本尊さまを囲む平安時代に造立された御仏たち

吉祥院には平安時代に造立された仏さまが他にもおまつりされています。
「厨子の前、向かって右側には勢至菩薩さまと伝えられている仏さまと吉祥天さまをおまつりしております。向かって左側には、子安観音さまと伝えられている仏さまと毘沙門天さまと伝えられている仏さまをおまつりしております。こちらの4躯も平安時代に造立された仏さまであると考えられています。」
毘沙門天立像(山形県指定有形文化財)

「この4躯のうち、注目していただきたいのが、勢至菩薩さま。足元を見てみると、亀に乗っていますね。亀と言えば水に住む生き物ですから、もともとは「水天」であったと考えられています。また、毘沙門天さまのお姿も、もともと散脂大将のお姿であるとも考えられています。水天や散脂大将は千手観音さまの眷属(二十八部衆)としても知られているので、かつて、平安時代に造立された二十八部衆像が、ご本尊さまを取り囲んでいたのだと思います。」

「さらに、子安観音さまを見てみると、お顔は摩耗し表面は滑らかになっていることがわかります。これは、無事に出産できるようにと、人々がお像を撫でて祈願したからだと伝えられています。」

「女性と関りの深い仏さまは他にもいらっしゃいます。こちらの金属製の小さな仏さまは、かつて高貴な姫君が日々祈りを捧げていたと伝えられています。残念ながら詳しいことはわからないのですが、古い仏さまであると聞いています。」

四季折々の花々に彩られる吉祥院の境内

吉祥院の境内には、四季折々の花々が咲き乱れます。
今回訪問したのは6月初旬。参拝する方々を境内に咲くサツキやアジサイが迎えていました。

ご住職にお聞きすると、広大な境内の手入れは、ほとんどご住職とご家族の方々で行っているそうです。

「参拝してくださる方々が、吉祥院を訪れて少しでも和んでいただけるようにと境内の手入れをしています。今の時期だとサツキやアジサイが見ごろだと思います。もう少しすると池に蓮の花が咲いてきます。蓮は草丈が大きくなって手入れは大変ですが、皆さんに喜んでいただきたいという思いで頑張っています。」

「蓮が育つ池には「七宝抜苦 福徳息災 延命曼荼羅塔」を整備しています。諸仏が悟りを得た世界を表した曼荼羅を庭園の中に再現し、皆さんに巡っていただき、皆さんの願いが成就するようにという願いを込めています。ぜひ皆さんも巡ってみてくださいね。」

花々や花々に集う生き物に囲まれながら、境内を巡るご住職と学生たち。
その顔には自然と笑顔が育まれます。
穏やかな雰囲気が流れる境内は、まるで観音さまの浄土のようでした。

仏さまを次の世代へと伝える

境内を巡り終え、再び本堂の前へたどり着くご住職と学生たち。
学生たちに向けてご住職は語ります。

「皆さんお疲れさまでした。吉祥院の魅力を感じとっていただけましたか。」

「私は、ご本尊さまをはじめとする仏さまはこのお寺の生命線であると考えています。火災や盗難などで私の代で絶えてしまっては、今日まで仏さまを伝えていただいた先人たちに申し訳ない。だからこそ、仏さまをお守りする事、そして吉祥院にお越しくださる皆さまに仏さまとご縁を結んでいただくことを第一に考えています。今回皆さんが感じ取っていただいた魅力を、皆さんのまわりの人に、世界に発信していただき、また皆さんに再び吉祥院でお会いできること楽しみにしております。」

吉祥院の境内を巡ると自然と笑顔になり、居心地の良い心地を感じることができました。これは、観音さまのもとで千年以上育まれてきた空気感なのでしょう。皆さんの笑顔、そして美しい花々に囲まれる中、ご住職や吉祥院の皆様との再会を誓う学生たちでした。

参加学生の感想

今回の訪問では、ご本尊さまをはじめとする仏さまを守るご住職の覚悟と熱意が印象深く心に残りました。ご住職から仏さまのお話を伺う中で、「ご本尊さまをはじめとする仏さまはこのお寺の生命線だ。火災や盗難などで私の代で絶えてしまっては、今日まで伝えて来ていただいた先人たちに申し訳ない。だからこそ、仏さまをお守りする事を第一に考えている。」との言葉が強烈に印象深く心に残っております。私たちが仏さまにお参りできることは、仏さまを守り伝えた先人たちの存在があるからこそだということを改めて強く感じた言葉でした。
また、お参りに来る皆さんが喜んでいただけるようにと境内を整備されているとお聞きして、ご住職や吉祥院のみなさまの清らかな心と熱意に胸をうたれました。またいつか、花々に彩られる吉祥院さまにお参りしたいと思います。

立命館大学 博士課程
吉祥院
〒990-2172 山形県山形市大字千手堂509