尾張で暮らす人々を山上から見守る「龍泉寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

尾張で暮らす人々を山上から見守る「龍泉寺」を訪ねる

名古屋市の北東部に位置する守山区。ここに創建から1000年以上の歴史を誇り、名古屋城の鬼門を守るお寺として多くの信仰を集める天台宗の古刹、龍泉寺が伽藍を構えています。新緑が境内を彩る4月末、龍泉寺を学生たちが訪問し、佐藤正延師と佐藤正仁師に境内をご案内いただきました。

伝教大師が庵を結んだことに始まる龍泉寺

「遠方から龍泉寺へとお越しいただきありがとうございます。」
そのように学生に優しく語り掛けるのは、昨年まで住職を務めていた佐藤正延師。

「それではまず龍泉寺の歴史からお話したいと思います。」

「この龍泉寺の歴史のスタートは、今からおよそ1200年前に遡ります。皆さんもよく知る伝教大師が龍泉寺の創建に大きく関わっております。」

「伝教大師が全国を行脚しているとき、熱田神宮にお籠りになられました。そのとき、夢の中で『東の山の上に小さな観音さまが出現している。その地へ行きその観音さまをおまつりしなさい。』とお告げがあったといいます。このお告げを受け、伝教大師は半信半疑でこの地を訪れ、龍が住みついているという多々羅池(たたらがいけ)という泉にたどり着きました。伝教大師はその泉のほとりでお経を唱えたといいます。すると、龍が天に昇り、同時に馬頭観音さまが出現しました。伝教大師はその馬頭観音像をお告げ通り庵を建ておまつりしたと伝わっています。」

「そのような逸話をふまえて、当山は『龍泉寺』という名前のお寺になったとされ、さらに熱田神宮に伝わっていた8本の御剣のうち3本をこの山に埋めたという伝承も伝わっていることから『熱田神宮の奥の院』とも呼ばれるようになりました。」

「熱田神宮の奥の院」と呼ばれ、神々ともゆかりの深い龍泉寺

「先ほどお話した通り、龍泉寺のご本尊は馬頭観音さまになります。中央に大きな厨子が見えるかと思います。ご本尊さまはその内部におまつりされています。ご本尊さまは秘仏でありますので、通常そのお姿を直接お参りすることはできません。しかし、実は私が幼少のころ御開帳が行われたことがありまして、実際にご本尊さまのお顔を拝顔する機会がありました。その頃の記憶を思い返してみますと、ご本尊さまは金属でできた金仏であり、金属ですのであまり細かい細工はできておりませんでした。ですので、お前立のお像のほうが男前でかっこいいなと当時は思ったものです。」

「龍泉寺は馬頭観音さまをご本尊としておまつりしているとお話してまいりました。みなさんもお気づきのように、全国的にみても馬頭観音さまをご本尊としておまつりしているお寺は珍しいようです。それでは、なぜ龍泉寺は馬頭観音さまをご本尊としておまつりしているのだろうと考えたとき、私は先ほどの逸話に登場した熱田神宮に、そして龍泉寺と神々との距離の近さに理由があるのではないかと考えております。」

「仏教が日本へ伝来する前、日本は神々が信仰される『神の国』でありました。この地域でも様々な神々が信仰され、様々な神社があります。その中でも熱田神宮は歴史が古く格式も高い神社になります。そのような熱田神宮の奥の院と龍泉寺が呼ばれる上で、神様の使いとして名高い馬を、その馬を象徴する馬頭観音さまをあえておまつりしたのではないかと推測しております。」

「また、龍泉寺では、通常の合掌での祈りに加えて、神社のように柏手を打ってお参りすることが正式な祈りの作法であると伝えられておりました。こうしたことも龍泉寺と神々の距離が近いことを物語っていると思います。」

「龍泉寺と神々との距離の近さについていろいろとお話しましたが、なぜ馬頭観音さまがご本尊としておまつりされるようになったのか、明確なことはわかりません。おそらく、様々ないきさつがあったのでしょう。ただ、私が皆さんにお伝えしたいのは、馬頭観音さまは非常にみなさんの信仰をお待ちしている観音さまでありまして、皆さんがお参りしていただくと心の安らぎを得られる仏さまになります。その一方で、お参りを怠りますと、非常に罰が当たりやすいともいわれております。龍泉寺にお越しいただいた皆さんが心ゆくまでご本尊さまにお参りでき、軽やかな気持ちでお帰りできるように精進しております。」

波乱の歴史を潜り抜け龍泉寺に伝えられている宝物の数々

「境内を見渡していただいてお分かりのように、龍泉寺は小高い山の上に伽藍を構えております。山の上に建っているということは、見晴らしがいいということ。つまり、戦乱の世の中では軍事拠点となることもありました。実際、小牧・長久手の戦いなどでは出城として整備され使われました。境内の東側には空堀の跡などが残っているほか、模擬天守を昭和39年に建て宝物館として公開しております。」
「宝物館には戦乱を乗り越え龍泉寺に伝えられてきた宝物を展示しておりますので、ご案内いたしましょう。」

ご案内に従い進んでいくと、立派な天守が見えてきました。
その内部に入ると、様々な時代に造立された様々な仏さまが学生たちを出迎えました。

「こちらの宝物館には様々な仏さまをおまつりされています。特に有名な仏さまは、円空さんが彫った馬頭観音像・天照皇太神像・熱田大明神像になります。本来、神様というのは姿かたちをはっきりと表すことは少ないのですが、円空さんは自分の心の中で得られたお姿を彫られたということです。かつて、日本を飛びでて世界各地の博物館で展示され、日本の文化を象徴する彫刻として海外の皆さんに紹介されました。このように多くの皆さまにご覧いただいているこの仏さまですが、一昔前までは当時あった庫裏にひっそりとおまつりされておりました。私が子供のころの記憶では、雨漏りがするような場所におまつりされておりました。そのようなこともあって、下の部分は虫に食べられたりしてしまっています。そのような歴史を踏まえると、皆さんから評価を得てたくさんの方にご覧いただいている現在の様子を喜んでいらっしゃるのだと個人的に思っています。」

「また、千体仏という小さな仏さまが600体ほど伝えられております。よく見ていただくと1体1体表情が異なっておりまして、円空さんがそのときそのときの気持ちを大切にして彫られたということが伝わってくる仏さまになります。」

「さらに、出世地蔵尊というお地蔵さまも有名でありまして、無住という鎌倉時代のお坊さんによって造立されたと伝えられております。非常に親しみやすい良いお顔をされておりまして、国の重要文化財に指定されております。」

「また、仏さま以外にも数多く寺宝が伝えられておりまして、例えば、展示室の天井の絵は「幡龍(ばんりゅう)」と言い、森村冝稲(もりむらよしね)先生が描いた作品であると伝わっております。雲の漂う中に姿を見せる龍の姿からは静謐な雰囲気が伝わってくるように、森村冝稲先生が生きていた時代はこの龍泉寺の周囲も鬱蒼とした森におおわれていたようです。もしかしたら、龍泉寺の鬱蒼とした森林から着想を得て描いた龍の絵かもしれませんね。」

龍泉寺の宝物館に展示されている寺宝の1つ1つには、関わった人々の想いや願いが大切に伝えられており、きらびやかさとともに心が温まる感覚を覚えました。
「こちらの壷を御紹介して次の場所へと移りたいと思います。こちらの壷は黄瀬戸の壷になります。この壷の何が凄いかといいますと、この壷の中に慶長小判98枚と大判切2枚が入っていたということになります。明治39年、悲しい事に放火によって龍泉寺の本堂や庫裏は焼失してしまいました。失意の中、当時の人々が焼け跡を片付けていると、この壷を発見したといいます。中には、先程申し上げた通り、小判がたくさん入っておりました。当時の人々は、この壷の中に入っていた小判や大判切を使って、本堂の再建を果たしたといいます。実際に本堂を彩る彫刻をよく見てみると、中央にはこの黄瀬戸の壷に小判が入っている様子が、左右には黄金色の小判の様子が飾られていることに気が付くと思います。このように本堂の彫刻にするほど、当時の人々はこの小判の発見を喜んだのだと思います。ちなみに、龍泉寺の近くのスーパーにある宝くじ売り場で10億円近い当たりが出たことがありました。その際、龍泉寺で小判が実際に出たこともあり、龍泉寺にお参りすると宝くじがあたるなんていうお話もあるようですよ(笑)。」

「今までお話した通り龍泉寺は様々な出来事を経験してまいりましたが、その都度建物が再建され、復興されてまいりました。この受け継がれてきたバトンを未来へつなぐことが私たちの役割であると考えております。」

見晴らしのよい景色が広がる境内で、命が輝く

「皆さんを最後にご案内する場所は、龍泉寺の周囲を見渡すことのできる展望台になります。こちらの展望台は下に流れる庄内川から約70メートルの高さにありますから、龍泉寺が結構な高さの山の上に建っていることがわかるかと思います。この高さと崖の険しさを利用して戦国時代には庄内川を天然のお堀にして守りを固めたそうです。」

展望台からは、目の前に広がる穏やかな景色を楽しむことができます。西には高層ビルが並び立つ名古屋市中心部、北には小牧山や金華山。天気が良い日には、霊山として知られる加賀の白山が見えるそうです。しかしながら、このような穏やかな景色が広がるこの地域にも悲しい時代があったそうです。

「私が小さいころ、このあたりは一面の田んぼと軍需工場が建っておりました。ですので、太平洋戦争中には軍需工場を標的にこの辺りにも爆弾が落とされました。広島・長崎に原子爆弾が落とされる前、川を挟んで反対側にあった軍需工場には模擬爆弾が落とされまして、対岸にある龍泉寺にも模擬爆弾の破片が飛んできたことを今でも覚えております。幸い、龍泉寺が直接爆撃を受ける事はありませんでしたが、私たちのすぐそばを飛行機が攻撃したこともありました。平和な時代になり本当に喜ばしいことです。」

「悲しい時代もありましたが、この景色を前に穏やかに過ごすことのできることはありがたいことだと思います。私はこの展望台に毎朝お参りに来まして、お題目とお念仏を唱える事が私の日課となっております。ここでは大きな声をだしても誰にも迷惑をかけませんからね(笑)。」

「また、龍泉寺を訪れる皆さんにも景色を楽しんでいただきたいと思っております。本堂の近くの景色が良い場所には、明日の幸せを祈る鐘、『明日はきっと幸せになる鐘』を設定して皆さんにたたいていただいています。幸せに“なる”と鐘が“鳴る”をかけておりまして、そのシャレも込みで皆さんに楽しんでいただいております。」

お話を伺っているときにも、様々な世代の方々が龍泉寺を訪れ、鐘をたたき笑顔で帰られている姿が印象的でした。
「そして、龍泉寺は『猫寺』としても人気になっております。私たちがしているのは、全ての猫に避妊と去勢をして、毎日の餌をあげているだけ。猫たちには境内で好きなようにのびのびと暮らしてもらっています。今日のように天気の良い日には、参道でぬくぬくと日向ぼっこをしていたり、参拝者の方々に甘えている様子も見ることもできますね。私たち人間も猫たち動物も龍泉寺では穏やかに過ごすことができるようにしていきたいと思っております。」

今回の訪問では、参拝に訪れている参拝者の皆さんも境内に暮らす猫たちも、龍泉寺で穏やかに時を過ごしている姿が印象的でした。龍泉寺の境内に入ると、明るくて気持ちが晴れるように感じるだけでなく、ほっとするような穏やかなあたたかさを感じました。このように感じることのできる境内の雰囲気こそが、龍泉寺がいつの時代も様々な人を引き付ける原動力であり、培ってきた魅力の1つなのだと思いました。

参加学生の感想

龍泉寺を訪れて、まずその堂々としたたたずまいと、境内の明るく印象的な色彩に心を惹かれました。猫や鐘、塔に宝物館、見晴らしの良い高台、そして昭和の電話ボックスまで――ひとつひとつが個性にあふれ、忘れがたい魅力を放っておりました。
前ご住職さまは、礼儀正しくも品格に満ちたお姿で、日本の僧侶が体現する儀礼の美しさに、自然と敬意が芽生えました。現ご住職さまはとても親しみやすく、特に馬頭観音に対する研究の真摯な姿勢には深く心を打たれました。
また、前ご住職さまのお言葉からは、寺の隅々に息づく名古屋の歴史の重み、そして平和への切なる願いが伝わってまいりました。改めて、私たちはお寺という場所から、歴史だけでなく、人々の平和への願いや、苦しみを超えようとする心のあり方など、今を生きる感情までも学べるのだと実感いたしました。

立命館大学 大学院 博士課程
龍泉寺
〒463-0801 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902