三体の十一面観音を中心に地域の皆さんの想いが溢れる「賢林寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

三体の十一面観音を中心に地域の皆さんの想いが溢れる「賢林寺」を訪ねる

愛知県小牧市に位置する賢林寺は、創建等の歴史は不明な点が多い寺院ですが、平安時代前期に造立され国の重要文化財に指定されている秘仏ご本尊・十一面観音菩薩坐像や平安時代後期に造立された十一面観音菩薩立像、鎌倉時代に造立された十一面観音菩薩立像等をおまつりしているお寺です。いつの時代も地域の皆様と共に歩み続けている賢林寺を、副住職の泉智仁師にご案内していただきました。

「本日はようこそ、賢林寺へお越しくださいました。副住職の泉智仁と申します。短い間ですが、少しでも何かお役に立てればと思います。ただいま新しく住職を継ぐことができるよう申請しておりまして、5月には新住職となる予定となっております。このお寺のお坊さんとして日が浅く、お寺についてわからないことも多いのですがどうぞよろしくお願いいたします。」

不明な部分が多い賢林寺の歴史

ご案内に従い、本堂へと向かいます。

「このお寺は藤島山賢林寺といいます。お寺の歴史について説明をしたいのですが、残念ながらこのお寺には史料がほとんど残っておらず、このお寺の歴史はほとんどわかっておりません。火事等の被害によって、そういった記録はなくなってしまったのだと思います。ただご本尊である十一面観音菩薩坐像は、平安時代の9世紀に造られた仏像で国の重要文化財に指定され、ご本尊の両脇におまつりされている2軀の十一面観音菩薩立像はそれぞれ平安時代後期、鎌倉時代に造られた仏像で小牧市の文化財に指定されています。」

「このお寺のお坊さんになるにあたり、自分が守るお寺のことを深く知ろうと思い調べてみましたが、想像していた以上に史料が伝えられていませんでした。ですが、仏さまがきれいに残っているということは、お坊さんや地域の方々の尽力によって仏さまが守られた歴史があるということだと思います。正確な歴史の詳細は不明なままですが、賢林寺に蓄積された先人たちの想いを大切にしたいと考えています。」

「先ほど登場したご本尊とその両脇の十一面観音さまは秘仏となっておりまして、普段はそのお姿を直接お参りすることはできません。そのためお厨子の扉越しになるのですが、十一面観音さまがいらっしゃると思って拝んでいただけたらと思います。ご開帳の日は決まっていないのですが、私が新住職になるというお披露目の晋山式を行いますので、その時にご開帳を行いたいと計画しています。」

秘仏ご本尊・十一面観音菩薩さま

ご住職のお話をお聞きし、どのようなお姿の仏さまであるのか想像しながら本堂の扉を開く学生たち。
すると、先に本堂の中に入った学生たちからざわめきが生じました。
なぜ、ざわめきが生じたのか。
その理由は、秘仏であるはずのご本尊さまや両脇の十一面観音さまのお厨子の扉が開かれていたからでした。

「皆さん、驚いた顔をされていますね(笑)。皆さんに用意したサプライズは大成功のようです!今回、次世代を担う皆さんが賢林寺をお参りいただくということで、住職から許可をいただき、特別にお厨子を開けております。住職は若い世代の応援を熱心にされてきた方で、次の未来を形づくる若い子たちには、ぜひ仏さまを拝んで、見て、たくさんのことを感じて学んでほしいという思いを強く持っていらっしゃいます。そうした思いから御開帳をさせていただきました。ご本尊さまもみなさんとお会い出来る機会を楽しみにされていたと思いますので、ぜひお近くでお参りしてくださいね。ぜひ、皆さんが感じたことや気が付いたことを教えてください!皆さんの気づきから新しい発見があるかもしれません。」

ご本尊さまをはじめ、おまつりされている仏さまをお参りする学生たち。
お参りして気が付いた事や感じた事をもとに、仏さまや賢林寺の魅力を泉副住職を交えて語り合いました。
ご本尊さまを前に生まれる交流の輪によって、まさに今賢林寺の歴史が紡がれているようでした。

賢林寺のご本尊である十一面観音菩薩坐像は、令和2年に国の重要文化財に指定されたばかりのお像です。一木造で、カヤとみられる針葉樹材を使用した像になります。髪が渦を巻いて耳にかかる表現は、平安時代の9世紀~10世紀の彫刻にみられる表現であり、さらに球体状の頭部や鎬立つ衣文が見られることから、平安時代前期・9世紀後半の造像であると考えられています。全国的に見ても十一面観音さまを坐像であらわした像は少ないことに加え、当初の漆箔が多く残る点が貴重であるといいます。

ご本尊さまの左右の厨子には、平安時代に造立されたと考えられている十一面観音菩薩立像、鎌倉時代に造立されたと考えられている十一面観音菩薩立像がおまつりされており、2躯とも小牧市有形文化財となっています。向かって右側に安置される十一面観音菩薩立像は、ヒノキ材の一木造の仏像です。伏し目で温和な表情をしており、体の表現は薄く、衣文の表現も浅く柔らかく表現されています。こうした表現様式から平安時代後期12世紀頃の造像であると考えられています。

向かって左側に安置される十一面観音菩薩立像は、ヒノキ材の割矧ぎ造の仏像です。平安時代の十一面観音菩薩立像と比較し、顔が小さくより凛々しい表情をしており、衣の動きも動きが感じられ、より写実性を意識した仏さまです。表面には漆箔が施されています。鎌倉時代13世紀頃の作であると考えられています。
「ご本尊さまが十一面観音坐像で、両脇を十一面観音立像が固めるという珍しい配置です。このお寺の歴史についてよくわかっていないため、なぜ十一面観音が三軀まつられているのか、どういった経緯で造立されたのかよくわかっていません。ただ、9世紀、12世紀、13世紀と造立年代の異なる十一面観音さまが現在に伝わっていることから、少なくとも平安時代前期にはこのお寺の原形ができており、平安時代・鎌倉時代と信仰の場として継承されていたのだと思います。またそれらが大切な存在であると人々から認識され、お寺の方々や地域のみなさまによって守り伝えられたことで、今があります。現在も、賢林寺を、仏さまを守っていくという強い意識を地域の皆様が持ってくださっています。そのため、住職だけが賢林寺を守り伝えていくという意識ではなく、地域の皆様とともに協力しながら守り伝えていくことが重要であるのだと考えております。」

仏さまたちの前での交流は盛り上がり、気が付くとあっという間に時間が経っていました。

「賢林寺の仏さまからたくさんのことを発見していただき、賢林寺のお坊さんとして大変嬉しく思っています。私は仏さまに手を合わせて、仏さまを通してゆっくりと自分自身と向き合うことが重要なのだと思っています。仏さまの前に立つと、弱い自分やずるい自分、普段の忙しない生活では気が付くことのできなかった様々な自分の側面が出てきます。その時にこんな自分もいたのだと気付かされる時があります。その気づきをもとに、どうすれば理想の自分になれるのだろうかと日々進み続けることが、未来を紡ぐ際に大切なのだと思っています。今回、ご本尊さまの前で皆さんとお話したことで、たくさんの気づきがありました。今回皆さんからいただいたその気づきを大切に、賢林寺の歴史を守っていきたいと思います。」

幼稚園の子どもたちによって書かれた可愛らしい看板

本堂の入り口のところにかわいらしい字で書かれた看板が置いてありました。

「お寺の近くに幼稚園がございまして、この場所が幼稚園の子どもたちの集合場所になっています。賢林寺は地域密着型のお寺で、本堂にある土足で入らないように知らせる看板を幼稚園の園児たちに書いていただいています。幼稚園生に書いてもらって、消えたらまた書いてもらうことを繰り返しています。そうしておりますと幼稚園児の字の方が心に響くのか、お参りいただく皆様もきちんと靴を脱いで本堂の中へ入ってくれるのです(笑)。」

泉師の経歴と新住職になる意気込み

「私は東北出身で愛知県とは縁もゆかりもありませんでした。私の祖父がお寺の住職をつとめていましたが、父は一般の会社に勤めていたので、あまりお坊さんの生活に触れず一般の生活の中で過ごしていました。私は学生の頃、プロサーファーになることが夢でしたので、良い波で有名なオーストラリアに将来留学しようと考えていました。そのような時、祖父から資格だけでもいいから僧侶にならないかと誘われ、資格だけならと2年間比叡山に行き僧侶の資格をとりました。すると時を同じくして、祖父のお寺の近く、福島県の南相馬というところがサーフィンで町おこしをはじめました。わざわざオーストラリアに行って良い波を求めなくとも、祖父のお寺から車で10分の地に世界大会も開催される良い波があったのだと当時の私は思い、これも何かの縁だということで祖父のお寺でお坊さんとして人生をスタートしました。しかしながら、東日本大震災によって祖父のお寺が津波の影響を受け、さらに原発の影響で戻ることもできなくなってしまいました。その後紆余曲折のすえ、このお寺のお話をいただき、現在はこの賢林寺のお坊さんとなっております。私はこの地域にとって新参者ですが、この地域の方が優しく迎えてくださり、たくさん助けていただいております。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。」

「賢林寺は今までたくさんの方々の手によって歴史が紡がれてきました。そして、今、ありがたいことに私にそのバトンを渡していただきました。この受け取ったバトンをどのように次の世代に渡していくのか。日々自問自答しております。ありがたいことに、賢林寺は歴代のご住職が本堂等の整備をしてくださり、現在の堂宇はきれいな状態となっております。ですので、私は、目に見えないソフトの面で工夫していくことが重要なのだと考えています。賢林寺が日々の祈りの場所であり続けるように、そして賢林寺を人と人との交流や繋がりがますます育まれていくようなお寺にしていきたいと思います。」

参加学生の感想

お寺を案内していただく中で、お寺全体が明るく迎えてくれているような印象を受けました。本堂の前にあります幼稚園生たちが記した看板は、このお寺が幅広い年代の方に愛されているお寺なのだと感じました。そんな中で、副住職とのお話の中で、笑顔で優しくされていることが印象に残りました。副住職自身は他の場所から来られ、この地域の方は優しく迎えてくださったとのことでしたが、副住職の優しい笑顔が周りの人々を集め、地域の方々との壁をないものとしているからこそ、このような関係を作ることができているのだと思うとともに、ご本尊さまをはじめとする仏さま方が結んでくれた縁の力なのだと思いました。

(文・奈良大学 博士前期2年)
賢林寺
〒485-0067 愛知県小牧市藤島町267