33年に一度、人々の前に姿を表す十一面千手観音菩薩をまつる「浄福寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

33年に一度、人々の前に姿を表す十一面千手観音菩薩をまつる「浄福寺」を訪ねる

桜のつぼみがほころび始めた4月上旬、滋賀県甲賀市の古刹・浄福寺において33年に一度の御開帳が執り行われました。2日間行われた御開帳には、全国各地からたくさんの人々が訪れました。今回、御開帳によって境内がにぎわう浄福寺を学生たちが訪問し、住職をつとめる松岡順海師にご案内いただきました。

「本日はようこそ浄福寺へお参りしていただきました。境内を見渡していただいてお分かりの通り、たくさんの方々にお参りしていただいております。日本全国からこれほどの方々が来ていただけるとは想定以上でして、お越しいただいた皆様に観音さまとご縁を結んでいただき、皆様にご多幸があることを心より願っております。」

伝教大師最澄が当地を訪れ浄福寺の歴史が始まる

「皆さんが浄福寺へお越しいただく際に階段や坂を上ってきていただいたように、浄福寺を開いた伝教大師さまもこの山を登って浄福寺を開いたと伝わっております。その際の逸話が浄福寺には伝えられております。」

「延暦年間(782~806)、伝教大師は甲賀の杣谷を訪れておりました。それは、比叡山に根本中堂を建てるための材木を得るためでした。ある時、杣谷から現在浄福寺が建つ山の方向を見ると、昼間にはその山の上に紫雲がたなびき、夜には山に金色の光明が輝いていることに気が付きます。不思議に思った伝教大師はこの山を訪れると、光明の中より仏法を守る様々な神様が姿を表し伝教大師にこのように言います。」
『伝教大師がこの地を訪れることを久しく待っていた。かつて、悪しき存在を打ち払うために清らかな水をこの地に降らした。その水のしみ込んだ木材が土中に埋まっているので、この木を使って十一面千手観音を造立してほしい。』

「伝教大師はこの言葉に従い、土中より木を掘り出し、その木を使って十一面千手観音像を彫ったそうです。このような逸話をもとに、浄福寺の山号は『金』色の『光』を放つ『山』ということで、『金光山』となっております。」

「少し話しはそれますが、甲賀には伝教大師とゆかりのある寺院が数多く伝えられています。たとえば、私が住職を務める嶺南寺も伝教大師との逸話が伝えられていることを、以前訪ねていただいた際にお話ししたかと思います。これほど、甲賀では伝教大師の存在が大きく、地域と伝教大師との関係を大切にしてきた歴史があることを皆さんに知っていただけたらなと思います。」

全国的にみても珍しい座ったお姿のご本尊・十一面千手観音坐像

「それでは、御開帳されているご本尊さまのもとへ参りましょう。」

ご住職のご案内に従い、長い列に並び数十分。学生たちの前にご本尊さまの姿が現れました。

「浄福寺のご本尊は、十一面千手観音坐像というお名前になっております。その名の通り、11のお顔とたくさんの手をもつ観音さまで座ったお姿をされております。この観音さまが造立されたのは鎌倉時代の初め頃、寄木造の技法で造立された仏さまとされております。ここで、先ほどの浄福寺の歴史でお話しした伝教大師自作の観音さまの所在が気になると思いますが、残念ながら当初の観音像が現在まで伝えられているのか詳しいことはわかっておりません。現在のご本尊の胎内におさめられているのか、それとも現在のご本尊さまを造立する際に新しい部材とともに一緒に使用されたのか、はたまた戦乱や災害で失われてしまったのか。まだまだわからないことが多いお寺でもあります。」

「御開帳を行っている通り、通常は秘仏としてお厨子の内部におまつりをしており、33年に一度の本開帳と33年の中間の年に行う中開帳の際にしか直接そのお姿を拝することはできません。今回の御開帳は33年に一度の本開帳ということで、皆様にご本尊さまのお姿をお参りしていただいております。」

「実はこちらの観音さま、全国的にみても珍しいお姿をされております。皆さん千手観音さまのお姿を想像してみてください。みなさんが思い浮かべる千手観音さまのお姿は立っているお姿、立像のお姿の場合が多いのではないでしょうか。実際、多くの寺院でおまつりされている千手観音さまのお姿は立像の場合が多いそうです。」

「先ほどお参りしていただいたご本尊さまのように座っているお姿の千手観音さまは全国的にみても少ないと聞いております。さらに1つのお顔ではなく11のお顔を持つ千手観音坐像としてみると、さらに少なくなるそうです。『木造十一面千手観音坐像』という名称で国指定文化財に指定されている仏さまは、近所ではこの浄福寺ともう1カ所しかないと聞いております。」

「今回御開帳されているご本尊さまに注目が集まっておりますが、本堂内には様々な仏さまがおまつりされております。ご本尊のお厨子の左右には脇侍であります不動明王立像と毘沙門天立像がおまつりされております。」

「さらに向かって右の壇には十一面観音菩薩立像と普賢菩薩立像、さらに聖観音像がおまつりされていたとされる大きな光背がおまつりされております。」

「向かって左の壇には青面金剛立像や薬師如来坐像、白衣観音立像、歴代ご住職の御位牌などがおまつりされております。」

「さらに外陣の欄間には2体の懸仏がおまつりされておりまして、向かって左側が十一面観音さまの懸仏、右側が薬師如来さまの懸仏になります。」

深川地区の住民が守る浄福寺

「最後に今回の御開帳にあたり多大な活躍をしていただいている深川地区の皆さんと浄福寺の関係についてお話ししたいと思います。実は浄福寺は檀家を持たないお寺になります。それでは、この御開帳や年中行事はどのような方に助けていただいているかというと、この浄福寺のある深川(ふかわ)地区の住民の皆様に助けていただいております。この浄福寺はこの深川地区の住民の皆様の祈願寺という歴史を歩んできました。この歴史が今日まで受け継がれているのです。」

「特に『観音講』という組織が長年受け継がれておりまして、観音講の皆様と住職が手を取り合って浄福寺の運営と維持管理を行っております。深川地区の定年を迎えた方を中心に1年あたり3~4名ほどの方が観音講に入り、10年間の所属後に卒業となります。観音講の方々は浄福寺に伝わる『行い』や法要などに携わり、浄福寺の歴史を伝えているのです。現在、観音講に所属されている方々は27名おりまして、今回の御開帳では、現役の観音講の方々とOBの方々とともに実行委員会を立ち上げまして準備を行ってまいりました。様々な方のご尽力があってこそ、日本全国からたくさんの方々をお迎えする事ができました。」

「伝教大師がこの山に十一面千手観音さまを安置して以来およそ1200年間、観音講の皆様をはじめ深川地区の皆様のようなあたたかい方々のご尽力でご本尊さまをはじめとする浄福寺が伝えられてきたと思います。また、今回の御開帳は想定している以上のたくさんの方々にお参りしていただき、非常に嬉しくありがたいことだと感じております。今回浄福寺とご縁を結んでいただいた方々とともに浄福寺の仏さまや文化を未来へ伝えていきたいと考えております。」

参加学生の感想

今回の訪問では、御開帳されたご本尊さまの優しくも迫力のあるお姿と浄福寺の運営に携わっているという『観音講』の方々の姿が印象深く残っております。
ご住職より御開帳されたご本尊は全国的にみても非常に珍しいお姿であることをお聞きし、11の顔を持ち座っているという珍しいお姿の千手観音さまがこの地におまつりされたのか非常に興味を抱きました。また、写真から想像していた大きさよりも一回り大きなお像で、そのお姿を最初にお参りしたときはお像の迫力に圧倒されました。しかし、内陣に入り近くでお参りすると丸みを帯びた体の表現や伏し目がちな眼差しが非常に優しく、そのご本尊さまから感じる印象は深川地区を1000年近く見守ってきたご本尊さまの歴史を参拝者に語り掛けているかのようでした。
また、今回の御開帳だけでなく浄福寺の年中行事を観音講の方々をはじめとする深川地区の皆様が支えているとお聞きしました。今回お会いした観音講の方々とお話しすると、浄福寺のことを非常に大切に想っていることが感じられ、生き生きと御開帳に携わる皆様の姿がとても輝いて見えました。観音講の皆様や深川地区の皆様が伝えてきてくださったからこそ、私たちがご本尊さまの御開帳にお参りすることができたのだと強く感じました。

(文・立命館大学 博士課程1回生)
浄福寺
〒520-3322 滋賀県甲賀市甲南町深川1631