いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
多くの武将に愛された桓武天皇勅願所「薬王院」を訪ねる

水戸市の中心地に近い場所に位置する「薬王院」は、桓武天皇の勅願によって開かれた寺院です。多くの武将たちの祈願の場所になり、多くの人々に篤く信仰されてきました。そんな薬王院も明治時代に入ると廃仏毀釈等の影響を受け一時は無住の状態になりましたが、多くの人々の信仰を『守っていく』という思いによって復興がなされ、現在に至っております。令和6年に修理が完了した本堂や歴史等、様々なことについて薬王院の中村純亮ご住職にご案内していただきました。
薬王院の歴史

「私が薬王院の住職を務めております中村純亮と申します。よろしくお願いします。」
中村純亮ご住職は優しく迎えてくださり、本堂内でお祈りを済ませると、薬王院の歴史について詳しくお話してくださいました。
中村純亮ご住職は優しく迎えてくださり、本堂内でお祈りを済ませると、薬王院の歴史について詳しくお話してくださいました。



「鎌倉時代に入りますと、北条氏の祈願所となりました。武家との繋がりが強くなってまいりますと一体であった吉田神社とは役割が離れていき、室町時代になるとより進んでいきました。室町時代以降、馬場大掾氏、江戸氏、佐竹氏とこの水戸の地を治めていた領主が変わりました。神宮寺と呼ばれていたこのお寺は次第に薬王院という名前で呼ばれるようになりました。薬王院という名は本尊であります薬師如来から由来しています。」

「佐竹氏がこの水戸の地を治めるようになりますと、佐竹氏は真言宗が菩提寺であったことから、このお寺は真言宗一乗院となりました。その際は天台宗の僧侶は他寺に移りましたが、佐竹氏が江戸時代に入りますと領地替えとなり、天台宗薬王院へと復帰いたします。」


「本堂には貞享5年(1688)に大改修されたときの棟札が残っており、墨書が薄くなっており赤外線写真で確認いたしますと、大改修が行われ南面していたお堂を東向きに変えたことや施主が光圀公であったことが分かります。この整備が行われたのは、水戸徳川家の権威を示す意味と並びに、江戸の大火で奥様が被災されて衰弱され、若くしてお亡くなりになられました。水戸家の菩提寺でありました薬王院に埋葬されましたので、奥様の菩提を弔うご供養のために手厚く擁護なされたのだと思います。また東向きに参道を変えたことで、水戸の居城から江戸へと向かう街道に面することになり、このお寺に来やすくする目的もあったのだと思われます。」

室町時代に建てられた本堂と本堂内にまつられる仏たち

「本堂は江戸氏の藤原通泰公によって再建が行われ、享禄2年(1529)に完成したお堂で、国の重要文化財に指定されています。桁行7間・梁間5間という大変大きなお堂でありまして、内陣に僧侶の方々、中陣に水戸の領主の方々、外陣に一般の方々と場所が定められ、お参りされていたのだと思います。」
「昭和43年〜46年本堂の全面解体復元の大修理が行われました。茅茸き屋根は茅葺き型銅板屋根に竣工しました。その以前は徳川光圀公大改修時の姿を残し禅宗様式の土間敷の建物であり、老朽化が進み柱に大きな用材で支えておりました。昭和の大修理から約50年が経過し、雨漏が確認されたため、今和4年6月から令和6年8月に亘り保存修理事業が行われ、屋根銅板葺替えと災害防止対策として耐風補強工事が行われました。屋根下地の木工修復には焼き印を入れ、いつ修復したか確認できるよう施工しています。」
「昭和43年〜46年本堂の全面解体復元の大修理が行われました。茅茸き屋根は茅葺き型銅板屋根に竣工しました。その以前は徳川光圀公大改修時の姿を残し禅宗様式の土間敷の建物であり、老朽化が進み柱に大きな用材で支えておりました。昭和の大修理から約50年が経過し、雨漏が確認されたため、今和4年6月から令和6年8月に亘り保存修理事業が行われ、屋根銅板葺替えと災害防止対策として耐風補強工事が行われました。屋根下地の木工修復には焼き印を入れ、いつ修復したか確認できるよう施工しています。」


「十二神将像は慶派仏師の作であると考えられ、鎌倉時代の作という方も南北朝時代の作であるとおっしゃる方もおられる像になります。12体もおられますので、師匠が造った作であろうという像とその弟子が造ったであろうという像に違いがみられるそうです。この像はバラバラになってしまって箱に詰められて保管されていたそうです。年に2体ずつ復元修理が行われ、修理後茨城県の文化財指定を受けました。」



困難な時代を乗り越え、現在に薬王院の歴史を繋ぐ

「明治・大正・昭和には、寺社にとって大変苦しい時代でありまして、このお寺も苦しい時代が続きました。江戸時代までは水戸徳川家が代々祈願をする場所として庇護を受けておりましたが、その関係がなくなってしまった明治時代には、このお寺に住職がおらず他のお寺の住職の方が兼務なされていた時もありました。このお寺の歴史をどうにか守っていかなければならないと、檀家寺としてこのお寺の歴史を繋いでおります。そのため現在ではお寺として法要を行う際は、昭和8年に建立されました回向堂がメインとなっております。」
「仏さまも大変傷みが進んでおりましたので先代の住職が少しずつ修復を行い、このような皆様にお参りしていただける形になりました。修復は京都の美術院や西村公朝さんを中心に東京藝術大学の方々が行い、修復が成されたきれいな姿でおまつりすることができております。後世に保護するためにも文化財の指定を受けまして、ご本尊・十二神将が茨城県、平安時代の3体の仏像が水戸市の指定文化財となっております。令和6年に本堂の修理が完了いたしました。お檀家さんのみなさまと向き合うとともに、この薬王院の歴史を守り伝えてまいります。」
「仏さまも大変傷みが進んでおりましたので先代の住職が少しずつ修復を行い、このような皆様にお参りしていただける形になりました。修復は京都の美術院や西村公朝さんを中心に東京藝術大学の方々が行い、修復が成されたきれいな姿でおまつりすることができております。後世に保護するためにも文化財の指定を受けまして、ご本尊・十二神将が茨城県、平安時代の3体の仏像が水戸市の指定文化財となっております。令和6年に本堂の修理が完了いたしました。お檀家さんのみなさまと向き合うとともに、この薬王院の歴史を守り伝えてまいります。」
参加学生の感想

(文・奈良大学 博士前期1年)
薬王院
〒310-0836 茨城県水戸市元吉田町682
〒310-0836 茨城県水戸市元吉田町682

人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います