美しい姫の菩提を弔うために開創された古刹「小山寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

美しい姫の菩提を弔うために開創された古刹「小山寺」を訪ねる

茨城県桜川市に位置する小山寺は、天平7年(735)、聖武天皇の勅願によって行基が開創したと伝えられている勅願寺です。
お寺には、国指定重要文化財の『三重塔』、県指定文化財の『十一面観音菩薩坐像』、『木造不動明王立像・毘沙門天立像』、『本堂』、『仁王門』、『鐘楼』、市指定文化財の『木造釈迦入涅槃像』や『木造如来立像(寺伝薬師如来像)』、『小山寺の大杉』があります。お寺の歴史や取り組み、さらに小山寺のご住職をつとめる丹治純孝師が大切にされている『捉え方ですべてが変わる』という考え方についてお話をお聞きしました。

聖武天皇に嫁いだ姫さまの菩提を弔うために創建される

「この小山寺には創建の歴史を記した『縁起』が伝えられています。この縁起は後の時代に記されたものであり、書物によって少し異なる箇所もあるのですが、伝えられているいくつかの縁起に共通している大まかな歴史を最初に紹介したいと思います。」

「今から1300年以上昔、現在小山寺がある地域の北の方の集落にたいへん美しい女性がいました。たいへん仲が良い家族に生まれ幸せに過ごしていましたが、母が亡くなるとその環境は変わってしまいます。新しく家に嫁いできた継母はこの女性にひどい仕打ちをしたそうです。ある時継母はこの女性を殺害しようとし、女性は実家を出て逃げて様々な場所を巡ったといいます。ある縁起では、現在の小山寺のある山で、夜にこの女性がたき火をして暖をとっていたところ、何人かの兵士が現れ女性を保護したと記されています。普段は何もない山に明かりがともされていることを不審に思った麓の領主が兵に命じて理由を探ったからということでした。その後、この女性は故郷を離れ朝廷のある都に赴いたそうです。都においてもこの女性の美しさは有名となり、後に聖武天皇に嫁ぎ『天音姫』と呼ばれ聖武天皇からたいへん寵愛を受けたそうです。」

「この天音姫が若くして亡くなると、聖武天皇はその菩提を弔うためにお寺を建立する事を命じます。その時に対応したのが、有名な行基さんになります。聖武天皇から勅命を受けた行基さんは、大和国から数百の工人を率いて天音姫の故郷に近いこの山に分け入り堂塔伽藍の造営をされたといいます。自作の鉈彫十一面観世音菩薩をご本尊とし、寺号を『施無畏山宝樹院長福禅寺(せむいざんほうじゅいんちょうふくぜんじ)』と名付けました。そして、天音姫の御遺体の上に三重塔を建立し、その菩提を弔いました。」

「その後、釈迦院や文殊院、不動院、多聞院、加法堂、桜本房といった子院が36院も整備され、山上に大伽藍が築かれたそうです。さらに、慈覚大師が東北を巡られた際に、慈覚大師が不動明王と多聞天をご本尊の脇侍として造立したと伝えられています。」
「このお寺の名前が現在の『小山寺』に変わったのは中世の頃であるとされています。平安末期の久寿2年(1155)から暦仁元年(1238)にかけてこの地方は小山朝政公という方が統治をしておりました。小山朝政公はご本尊さまにたいへん帰依していたそうで、お寺を積極的に整備していただいたそうです。そのおりに『長福禅寺』から『小山寺』に改められました。朝政公は、後年出家し法名を『生西』と名乗り、その4年後に亡くなったそうです。」。

「また後の時代になるとこの地域一帯は様々な方々によって統治がされましたが、いずれの領主においても土地などが安堵され明治維新まで続きました。」

ご本尊を中心に圧巻の仏の世界が広がる

「現在みなさんがいる場所が、小山寺の中心の建物である本堂になります。元禄9年(1696)に建立されました。正面の厨子のなかに、ご本尊である十一面観音菩薩さま(秘仏)がおられ、向かって左側には毘沙門天王さま、右側には慈覚大師円仁作と伝わる不動明王さまがご本尊をお守りしています。ご本尊の前には、お前立の十一面観音菩薩さまや薬師瑠璃光如来さまが安置されています。」
「ご本尊の御開帳は62年に一度でして、直接その姿をお参りすることはできません。本堂には、御開帳の際に描かれた絵があるほか、白黒の写真を後ほどご覧いただくので、ご本尊の姿を想像していただけたらと思います。ご本尊は丈六の十一面観音菩薩で座った坐像になります。丈六と聞いているので像高2メートルを超える大きなお像になりますね。さらに特徴的なのが鉈彫りと呼ばれる技法で造立されていることです。皆さんが想像するような仏さまのように肌をすべすべに表現するのではなく、ノミの跡をあえて残すように造立されています。」

「最後に御開帳をしたのが平成3年。この時は三重塔が昭和の終わりから平成3年にかけて行われ、その落慶を記念した特別な御開帳でした。本来の62年に一度のタイミングでの御開帳は昭和40年代頃の御開帳になります。東日本大震災の際も確認のために開帳をしていないので、現在ご本尊さまがどのような状態であるのか、住職である私も気がかりです。今年から10年後の2035年、小山寺が創建されてから1300年の節目の年になるので、その時に御開帳をおこなう予定です。次の御開帳の際にはみなさまに美しいご本尊さまの姿をお参りしていただけるように励んでいきたいと考えています。少し話題はそれますが、先ほどお話した縁起を思い出してください。実は縁起に登場した天音姫が生まれた家は、1300年近くの時を経ても現在まで続いております。ですので、御開帳の際にはその生家のご当主さまの家に小山寺の住職が出向き、御開帳してよいかご相談します。さらに勝手に御開帳するとその生家に災いが生じるということで、生家に赴き藁で作った家を使って儀式を行うことになっております。目に見える仏さまや建物などの文化財を伝えていくことも重要ですが、こうした目に見えないお寺と人とのつながりも大切にしていきたいと考えております。」

「ご本尊さまの左におまつりされているのが毘沙門天立像になります。室町時代に造立されたと考えられているお像でして、現在茨城県の指定文化財になっております。ヒノキ材による寄木造でして、力のみなぎる眼差しが参拝者のみなさまに人気の仏さまになります。」

「右におまつりされているのが、不動明王立像になります。詳しい造立年代は不明なのですが、お寺に伝わっているところによると平安時代後期とされています。こちらのお像は毘沙門天さまに比べるとおっとりとした眼差しが特徴でその柔らかく親しみやすい雰囲気が人気の仏さまになります。」
「今回大学生のみなさんに小山寺に来ていただくということで、お坊さんが普段法要で行っていることを体験してほしいなと思いました。今回、特別に法要やおつとめをする際にお坊さんが座る場所に座ってみてください。普段みなさんが座る場所からみる光景と違いはあるでしょうか。」

お坊さんが座る席に座ってみると、いつもお参りする時の光景より仏さまとの距離がグッと近づいたような感覚を覚えました。仏さまに包み込まれるような印象を抱くとともに、仏さまの前ということが強くなりピリッとした緊張感を感じました。

「法要では、きらびやかな装飾や衣などの目で見る視覚的な効果も印象深いかと思いますが、他の感覚を刺激する効果もありますね。例えば、太鼓や木魚、鐘から発する音です。せっかくお寺に来ていただいたので、この内陣で太鼓や木魚、鐘を叩いてみてください。法要の際にどのように音が響くのか実感してみてください。」

本堂内には、学生たちによって太鼓や木魚などの様々な音が奏でられました。本堂の内陣という神聖な場所で様々な貴重な体験をさせていただき、ご住職と学生たちには笑顔であふれ、本堂内には一人一人が活き活きとした時間が流れていました。そのような光景を見る仏さまたちの眼差しからはあたたかく、喜ばしい雰囲気が感じられました。

目の前に実際に寝ているかのような木造釈迦入涅槃像と仁王門

本堂の隣にある百観音堂には、もともと仁王門の2階に安置されていた木造釈迦入涅槃像が安置されています。

「こちらの木造釈迦入涅槃像の詳細はわかっておりませんが、最近まで仁王門の2階におまつりされていました。このお像を修復したことをきっかけに仁王門からこちらの百観音堂に移したと聞いております。近くまで寄っていただくと、すぐ前に実際に横たわっているかのようなリアルさがあると思います。衣の表現の仕方や足の指先まで丹念に造立された小山寺の隠れた美しい仏さまになります。」

「このお釈迦さまが安置されていた仁王門は享保17年(1732)に建立されました。西側に 吽形像、東側には阿形像の仁王様が安置されております。平成23年(2011)から同25年かけて全解体保存修理が行われています。修理する中で享保14年、17年、18年の墨書が発見されたことから、建設には少なくとも4年の歳月を要したこと、棟梁は記された墨書から箱田村の『藤田孫平治』であることがわかりました。」

天音姫のお墓の上に建つ関東以北最古の歴史を誇る三重塔

「先ほど、小山寺が創建された際の縁起をお話した際に登場した天音姫のことを覚えていますか。先ほどのお話した通り、行基菩薩によってこの地に埋葬され、その上に三重塔が建てられたと伝わっております。当時の三重塔は現存していませんが、その後に建てられた三重塔が今日まで伝わっています。三重塔の場所は動いていないと聞いているので、現在も三重塔の下には天音姫が埋葬されているということになりますね。」

「現在の三重塔は室町時代頃の建立と考えられておりまして、戦前までは国宝、戦後の法律改正によって現在は国指定重要文化財で、関東以北では最古の三重塔といわれています。建立してから昭和の末までに3~4回修復工事がなされましたが、傷みがひどく平成の修復工事で全面解体を行いました。その際、3年の歳月をかけ創建当時の姿への復元をおこないました。この塔は全体の姿も美しいですが、栩葺屋根や禅宗様式の須弥壇の様式や斗組(ますぐみ)、蟇股(かえるまた)の透彫などは他に類を見ないものです。」

「突然ですが、みなさん三重塔の心柱を見たいですか?」
と、ご住職から学生たちに向けて声が掛けられます。すぐさまうなずく学生たちを見て、ご住職から特別に2層部分を見る許可が出ました。

ご住職の手で格天井の一つの格子がずらされると、そこには2層目と3層目へとつながる隙間が出現しました。建物を傷つけないように慎重に2層目をのぞき込み、真っ暗の空間に光を照らすと、中央にどの柱よりも太い柱がたてられていました。
「こちらが三重塔の心柱になります。三重塔や五重塔など様々なお寺に伝えられていますが、このように実際に2層部分から心柱を見る機会はほとんどないと思います。みなさんに小山寺で様々なことを体感していただくということで今回特別にご覧いただきました。」

今でも堂々と立ち続ける心柱を見させていただき、学生たちからは感動の声があがりました。

捉え方ですべてが変わる

最後にご住職が大切にされている考え方についてお話しいただきました。

「最終的に物事をどのように判断するのか、どのように捉えるのかは自分次第だと考えています。皆さんには、先ほど本堂や三重塔などで様々なことを体験していただいたと思います。様々なことを体験して、自分がどのように感じたのか、どのような気持ちを抱いたのか、この自分自身の心の動きを大切にしていただきたいと思います。時にはつらく、悲しく感じて立ち直れないこともあるかもしれません。そのようなとき、自分自身の心の捉え方を少し変えてみたら少し明るい見方ができるかもしれません。それでも難しい場合は、ご家族やご友人を頼ってみてください。どうしてもの場合は、私ならいつでも何時間でもお話をお聞きしますよ(笑)。実際に午前中からお寺の門が閉まる時間までお話ししたこともあります。」

「実際、私自身もお寺を運営していく上で少し落ち込むこともあるのです。そうしたときに、今の状況を捉えている自分の見方を少し変えてみる、そしてお寺に来て下さる皆さんとお話をして交流をしていると、どうしようとマイナスに捉えていたことも気が付いたら少し前向きに捉えることができていました。そのような意味でもこの小山寺を守っているのは私一人の力ではなく、小山寺に来ていただいている全てのみなさまのお力であると考えています。小山寺を中心とした人々の交流の広がりを大切にしていきたいと考えています。」

参加学生の感想

知識を得ることは簡単だが、知恵に変えることが難しい。やはり実践することが一番、座学では得られない学びが沢山あると感じています。大学生活には多くの時間がありますが、その時間を「好き放題」に使うのではなく、「楽」ではなく「楽しむ」ことを大切にしていきたいと振り返ることができました。
ご住職は、捉え方次第で全てが変わるということを大切にされており、お話を聞いて改めて体感しました。「誰でも仏になれる」と言われるように課題に真正面から向き合うことで、日々の活力になるというメッセージだと感じました。「体験」を通じてやっと理解に繋がるということを実感できる機会になりました。
冨谷山の山間にあり、自然に恵まれ、穏やかでゆったりとした時間を過ごすことができます。是非、たくさんの方々に一度訪れてみていただきたいと思いました。

(文・龍谷大学農学部 4回生)
小山寺
〒309-1347 茨城県桜川市富谷2186