雄大な八角円堂が参拝者を出迎える「佛性寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

雄大な八角円堂が参拝者を出迎える「佛性寺」を訪ねる

茨城県水戸市に中世に建立された雄大かつ独特な建物が天台宗の古刹に伝えられています。今回、そのような建物を今に伝える涌石山大日院佛性寺を訪問し、国の重要文化財に指定されている八角円堂とおまつりされている仏さまについて様々なお話をご住職である山田 純生師に伺いました。

慈覚大師円仁によって佛性寺は開かれる

「佛性寺は天長年間(824年〜834年)に慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられている天台宗のお寺になります。淳和天皇の勅願所として栄え、国家の安泰と人々の幸福を祈る場所でした。その後の歴史の詳細はわからないことも多いですが、江戸時代には群馬県の世良田にある『長楽寺』という名刹の末寺となっておりました。そして水戸藩内の代表的な天台宗寺院の総称である『天台宗水戸十か寺』の一つとして数えられていました。そうした歴史を踏まえると、現在の佛性寺の境内はあまり広いというわけではありませんが、往時はもっと広大な境内に様々な建物が建てられ、様々な仏さまがおまつりされていたのかもしれませんね。」

佛性寺の歴史を物語るご本尊と三十日仏坐像

「先ほど佛性寺の歴史はわからないことが多いとお話ししたかと思います。しかしながら、佛性寺の中世の様子を私たちに物語る存在が大切に伝えられております。その存在こそが、佛性寺の本堂とその内部におまつりされているご本尊さまになります。今回特別に本堂の扉を開けておりますので、どうぞ中へお入りください。」

学生たちは胸を高鳴らせながら本堂の内部へと歩みを進めます。

「最初にご本尊さまについてお話ししたいと思います。佛性寺のご本尊さまは大日如来坐像になります。通常の大日如来坐像と異なり独特な点があるのですが、みなさん何か気が付きますか?」

「そうですね。多くの大日如来坐像は木を材料に彫られているのですが、こちらの大日如来坐像は金属でできているお像になります。お像には銘文が刻まれていまして、室町時代中期頃に造立された仏さまであると考えられております。そうしたことからこちらの大日如来坐像は茨城県の文化財に指定されています。」

「さらに、全国的に見ても珍しい仏さまが大日如来坐像の左右におまつりしている三十日仏坐像になります。三十日仏信仰というのは中世に日本で流行した信仰であるとされております。みなさん、お寺にお参りしたときに8日はお薬師さんの日などと聞いたことはありませんか?これは1か月を30日とし、その1日1日に仏さまを割り当てそれぞれの日に割り当てられた仏さまをお参りするとその仏さまと特に縁を結ぶことができるという信仰になります。」

「全国的にみて、この三十仏は絵画や三十体すべてではなく単独でおまつりされることが多いのですが、佛性寺では大日如来坐像と同じ金属でできた『立体的な』お像であり、さらに30体すべての仏さまを造立していた痕跡があることが珍しい点になります。残念ながら現存している仏さまは20体ほどですが、これほどの三十日仏坐像が伝えられていることがたいへん貴重であると聞いております。こちらの三十日仏坐像も室町時代の中期頃に造立されたと考えられておりまして、茨城県の文化財に指定されております。」
「ご本尊さまや三十日仏坐像をたくさんの方々にお参りしていただきのですが、防犯上のこともありますので、多くの檀家の皆さまが佛性寺にお参りする8月のお盆のころに扉をあけてお参りしていただいております。」

茅葺で八角形の雄大なお堂が建つ

「続いては、現在みなさんがいる本堂についてご紹介しましょう。みなさんお気づきの通り佛性寺の本堂はかなり独特な形をしております。建物の平面をみますと角が8つの八角形になっているので、このような建物は『八角円堂』と呼ばれます。」

「この建物が建てられた時代は天正13年(1585)頃、立原伊豆守政幹という人物を中心に建てられたと墨書が残されております。この立原氏という一族は、この建物が建てられた時代に水戸城に入っていた江戸氏の家臣をつとめる一族であるそうで、この地域の歴史を知る上で非常に重要な建物になります。」

「このようにご紹介した仏さまや建物から中世の佛性寺やこの地域の歴史を想像することができるかと思います。」

東日本大震災からの復興と本堂の歴史の判明

「現在ご覧の通り本堂は茅葺の建物ですが、以前は瓦葺の建物でした。こちらにその当時の建物の様子を写した写真を持ってきておりますので。ご覧になってください。その写真の建物と現在の建物の様子を比べると同じ建物と思えないほど印象が変わっていると思います。この気持ちは私たち寺の者も同じで、この写真のような建物のとき、誰もこの建物がこれほど貴重な建物であると気が付いておりませんでした。あるとき、研究者の方に見てもらったら、貴重な建物であるとわかり、あれよあれよと言う間に国の文化財に指定されたのです。」

「また、平成23年(2011)に発生した東日本大震災の際には、この建物は大きく被害を受けました。建物の内部は物が倒れたり壊れたりしていましたし、建物自体が大きくねじれてしまいました。そこで、平成23年から平成26年まで解体保存修理工事が行われました。そこで、先ほどご紹介した墨書や建物に関する記録が多く見つかりました。さらに、工事前の建物では皆さんが入ってきた門の方角(東向き)に取り付けてあった本堂の扉が、建立当初は南向きにあったことが分かりました。文化財修復は建立当初の姿に戻すということが決まりですので、修復工事で判明した事実をもとに建立当初の姿に戻した建物が現在の建物になります。」
幾度もの災害を乗り越えながら八角形の姿を変えずに今に伝わる佛性寺の本堂は、地域の信仰と文化を今に伝える大切な存在であると感じました。
しかしながら、建物を維持する上でご苦労も多いそうです。

「やはり茅葺き屋根の維持が大変ですね。1年に1回茅葺き屋根のチェックのために専門の方がお見えになられます。以前の瓦の屋根と違って茅葺きは寿命が20年前後と短いですからその都度修理が必要になるのが大変です。」

私たちが何気なく見ている八角堂の美しさの裏には、こうした定期的な手入れや修復の苦労があるのだと知りました。震災前は茅葺きではなく瓦葺だったということも驚きました。歴史的な価値を守るために、現代では手間のかかる茅葺きを選択されたご住職の決断に、文化財を次の世代に伝えようとする強い思いを感じました。
「文化財を後世へ伝えていくためにはお坊さんだけではなく多くの人々が手を取り合うことが大切であると考えています。佛性寺は檀家寺なので、地域の人との繋がりは大切にしていますね。お寺をやっていくうえで、行事をするにしても、茅葺き屋根の修理をするにしても、檀家さんの協力なしではうまくいかない。ですので、お寺という場所を、ただ法事を頼みに来るための場所にするのではなく、悩みや困り事を抱えた人に寄りいつでも添ってあげることのできる場所にしたいと思っております。東日本大震災による影響でこのあたりが断水した時も、井戸を持っている檀家さんがみんなのために水を分けてくださったおかげでなんとかつらい状況もみんなで乗り越えることができました。」

ご住職のお話を伺うと、お寺や地域が人と人との絆によって守られているものなのだと心から感じました。私たち若い世代は、お寺は法事や葬式のときだけ行く場所だと思いがちですが、実はもっと深い意味で地域のよりどころになっていることを再確認しました。また、震災のエピソードは特に心に残りました。困ったときにお互いに助け合う地域の絆の大切さ、これこそが、八角円堂や佛性寺が何百年も守られてきた原動力なのかもしれないと思いました。この伝統を私たちの世代でも大切に受け継いでいきたいです。

参加学生の感想

佛性寺を訪問して、私は文化財を守ることの意味について深く考えさせられました。八角円堂という建物を守るという行為は、単に古い建物を修復して残すということではなく、その周りにある人々の絆や、歴史に根ざした地域のアイデンティティを守ることでもあるのだと実感しました。

私たち若い世代が古い文化や伝統を知り、理解し、そして次の世代へとつないでいくことの大切さを、今回の訪問を通じて学ぶことができました。これからも佛性寺の八角円堂が、多くの人々に親しまれ、地域の宝として輝き続けることを願っています。

(文・立命館大学 理工学部3回生)
佛性寺
〒311-1133 茨城県水戸市栗崎町1985