諸国を巡り歩いた仏様が集う「山科聖天双林院」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

諸国を巡り歩いた仏様が集う「山科聖天双林院」を訪ねる

京都府山科区、四季を通じて美しい景色が広がることで景色で有名な毘沙門堂門跡から少し奥に進んだ先に毘沙門堂門跡と密接な関係を持つ山科聖天双林院が伽藍を構えています。今回、2月の雪が降る中で、少しの晴れ間に出会えた午後、山科聖天双林院のご住職である田中良宜師に双林院の歴史とまつられている仏さまの魅力についてご案内いただきました。

毘沙門堂門跡の歴代門主のお墓を守る、諸国を巡った阿弥陀様

まずは阿弥陀堂にご案内いただき、双林院の歴史をお話しいただきました。

「双林院は、毘沙門堂が山科に移転した1665年に、天海大僧正の弟子である公海大僧正によって建立された毘沙門堂門跡の塔頭です。元々はこちらの阿弥陀堂が本堂でしたが、後に聖天堂が建ち、不動堂が建ちました。なぜかというと、ご本尊が変わったからです。
山科聖天と親しまれている通り、現在のご本尊は大聖歓喜天ですが、創建当初のご本尊は今からお参りしていただく阿弥陀如来さまでした。」

「こちらの阿弥陀様は平安時代後期に造立された仏さまで「光坊の弥陀」と呼ばれています。お寺に伝わっているところによると、滋賀県に伽藍を構える西明寺(湖東三山)にもともと安置されていた仏さまであるとされ、毘沙門堂門跡が創建されるに伴い、毘沙門堂の本殿でおまつりされ、その後双林院建立の際にご本尊として移されたそうです。さらに、専門の方に調べていただいた際、西明寺以前に比叡山にいらっしゃった可能性があると聞いています。そのことを裏付けるかのように、火災に遭遇した際についたような焦げ跡が残されています。現在は金箔で覆われていますが、もともとは覆われていなかったそうで、金箔で覆ったことで中の木材が補強されて現在の姿をとどめていると聞いています。」

延暦寺を守る想いが詰まった「合わせ仏」の不動明王

続いて不動堂へとご案内いただきました。

「こちらの不動堂は、比叡山の無動寺谷で修行をされた双林院の第24代住職が、無動寺谷でおまつりされていた不動明王を移した際に建てられました。お堂の天井が煙突になっている珍しい構造で、これは焚き護摩を行っても天井が煤けないように工夫を凝らして作られたものになっていて、たくさんの人々の願いや想いを高く炊き上げることが可能になっています。」
「こちらのお不動様は一見してもわからないとは思いますが、解体修理をしたところ、実はお不動様を造ろうと思って無垢な材料で造ったのではなく、いろんな仏さまの部位を300部材以上繋ぎ合わせて造られたお不動さんだったことが判明しました。例えば、お顔は馬頭観音様と愛染明王様の顔の2つを左右で組み合わせて造られています。また、右後頭部を見ると、如来の螺髪を見つけることもできます。」

ご説明を受け、お不動さんに近づいてよく見てみると、ほんとにわずかではあるものの顔が右側と左側で少し違っています。
「当時解体修復を担当していただいた西村公朝大仏師や専門家の方々によると、組み立てる際に余ってしまった部材が約100本楊枝状に加工して頭頂部におさめていることが発見され、できるだけ多くの部材を使おうと苦心した様子が判明したそうです。さらに、中には焼け跡のある部分があることから、織田信長による比叡山の焼き討ちの際に残った仏像の素材が使われているのではないかと考えられています。不動明王には災いを焼き尽くす力があると信じられているので、比叡山延暦寺を様々な災いから守る、災いの種を焼き尽くす願いを込めて作られたのではないかと考えられています。」

ご拝顔しているとこれまで見たお不動さんでは感じられないような優しいパワーを感じました。

大きな力を持ち、時には恐れられる聖天様

不動堂を出て廊下を渡ると、今の本尊の大聖歓喜天をおまつりする聖天堂にご案内いただきお話しいただきました。

 「聖天堂は、明治元年に御所に勤められていた清水谷公正(しみずだにきんなお)卿という方が御所を辞められた退職金で寄進されました。その際に建物と一緒にご寄進いただいた仏さまが現在のご本尊である大聖歓喜天です。もともと、ご本尊は江戸時代の天皇である中御門天皇の第二皇子で公遵法親王という方の念持仏の聖天様であったそうです。
公遵法親王様は毘沙門堂・浅草寺・日光輪王寺の住職をされ、後に天台座主にもなられた方です。」
「本来非公開なのですが、どうぞ内陣でご覧ください。」

今回特別に内陣に入れていただきました。

「聖天様は歓喜天とも呼ばれていて、次のような物語があります。ヒンドゥー教で学問の神様として祀られているガネーシャは、すごく力のある神様で、悪さもしたといいます。そこで神様がこらしめるために毒饅頭を食べさせます。そこで苦しんでいたところに十一面観音様が現れ、仏法に帰依するなら助けるといいました。ガネーシャが助けてほしいというと、十一面観音は山の中の油の池にガネーシャを漬けました。するとガネーシャは毒がとれて元気になり、それを喜んだガネーシャと十一面観音が抱擁した姿が聖天様になったといわれています。つまり聖天様はガネーシャと十一面観音の二体の抱擁神となっているのです。
象頭人身の神様で二体が抱き合った姿で、男天がガネーシャ、女天が十一面観音ということです。」

「誓願としては究極ですが、我々の欲である願いをかなえることで信心を得る。だからお礼に信心をもちなさいという神様なのです。
それだけ強い力があるので熱心な信者さんも多くおられます。
ただ、信心を間違うと祟られるともいいます。つまり欲を一代でとってしまって後の子孫は貧乏になってしまう、という噂もあり、聖天さんは怖いともいわれています。
それはなぜかというと、実際にあったお話しですが、信者さんは熱心な方が多いんです。ですが、子孫や次の代を継ぐ人は、信心の大切さを理解しないと信心などしませんよね。
信者さんは聖天さんのご利益によって商売繁盛していましたが、次の代の人が信心をせず聖天さんのご利益なんてなくても自分でやれるといっていたら会社がつぶれてしまった。
人はどうしても他人のせいにしたくなるもの。すると、会社がつぶれたのは先代が祈っていた聖天さんの祟りだという話になる。こんなことで、怖いと言われているというということもあるようですね。」

信仰を継承することは本当に難しく、それゆえに聖天さんが怖いと言われる謂れになっているとは驚きました。

「聖天様はその力の強さから、一般人が目にしてはいけないとされていて、これは秘仏と同じ考え方に基づいています。
しかし、一般人でも見ることが許され、お前立的な役割を持つ歓喜童子像があるので、そちらをご覧ください。」

須弥壇の中央右側に小さなお厨子があり、その中に歓喜童子像がおられました。
手には巾着と大根を持っていて、頭には象を乗せているかわいらしいお姿をされています。
「歓喜童子像の巾着は、宝袋です。我々人間の願いを表していて、大根は煩悩などの毒をおろすという意味を表しているのです。
聖天様は天部の神様なので、如来や明王よりも人間に近い存在であるため汗や欲の垢を浄める必要があります。浄める方法として、物語にあった油の池から、聖天様を浄めるための浴油祈祷という聖天様特有の法要を行います。この浴油祈祷は仏像に油をかけて行われるもので、そのために木造の本尊とは別に浴油用の金属で造られた仏像が使われています。」

信者の方に持ち込まれた数多くの聖天様

聖天堂の須弥壇には、十一面観音様の両脇に数えきれない筒状のお厨子が祀られていました。

「須弥壇両側に並ぶたくさんのお厨子は全て、聖天様の信者の方々や寺院から双林院に預けたもので、現在は70程のお厨子があり中には3体入っているものもあるため、ここには合わせて100体以上の聖天さんがお祀りされています。聖天様はその力がとても強い反面、先ほどもお話ししたように、供養を続けていないと祟られるという噂もあるため、供養を続けられなくなった信者の方々が聖天様を代わりに供養してもらうために双林院に預けられることがあり、今ではこんなに増えました。現在は聖天さまの受け入れをお断りしていますが、どこかで双林院では聖天様を預かってくれるという評判が信者様の間で広まったようで、特にこちらから宣伝などすることもなく自然に集まっていきました。」
「このようにとても強い力を持つ聖天様ですから、武田信玄や徳川家康など戦国大名からの信仰も篤く、双林院に並ぶお厨子の中には武田信玄が兜の中に入れて戦場に連れていったという歴史をもつ聖天様もいらっしゃいます。」

どのお厨子に武田信玄所有と伝わる聖天様がいらっしゃるのか伺いましたが、確かではないそうです。この中のどこかに武田信玄所有のものがあるかもしれないと考えるとわくわくしました。

参加学生の感想

 双林院を訪れて、それぞれのお堂の仏様の歴史や、双林院にいらっしゃるまでの経緯が様々であることを伺って、双林院での仏様との出会いにとても神秘的なものを感じました。一期一会という言葉があるように、仏様との出会いも何かのご縁によるものだと実感することができました。
 個人的には合わせ仏のお不動さんがとても印象に残っていて、仏様にはたくさんの想いが込められていますが、双林院のお不動さんにはとても深く想いが込められているということを感じました。
双林院は普段はどのお堂も公開されていないものの、毎月「お掃除会」が行われており、仏様と繋がることができます。
毘沙門堂を訪れられた際には双林院まで少し足を伸ばしてみませんか。

(文・立命館大学法学部 2回生)
山科聖天 双林院
〒607-8003 京都府京都市山科区安朱稲荷山町18−1