いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
天台の教えを未来へつなぐ古刹「成菩提院」を訪れる
滋賀県と岐阜県の県境、中世以来の宿場として栄えた柏原宿に天台の教えを学ぶ僧侶が集った古刹・成菩提院が伽藍を構えています。伝教大師が創建して以来、たくさんの高僧が集ったという成菩提院には高僧たちがまとめた聖教類をはじめ、柏原宿を訪れた武将との関係性を今に伝える史料や文化財が数多く伝えられています。秋の訪れを感じるようになった11月の初旬に成菩提院を訪れました。
天台の教えを学ぶ場所として栄えた成菩提院
堂々とした山門をくぐり、うっそうとした森に囲まれる参道を進むと成菩提院の伽藍が見えてきました。
「本日はようこそお参りいただきました。」
学生たちをそのように出迎えるのは、副住職をつとめる山口公雄師です。
「それでは早速ですが本堂へ進んでいただいて、成菩提院の歴史をお話ししたいと思います。」
山口師のご案内に従い、学生たちは本堂へ進みます。
学生たちをそのように出迎えるのは、副住職をつとめる山口公雄師です。
「それでは早速ですが本堂へ進んでいただいて、成菩提院の歴史をお話ししたいと思います。」
山口師のご案内に従い、学生たちは本堂へ進みます。
「成菩提院の歴史は今より約1200年前、伝教大師最澄によりはじまったと伝えられています。弘仁6年(815)のことです。円乗寺と号したとされ、嵯峨天皇の勅願所として大いに栄えたと伝えられています。」
「伝教大師による開創から約400年以上年月が経った鎌倉時代や南北朝時代、この成菩提院は「柏原談議所」として大いに栄えたといいます。この談議所という言葉はあまり聞きなじみのない言葉だと思います。談議所とは天台の教えを学ぶお寺だと思ってください。中世になるとここ成菩提院だけでなく、全国各地に数多くの談議所が建てられ、それぞれの談議所では天台の教えを学ぶ僧侶が集ったといいます。ここ成菩提院にもたくさんの僧侶が勉学に励んでおり、そのことを示す聖教類が伝えられています。」
「伝教大師による開創から約400年以上年月が経った鎌倉時代や南北朝時代、この成菩提院は「柏原談議所」として大いに栄えたといいます。この談議所という言葉はあまり聞きなじみのない言葉だと思います。談議所とは天台の教えを学ぶお寺だと思ってください。中世になるとここ成菩提院だけでなく、全国各地に数多くの談議所が建てられ、それぞれの談議所では天台の教えを学ぶ僧侶が集ったといいます。ここ成菩提院にもたくさんの僧侶が勉学に励んでおり、そのことを示す聖教類が伝えられています。」
「そうした成菩提院に関わる聖教類の詳細、そして談議所として大いに栄えたとされる中世の成菩提院の姿は今まで明らかではありませんでした。そこで、現在、成菩提院に伝わる聖教類とかつて成菩提院が所蔵していた聖教類に着目し、中世の成菩提院の姿を明らかにするための研究が進んでいます。2023年には研究を主導している関西大学の博物館で、実際の聖教類の展示が行われました。まだまだ分からないことも多いですが、この研究の進展により中世の成菩提院の姿が明らかになることを期待しています。」
現在進行形で進められている聖教類に関する研究に関して山口師と話していると、談議所としての成菩提院の姿を明らかにするために様々な視点から研究が進められており、関わる研究者の方々や成菩提院のみなさまの熱量を感じました。どのようなことが明らかになっていくのか、非常に楽しみです。
戦国武将と地域の関係を今に伝える成菩提院の寺宝
続いて本堂の内部に足を進めていきます。本堂の内部では寺宝展と題し、成菩提院に伝わる様々な寺宝が展示されていました。
「成菩提院では、毎年11月に寺宝展と題し成菩提院に伝わる寺宝を皆様に公開する機会を開いています。毎年展示のテーマを変えて企画しています。今年のテーマは戦国時代です。成菩提院と関わった戦国武将たちの息づかいをみなさまに体感していただきたいと考え企画しました。」
「成菩提院では、毎年11月に寺宝展と題し成菩提院に伝わる寺宝を皆様に公開する機会を開いています。毎年展示のテーマを変えて企画しています。今年のテーマは戦国時代です。成菩提院と関わった戦国武将たちの息づかいをみなさまに体感していただきたいと考え企画しました。」
「まずご覧いただきたいのは、「制札」とよばれる板です。制札とは、禁止されていることや告知することなどを木札に書いて、門の前などに示したもののことを言います。中でも軍勢の乱暴行為を禁じた「禁制」と呼ばれる書式が中世に数多く使用されました。」
「成菩提院が伽藍を構える近江では中世にかけてたくさんの戦乱が発生し、その都度寺社が被害を受けた歴史があります。そこで、戦場の舞台となる可能性が生じた社寺や集落が、地域の平和や信仰を守るために権力者に依頼して禁制を求めたといいます。」
「成菩提院に伝わる制札は16~17世紀にかけて制作されたものになります。この成菩提院の制札が貴重といわれている理由の一つは、誰もが知っている戦国武将に関わるものであるからです。現在皆様の目の前に展示している中で一番古いものが、永禄11年(1586)に織田信長により定められた禁制になります。内容は3か条、陣取りと放火の禁止・乱暴狼藉の禁止・山林と竹林の伐採の禁止が定められています。ここで、この制札が求められた背景を考えてみると、この永禄11年、織田信長は都に上洛しました。このことから、近江を拠点としており織田信長と敵対していた六角氏との戦を見越して成菩提院の僧侶たちが依頼したのではないかと考えられています。」
「成菩提院が伽藍を構える近江では中世にかけてたくさんの戦乱が発生し、その都度寺社が被害を受けた歴史があります。そこで、戦場の舞台となる可能性が生じた社寺や集落が、地域の平和や信仰を守るために権力者に依頼して禁制を求めたといいます。」
「成菩提院に伝わる制札は16~17世紀にかけて制作されたものになります。この成菩提院の制札が貴重といわれている理由の一つは、誰もが知っている戦国武将に関わるものであるからです。現在皆様の目の前に展示している中で一番古いものが、永禄11年(1586)に織田信長により定められた禁制になります。内容は3か条、陣取りと放火の禁止・乱暴狼藉の禁止・山林と竹林の伐採の禁止が定められています。ここで、この制札が求められた背景を考えてみると、この永禄11年、織田信長は都に上洛しました。このことから、近江を拠点としており織田信長と敵対していた六角氏との戦を見越して成菩提院の僧侶たちが依頼したのではないかと考えられています。」
「さらに隣には、丹羽長秀と羽柴秀吉により定められた禁制札も展示しております。こちらは、天正10年(1582)に成菩提院に与えられたものになります。この年は本能寺の変が起こった年であり、織田信長の後継者を決める清須会議が開かれた年になります。そうした観点でこの制札を見てみると、柴田勝家に対する丹羽長秀と羽柴秀吉の動きを示すものであるとも考えられ、歴史が大きく動いていた当時の世情を色濃く残している札であるともいえると思います。」
「そして小早川秀秋が与えたとされる制札も必見です。みなさん、この制札が定められた慶長5年(1600)9月に何があったでしょうか。そうです、関ヶ原の戦いがこの成菩提院のすぐ近くで発生しました。この制札が与えられた時期が合戦の前なのか後なのかは明らかになっていませんが、すぐ近くの場所で大規模な戦が発生する兆しを敏感に感じ取り、お寺を守るために尽力した当時の成菩提院の僧侶や地域の人々の姿を今に伝える貴重な史料の一つになります。」
「そして小早川秀秋が与えたとされる制札も必見です。みなさん、この制札が定められた慶長5年(1600)9月に何があったでしょうか。そうです、関ヶ原の戦いがこの成菩提院のすぐ近くで発生しました。この制札が与えられた時期が合戦の前なのか後なのかは明らかになっていませんが、すぐ近くの場所で大規模な戦が発生する兆しを敏感に感じ取り、お寺を守るために尽力した当時の成菩提院の僧侶や地域の人々の姿を今に伝える貴重な史料の一つになります。」
また、この小早川秀秋が定めた制札に着目して、当時この成菩提院にて戦国武将たちがどのような駆け引きを行ったのか、山口師に非常に興味深いお話をしていただきました。実際の史料をもとにご案内していただける機会は非常におもしろく、ぜひたくさんの方に成菩提院でお話を聞いていただきたいと思いました。
戦国武将が訪れた当時の様式を偲ぶ本堂とご本尊・十一面観音さま
「先ほど成菩提院と戦国武将との関係をお話ししましたが、戦国武将がこの付近を通る際、成菩提院に滞在したこともあると伝えられています。残念ながら、その当時の建物は文政8年(1825)の大雪によって倒壊してしまい、現在の本堂は嘉永6年(1853)から万延元年(1860)にかけて再建された建物になります。その再建の際、実際に戦国武将が訪れていた当時の様式を再現して建てられたとも言われています。細かく見ていただくと、釘隠しなど精緻に作られていることがおわかりいただけると思います。」
「それでは続いて本堂の中央に足を進んでいただきます。そこで、成菩提院のご本尊さまについてお話ししたいと思います。」
「成菩提院のご本尊さまは十一面観音さまになります。その左右には不動明王さまと毘沙門天さまが脇侍としておまつりされています。3躯とも立ったお姿の立像で、十一面観音さまは平安時代末期から鎌倉時代にかけての造立、毘沙門天さまは鎌倉時代、不動明王さまは室町時代の造立と考えられています。秘仏としておまつりされていまして、通常は中央の大きなお厨子の内部にいらっしゃいます。最後に御開帳されたのは、2022年。成菩提院を中興した中世の僧侶、貞舜法印の600回遠忌にあわせ御開帳されました。」
「成菩提院のご本尊さまは十一面観音さまになります。その左右には不動明王さまと毘沙門天さまが脇侍としておまつりされています。3躯とも立ったお姿の立像で、十一面観音さまは平安時代末期から鎌倉時代にかけての造立、毘沙門天さまは鎌倉時代、不動明王さまは室町時代の造立と考えられています。秘仏としておまつりされていまして、通常は中央の大きなお厨子の内部にいらっしゃいます。最後に御開帳されたのは、2022年。成菩提院を中興した中世の僧侶、貞舜法印の600回遠忌にあわせ御開帳されました。」
「ご本尊さまのお姿は直接お参りできませんが、ご本尊さまがおまつりされている大きなお厨子の前にお前立の十一面観音さまがおまつりされています。こちらの十一面観音さまは室町時代に造立された仏さまで、ご本尊さまと異なり座ったお姿である坐像になります。この十一面観音さまは金色に輝く美しいお姿で、みなさまから親しまれている仏さまになります。」
お前立の十一面観音さまのお姿は薄暗い本堂内陣にて光り輝き、勉学に励む中世に生きた僧侶たちへ向けた眼差しと同じように学生たちへとその視線を向けていました。また、内陣は江戸時代に描かれたと考えられる水墨画の龍の襖絵に彩られ、その迫力ある姿に圧倒されました。
お前立の十一面観音さまのお姿は薄暗い本堂内陣にて光り輝き、勉学に励む中世に生きた僧侶たちへ向けた眼差しと同じように学生たちへとその視線を向けていました。また、内陣は江戸時代に描かれたと考えられる水墨画の龍の襖絵に彩られ、その迫力ある姿に圧倒されました。
天台の教えを未来へつなぐ
「それでは最後に、先ほどのお話に登場した成菩提院を再興した貞舜法印についてお話ししたいと思います。」
「貞舜法印は南北朝時代、貞和5年(1349)に生まれたとされています。6歳の時、父の死とともに出家をし、比叡山や岐阜県の柏尾寺というお寺で天台の教えを学んだとされています。嘉慶元年(1387)には成菩提院の近くの清滝寺の子院の万徳院に住み、天台の教えを広めました。その後、応永7年(1400)に柏原談議所(成菩提院)を整備したと伝えられています。」
「貞舜法印は南北朝時代、貞和5年(1349)に生まれたとされています。6歳の時、父の死とともに出家をし、比叡山や岐阜県の柏尾寺というお寺で天台の教えを学んだとされています。嘉慶元年(1387)には成菩提院の近くの清滝寺の子院の万徳院に住み、天台の教えを広めました。その後、応永7年(1400)に柏原談議所(成菩提院)を整備したと伝えられています。」
「こちらには、成菩提院の第20世の住職となるとともに徳川家康のブレーンとして知られる天海大僧正が記した書幅を展示しています。その内容は、最初に成菩提院を再興した貞舜法印を称える文章が記されています。それはなぜでしょう。」
「天海大僧正が生きた時代、戦乱や天災により比叡山をはじめとする天台宗のお寺において数多くの聖教類を失っていたとされています。しかしながら、この成菩提院には貞舜法印以来の聖教類が戦乱を潜り抜け数多く伝えられており、実際に天海大僧正が成菩提院を訪れ閲覧した際に、その量に圧倒されたといいます。現在その聖教類は成菩提院だけでなく、天海大僧正が蒐集した史料群である比叡山の叡山文庫所蔵の天海蔵に成菩提院旧蔵の聖教類がおさめられているそうです。」
「天海大僧正が生きた時代、戦乱や天災により比叡山をはじめとする天台宗のお寺において数多くの聖教類を失っていたとされています。しかしながら、この成菩提院には貞舜法印以来の聖教類が戦乱を潜り抜け数多く伝えられており、実際に天海大僧正が成菩提院を訪れ閲覧した際に、その量に圧倒されたといいます。現在その聖教類は成菩提院だけでなく、天海大僧正が蒐集した史料群である比叡山の叡山文庫所蔵の天海蔵に成菩提院旧蔵の聖教類がおさめられているそうです。」
「近くに関ヶ原という合戦地がありながらも成菩提院の聖教類が今日まで伝えられているのは、いつの時代も聖教類を守り伝えようとした人々の存在があったからだと思います。このような寺宝展を通して、そうした人々の熱意や願いに触れていただき、これから先の未来へと成菩提院の寺宝をみなさまと一緒に伝えていきたいと考えています。」
参加学生の感想
今回の訪問では、談議所として大いに栄えたという成菩提院と戦国武将と成菩提院との関係が印象深く残っています。ご住職より成菩提院には数多くの聖教が伝わっており、多くの僧侶が修行に励んでいたとお聞きしました。往時の成菩提院の姿を垣間見ることのできる聖教が今日まで受け継がれていることから、先人たちが聖教を大切なものとして熱意をもって後世へ繋いだということを実感しました。また、戦国武将との関りを示す史料が数多く伝えられており、戦に巻き込まれながらも激動の歴史を潜り抜け今日まで守り伝えられてきたことの凄さを実感しました。また、それぞれの史料には歴史が秘められており、特に小早川秀秋が定めた制札に隠された歴史を実際にお聞きすると、関ヶ原の戦いにおいて成菩提院が非常に重要な場所であったことに驚きました。
(文・立命館大学 博士課程1年)
成菩提院
〒521-0202 滋賀県米原市柏原1692
〒521-0202 滋賀県米原市柏原1692
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います