いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
創建1300年を超える兵庫屈指の古刹「太山寺」を訪ねる
神戸西区の住宅街からほど近い位置にある太山寺。境内には国宝の本堂をはじめ数々の文化財が点在し、往時には支院41坊、末寺8カ寺を数えた繁栄を今に伝えています。過去、現在、未来の仏さまをお祀りし、多様な信仰が息づかいする太山寺を、山内・歓喜院 辻井 定宏ご住職にご案内いただきました。
太山寺の縁起
「太山寺は飛鳥時代、中臣(藤原)鎌足の祈願によって、その長男・定恵和尚が開山し、鎌足の孫で藤原不比等の子である藤原宇合が霊亀2年(716)に建立したと伝えられています。南北朝時代には後醍醐天皇の朝敵となった北条氏を討つために、僧兵が戦いに出たという記録が残っていますが、最盛期に41あった塔頭寺院も今では5つとなっています。」
「寺の背後の三嶺は太山寺の境内で、それぞれ、人の姿をした仏を表す『応身嶺』、修行を経て仏となったことを表す『報身嶺』、本来の仏の姿を表す『法身嶺』と呼ばれており、三嶺合わせて『三身山』と呼ばれ、山号にもなっています。また、この山は旧国名の播磨と摂津の国の国境(くにざかい)とされていました。」
まじかに迫る緑あふれる山が昔の国境(くにざかい)を表していると思うと、この山からかつての太山寺の規模の大きさを感じることができました。
まじかに迫る緑あふれる山が昔の国境(くにざかい)を表していると思うと、この山からかつての太山寺の規模の大きさを感じることができました。
元は二階建てだった仁王門
「太山寺の仁王門は室町時代中期に再建されたと考えられています。よく見ると柱に比べて屋根が小さいですね。この門はもともと鎌倉時代に明石寄りの地にあり、室町時代に現在地に移築してきたのです。昭和28年に解体修理が行われ、元は二層の楼門形式だったことがわかりました。少しバランスが良くないですが、国の重要文化財です。」
門をくぐったところには当初の軒組物の復元が置かれていて、かつての規模の大きさをここでも感じることができました。
国宝本堂
壮大で見事な屋根が印象的な本堂は、神戸市唯一の国宝建造物に指定されています。
「境内の中央に建つ本堂は、前の本堂が弘安8年(1285)に焼失した後に建てられ、桁行7間、梁間6間の大きな仏堂であり、内陣と外陣を格子戸で分ける中世密教建築の典型です。
特徴的なのは、外陣を重要視した鎌倉以降の造りで、多くの方々にご参拝いただけるよう外陣を広くとる設計となっています。」
「境内の中央に建つ本堂は、前の本堂が弘安8年(1285)に焼失した後に建てられ、桁行7間、梁間6間の大きな仏堂であり、内陣と外陣を格子戸で分ける中世密教建築の典型です。
特徴的なのは、外陣を重要視した鎌倉以降の造りで、多くの方々にご参拝いただけるよう外陣を広くとる設計となっています。」
「毎年1月7日には修正会の結願として、悪霊退散のために鬼が本堂の外陣で走り回る追儺式(ついなしき)が行われます。」
「外陣と内陣を分ける柱の上部の『肘木』の形が変わっていて、左半分は円の四分の一を描くように曲がっているもの(唐様)と、右半分は直線的な部分が一部残ってから曲る(和様)の二種類が同じ堂内にあるという特徴もあります。2人の大工棟梁が力を合わせて造ったものです。」
「本堂のご本尊は薬師如来で、絶対秘仏として祀られているため御開帳されることはありません。前に見えるのは御前立です。
御本尊の厨子の左右には、四天王像が配され、鎌倉時代に彫られた樟(くす)の一木造で、1995年の阪神淡路大震災の揺れで広目天が壇上から落下してしまい修復されました。」
御本尊の厨子の左右には、四天王像が配され、鎌倉時代に彫られた樟(くす)の一木造で、1995年の阪神淡路大震災の揺れで広目天が壇上から落下してしまい修復されました。」
色鮮やかな三重塔
「三重塔は江戸時代、貞享5年(改元あり元禄元年)(1688)に再建されたもので、一階から三階までの屋根の大きさがほとんど同じという江戸時代の塔の特徴を表しています。」
屋根の大きさをほとんど同じにする造は、上層に向かって屋根の大きさを小さく作るものに比べて視覚的に大きく見えると感じました。
屋根の大きさをほとんど同じにする造は、上層に向かって屋根の大きさを小さく作るものに比べて視覚的に大きく見えると感じました。
塔の外観は朱塗りで、各層四隅には邪鬼が置かれており、邪鬼の色は一階から白、緑、褐色となっていて、全体として色鮮やかでした。
極楽往生転じて追善供養の道場・阿弥陀堂
「本堂の左手西側にある阿弥陀堂には、国の重要文化財に指定されている約2m75cm(丈六)の寄木造りで造られた阿弥陀如来坐像が祀られています。定朝作の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像と同じ大きさ・様式であることから、定朝の系統の仏師が鎌倉時代初期に彫ったものです。
また、毎年5月12日には阿弥陀仏が25菩薩を引き連れて、臨終者を迎えに来る行事として練供養が行われています。練供養で仏の面をつけて阿弥陀堂の周囲を回る姿は壮観ですよ。練供養は来迎会とも言います。」
また、毎年5月12日には阿弥陀仏が25菩薩を引き連れて、臨終者を迎えに来る行事として練供養が行われています。練供養で仏の面をつけて阿弥陀堂の周囲を回る姿は壮観ですよ。練供養は来迎会とも言います。」
羅漢堂
「境内の右手北東部分に建つお堂は羅漢堂と呼ばれていて、四天王、十六羅漢像(仏教において釈迦が亡くなった後、仏教を守り人々に広める役割を担ったとされる16人の聖者の像)、釈迦の四大弟子像が安置されています。江戸時代、天明年間に建てられたと伝わっています。また天井には多くの草花が描かれており、花祭りも行われていました。」ご住職のお話からもかつての荘厳さが伺えます。
釈迦堂
「羅漢堂の奥にあるのが釈迦堂です。以前は講堂と呼ばれており、江戸時代享和年間に再建されたと伝わります。中には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の釈迦三尊仏が安置されています。」
過去・現在・未来
「三重塔は お釈迦様のお骨・仏舎利をお祀りし「過去の世界」を表し、本堂は本尊が薬師如来で、皆様の祈願を受付する道場で「現在の世界」を表し、阿弥陀堂は 阿弥陀如来を本尊とし、極楽往生を願う意味から「未来の世界」を表します。境内を巡るときに、1300年を超える長い歴史で培われた過去と現在と未来を感じていただければと思います。」参加学生の感想
太山寺は歴史あるお寺で、鎌倉時代の本堂、室町時代の仁王門、江戸時代の三重塔など各堂宇の歴史を知って巡ることで太山寺が辿ってきた歴史を今でも感じることができるとても楽しいお寺でした。また、追儺式や練供養といった伝統行事を通して歴史を今に伝えられているので、昔の人の想い・祈りというものが、建物や行事から強く感じられる、まさに「祈りの道場」だと感じました。太山寺へは神戸三宮から一時間足らずで、神戸から京都や奈良に行くより時間がかからないため、多くの方にぜひ訪れていただきたいです。
(文・立命館大学 法学部2年)
太山寺
〒651-2108 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224
〒651-2108 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います