慶芳上人開山の古刹「神積寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

慶芳上人開山の古刹「神積寺」を訪ねる

兵庫県神崎郡福崎町にある天台宗妙徳山神積寺は、比叡山第18代天台座主である慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)の弟子である慶芳上人(けいほうしょうにん)によって開かれた木造薬師如来像をご本尊とするお寺です。今回はご住職の大塚 善忍さんとご子息の大塚 善仁さんに神積寺をご案内していただきながら、お寺の歴史やこのお寺に祀られている仏様についてお話を伺いました。

神積寺の歴史

 「神積寺の歴史は、正暦2年(991)に慶芳上人が西国の観音霊場を巡礼するために諸国を巡っていた際この地を訪れると、文殊菩薩があらわれ東に薬師如来をまつるようにお告げをしたことに始まります。お寺の建立にあたっては一条天皇の勅願をいただき、お寺が開かれました。」

「慶芳上人の弟子である覚照阿闍梨(かくしょうあじゃり、三条天皇の第七皇子)の時代には、三条天皇より様々な支援があり、境内に七堂伽藍が整備され、52坊にもなる子院が建立されたといいます。その後近衛天皇により、播磨国の6つの主要な天台宗寺院のことである『播磨六山』の一つに数えられました。」

「鎌倉時代中期には、後堀川天皇の中宮である安喜門院(あんきもんいん)が長く滞在し、安喜門院の没後に供養のために巨大な板碑が建立されました。時がたつにつれ、現在この石碑はその半分が地中に埋まっている状態になっていますが、下方には四字詰十二行の銘文が記されています。延慶2年(1309)に建物は焼失してしまいましたが、天正15年(1587)に有馬法師(ありまほうし)の寄進により復興し、その時に建てられた建物が現在まで残っています。」

本堂

「神積寺の本堂は兵庫県の重要文化財に指定されている木造の建物で、瓦葺きの平屋建てになっています。ここには文殊菩薩をはじめ、毘沙門天、日光菩薩、月光菩薩、十二神将、阿弥陀如来坐像などたくさんの仏様が祀られています。」

「御本尊の並びに祀られている木造文殊菩薩坐像は、開祖の慶芳上人の夢のお告げに現れた大切な仏様で、本尊の薬師如来の脇仏として、年に二度の法要が行われています。ヒノキで作られたこの文殊菩薩像は、目に水晶がはめ込まれ、肌の表現には粉溜という特別な技法が使われており、約650年前の南北朝時代に作られたと考えられています。」
木造文殊菩薩坐像

「台座や光背、装飾品まですべて作られた当時のままの状態で残っているのも珍しく、文殊菩薩の乗る獅子が普通は立っているのに対し、この像では珍しく伏せている姿をしています。その貴重さから、福崎町の指定重要文化財に認定されています。実はこの文殊菩薩には面白い歴史があり、明治時代より前は近くの岩尾神社で文殊堂として祀られていましたが、神様と仏様を分ける政策により、神社で祀ることができなくなったため、神積寺に移されてきたそうです。このように、地域の歴史を知る上でも大切な仏様となっています。」

「また本堂では、毎年1月の成人の日に「鬼追い」という伝統行事が行われています。この行事は正式には「追儺式」と呼ばれ、「修正会」という正月行事の重要な一部として、鎌倉時代から800年以上も続けられてきました。正を修め、邪を払うという深い意味を持つこの儀式では、神積寺の本尊である薬師如来の使者「山の神」とその家来である「青鬼」(文殊菩薩)、「赤鬼」(毘沙門天)が、邪気を払う神聖な所作を行います。この大切な行事を支えているのが、代々受け継がれてきた13軒の信者さんの家々で、彼らは「鬼子」と呼ばれ、鬼の格好をしたり、たいまつに火をつけたりして、伝統を守る重要な役目を担っています。」
「神積寺では、この行事の際、まず本堂に祀られている阿弥陀如来坐像の前で、代々鬼子として寺の伝統を守ってきた先祖の方々に感謝のお勤めをすることから始まります。この阿弥陀如来坐像は、京都国立博物館での修復でわかったことですが、本尊の薬師如来像よりも1年古い歴史を持つ、とても由緒ある仏様です。」

お寺では、長年にわたって行事を支えてくれる信者さんとその先祖への深い感謝の気持ちを込めて、この阿弥陀如来坐像を特別に安置したのだそうです。800年以上もの長きにわたり、お寺と地域の人々が心を一つにして守り伝えてきた鬼追いの行事。お参りする人々の真摯な祈りの姿と、信者を大切にする寺の心遣いが、しっかりと受け継がれている様子に、深い感銘を受けました。
※通常非公開(60年に1度の御開帳)

60年に一度の御開帳の木造薬師如来坐像

「神積寺には、60年に1回しか見ることができない珍しい仏様が祀られています。この仏様は寺を開いた慶芳上人が自分で彫ったと言い伝えられていますが、専門家によると平安時代の終わりごろ(約900年前)に作られたと考えられています。人と同じくらいの大きさがあり、ヒノキという木で作られているのですが、木の目が荒い材料なのに、衣服のしわなどがとても細かくきれいに彫られているのが特徴です。顔の表情もはっきりしていて、そのお姿からはお参りする人を助けたいという優しい気持ちが伝わってきます。その美しさと価値が認められ、1901年に国の重要文化財に指定されました。
むかしは仏様の全身が金色に輝いていたそうですが、今はその金色がほとんどはがれ落ちてしまっています。その理由の一つは、1309年にお寺が大きな火事にあった時、急いでこの仏様を井戸の中に隠して火から守った時に水に漬かってしまったことが関係しているそうです。この機転のおかげで、今でも私たちはこの大切な仏様を守り続けることができました。先人たちが命がけで守ってきたこの仏様は、今でも大切にお祀りされ、限られた特別な機会にだけ、その姿を見せてくれるのです。」

妙徳山古墳

「神積寺の境内には、約1400年前の古墳があります。この古墳は福崎町の指定史跡となっており、小高い丘のような円い形をしています。2段に分かれて造られていたと考えられ、当時の土木技術の高さをうかがい知ることができます。」

「お墓の中には、大きな石を組み合わせて造られた横穴式の石室があります。この石室は、お亡くなりになった方を葬った奥の部屋(玄室)と、そこにつながる通路(羨道)からできています。入り口は南向きで、今では天井の石が崩れて中が見える状態になっています。土砂が入り込んでいるものの、石室は人が十分に立って歩けるほどの高さがあり、奥行きも深く、とても立派な造りになっています。
専門家によると、この古墳は飛鳥時代のはじめごろに造られたと考えられています。現在は雑木林の中にひっそりとたたずんでいますが、近くを流れる市川流域の古墳の中では、石室の大きさが最大級を誇るそうです。この古墳は実際に中に入ることができます。石室の中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が漂い、ここでしか感じられない特別な雰囲気を味わうことができます。当時の人々の想いや技術に、直に触れることができる貴重な場所となっています。」

参加学生の感想

神積寺を訪れて感じたのは、歴史の重みと地域の絆です。お話を聞く中で印象に残ったのは、800年以上も続く「鬼追い」のお話です。伝統行事を地域の方々と共に守り継ぐ姿勢に深く感銘を受けました。特に、行事を支える13軒の鬼子の家々への感謝を込めて阿弥陀如来像を安置したという話は、お寺と地域の絆の深さを象徴しているものだと感じました。
今回の訪問を通じて、伝統を守ることの意義と、伝統を後世に伝える人々の思いの強さを改めて考えさせられました。私たち参加学生も、紡がれてきた歴史を、より多くの人に届けられるような活動をこれからも続けてまいります。

(文・立命館大学 理工学部3年)
神積寺
〒679-2205 兵庫県神崎郡福崎町東田原1891