いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
良源と母の優しさが伝わる「玉泉寺」を訪ねる
天台宗のお寺が数多く存在する滋賀。そんな滋賀県に玉泉寺という元三大師良源が誕生した地として知られているお寺があります。今回は御住職の大島慈敬師にご案内いただきました。
元三大師 良源誕生の地
「良源の母は、産湯を求めてここ三河の地へやって来られました。霊泉の湧くこの地には産屋が建てられ、これが玉泉寺の最初の姿となります。後にその産湯跡には大師堂が建立されましたが、織田信長の浅井攻めの際に全焼してしまいました。しかし、天海大僧正の庇護により、再び大師堂玉泉寺が建立されたのです。
良源の母が使った霊泉は、現在も『産湯井』として御堂の横に残されています。」
良源の母が使った霊泉は、現在も『産湯井』として御堂の横に残されています。」
「現在の御堂は安永年間(1772~1781)に彦根藩主井伊直幸公によって大改修されたもので、楼門も直幸公の寄進されたものと伝わります。」
良源の母への思い
「玉泉寺には、秘仏として国の重要文化財に指定されている木造元三大師坐像が安置されています。
この御像は、修行により母の元を離れる良源が、母のために彫ったとされていて、毎年旧暦の9月3日、大師の誕生の日に御開帳を行っています。」
ご訪問の機会に、特別に御開帳していただきましたが、像高85cmの坐像は威厳に満ちていて、かつ優しい強さを身にまとったような御姿をしていました。
この御像は、修行により母の元を離れる良源が、母のために彫ったとされていて、毎年旧暦の9月3日、大師の誕生の日に御開帳を行っています。」
ご訪問の機会に、特別に御開帳していただきましたが、像高85cmの坐像は威厳に満ちていて、かつ優しい強さを身にまとったような御姿をしていました。
後世に伝わる良源の信念
「元三大師良源の『たとえどれほど罪深い悪人であっても、心を改めれば仏になれる』という教えは非常に大切なものだと思います。『どんな人でも仏になれる』と簡単に言う人は多いですが、少し言葉足らずですね。『どんな人でも必ず心を改めることができる。そして、心を改めれば必ず仏になれる』というのが大切なのだと思います。」
ご住職はどのような話になっても一貫して、「必ずしも多数派が正しいとは限らない。正しさは多数決で定まるものではない。」ということを私達に伝えてくださいました。
元三大師良源は、仏の教えによって物事の本質を極め他人の目や評判に惑わされず行動するということ、を最も大切にしていたそうです。
ご住職のお話を聞いていると、毎日お勤めをされるご自身の経験を通して、私たちよりもずっと深く現世の善悪、今までつながった歴史を後世にどう残すかを考えてきたからこその言葉の重みを感じました。
ご住職は「色んなことを通して、元三大師良源は今でも生きておられることを感じることができる。」とおっしゃっていましたが、私たちはご住職を通してそれを感じることが出来ました。
ご住職はどのような話になっても一貫して、「必ずしも多数派が正しいとは限らない。正しさは多数決で定まるものではない。」ということを私達に伝えてくださいました。
元三大師良源は、仏の教えによって物事の本質を極め他人の目や評判に惑わされず行動するということ、を最も大切にしていたそうです。
ご住職のお話を聞いていると、毎日お勤めをされるご自身の経験を通して、私たちよりもずっと深く現世の善悪、今までつながった歴史を後世にどう残すかを考えてきたからこその言葉の重みを感じました。
ご住職は「色んなことを通して、元三大師良源は今でも生きておられることを感じることができる。」とおっしゃっていましたが、私たちはご住職を通してそれを感じることが出来ました。
参加学生の感想
案内をしてくださった後には、地域の方々が精進カレーライスを振る舞ってくださいました。
良源の母への優しさは、万物への優しさという形に変化し、時代を超えてもなお人々に影響を与え続けていることを肌身を持って感じることが出来るお寺でした。
お腹も気持ちもいっぱいでお寺を後にしました。
(文・奈良大学文学部 4年)
良源の母への優しさは、万物への優しさという形に変化し、時代を超えてもなお人々に影響を与え続けていることを肌身を持って感じることが出来るお寺でした。
お腹も気持ちもいっぱいでお寺を後にしました。
(文・奈良大学文学部 4年)
玉泉寺
〒529-0111滋賀県長浜市三川町945
〒529-0111滋賀県長浜市三川町945
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います