いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
聖徳太子が近江の地に最後に建立した名刹、「願成就寺」を訪ねる
古き良き街並みが残り多くの観光客が訪れる近江八幡市。その中心部にそびえる小高い山の上に聖徳太子が創建したと伝わる名刹が伽藍を構えています。厳しい夏の日差しが照り続ける7月下旬に、そのような歴史を誇る願成就寺を学生たちが訪問しました。
近江の地に聖徳太子が最後に建立した寺院
「暑い中ようこそ願成就寺にお参りいただきました。」
そのように学生たちを迎えるのは、願成就寺の住職をつとめる小西智俊師です。
「まだまだ日差しが厳しいですから、境内を巡る前に願成就寺の歴史を簡単にですが、皆さんにご紹介したいと思います。」
「願成就寺の歴史が始まったのは今からおよそ1400年前、日本で初めての女性天皇として知られている推古天皇の治世が始まり27年目の正月と伝わっています。推古天皇の治世では、最も有名な偉人といっても過言ではない著名な方が活躍されました。皆さんご存じの通り、聖徳太子です。」
そのように学生たちを迎えるのは、願成就寺の住職をつとめる小西智俊師です。
「まだまだ日差しが厳しいですから、境内を巡る前に願成就寺の歴史を簡単にですが、皆さんにご紹介したいと思います。」
「願成就寺の歴史が始まったのは今からおよそ1400年前、日本で初めての女性天皇として知られている推古天皇の治世が始まり27年目の正月と伝わっています。推古天皇の治世では、最も有名な偉人といっても過言ではない著名な方が活躍されました。皆さんご存じの通り、聖徳太子です。」
「今から1400年前、推古天皇と聖徳太子は仏教の教えにより国を守ることを目指されました。そのようなこともあり、推古天皇は近江の国に48か所の寺院を建立することを願ったそうです。そしてその一大建立事業を聖徳太子に命じたそうです。仏教が伝来し日も浅い当時、寺院を1か所でも建立することは今以上に大変なことだったでしょう。困難な状況に阻まれながらも、無事に47か所の寺院が近江一帯に建立され、最後のお寺が建立されることになりました。この最後に建立されたお寺が、現在皆さんが訪れている願成就寺と伝わっています。無事にすべてのお寺が建立され、『願いが成就したお寺』ということで、現在の『願成就寺』という名前になったと伝わっています。」
「このような歴史を誇る願成就寺は、仏教を篤く信仰した聖徳太子とゆかりのあるお寺として当時から大いに信仰を集めたといいます。そのことから、願成就寺は、現在も近くに社殿を構え、多くの参拝者に親しまれている日牟禮八幡宮の別当寺として多くの僧侶がお寺で研鑽に励んでいたと伝わっています。そのような『神仏習合』の歴史は明治の時代にお寺と神社が明確に分かれるまで続いていたと聞いています。」
聖徳太子にゆかりのあるご本尊・大光普照十一面観音菩薩
「先ほどまでのお話で、願成就寺が聖徳太子により創建されたこと、そして日牟禮八幡宮と密接な関係にあったことをお話したかと思います。現在の願成就寺にもこの歴史を今に伝える仏さまが数多くおまつりされています。それでは、まず願成就寺を創建した聖徳太子にゆかりのある仏さまをご案内いたしましょう。」
ご住職に案内され、本堂の内陣へと歩みを進めます。そして、ご住職とともにお経を唱えました。
ご住職に案内され、本堂の内陣へと歩みを進めます。そして、ご住職とともにお経を唱えました。
「お参りいただきありがとうございます。今皆さんはたくさんの仏さまにお参りいただきましたが、その中心におまつりされている仏さまが願成就寺のご本尊・大光普照十一面観音さまです。お寺に伝えられているところによると、創建の際、聖徳太子が1回刻むごとに3回礼拝しながら造立された仏さまであると伝わっています。秘仏であるため通常はおさめられている厨子の扉は閉められていますが、49年に一度御開帳され、皆さんの前にお姿が現れます。しかしながら、49年に一度であると長すぎるため、その半分、25年に一度、中開帳として扉が開かれます。近年ですと、平成29年に御開帳されたほか、令和4年に聖徳太子の1400年大遠忌にあわせ御開帳いたしました。今回はご本尊さまのお姿は直接拝めませんが、こちらにお姿を映した写真パネルがありますので、じっくりご覧ください。」
「また、聖徳太子が創建されたお寺ですので、聖徳太子のお姿を彫刻したお像や絵画がおまつりされています。こちらの描かれているお姿は『孝養像』といいまして、聖徳太子が十六歳の時に父である用明天皇の病気回復を祈願した姿をあらわしています。また正面向かって左手側の厨子の中におまつりされている小さなお像は、『幼形像』といいまして、二歳の時、東を向いて『南無仏』と唱えた、まさにその時のお姿をあらわしています。非常に愛らしいお姿をされていますので、願成就寺を訪れる参拝者のみなさまから非常に人気のあるお像です。こちらのお像は南北朝時代に造立されたと考えられています。」
「また、お像や絵画以外にも聖徳太子との逸話が伝わっています。かつて願成就寺が創建される前、この土地一帯は『宇津呂ノ庄』とよばれていました。この宇津呂ノ庄、特別な産業もなくわずか数軒の民家からなる小村でありました。そこで、願成就寺を創建するにあたり、聖徳太子はお寺にとって重要な『数珠』と『瓦』の生産を集落の人々に教えたといいます。そこからこの地域では、数珠や瓦の生産が有名な産業となり、現在まで受け継がれています。」
「このように、聖徳太子は願成就寺だけでなく、この地域一帯の人々にとって非常に身近な存在となっております。また、聖徳太子が48箇寺のお寺を建立したとお話したとおり、滋賀県には聖徳太子とゆかりの深いお寺がたくさんあります。そのお寺や地域ごとに聖徳太子との逸話がありますので、ぜひいろいろなお寺や地域を訪れてお話を聞いてみてください。」
「このように、聖徳太子は願成就寺だけでなく、この地域一帯の人々にとって非常に身近な存在となっております。また、聖徳太子が48箇寺のお寺を建立したとお話したとおり、滋賀県には聖徳太子とゆかりの深いお寺がたくさんあります。そのお寺や地域ごとに聖徳太子との逸話がありますので、ぜひいろいろなお寺や地域を訪れてお話を聞いてみてください。」
神仏習合の遺風を伝える阿弥陀如来像
「続いて、神仏習合を今に伝えるお像をご紹介いたします。正面向かって右手にあるお厨子をご覧ください。」ご住職の言葉に従い、光に照らされたお像に視線が集まります。
「こちらにおまつりされている仏さまは阿弥陀如来さまです。南北朝時代に造立されたとされており、近江八幡市の文化財に指定されています。この阿弥陀さま、現在はご覧いただいているとおり、願成就寺でおまつりされていますが、もともとは日牟禮八幡宮の境内にておまつりされていたお像と伝わっています。また、このお像と地域には病封じの逸話が残されています。江戸時代のあるとき、付近の13の集落に病が流行したといいます。病の流行を鎮めるために様々なことが行われましたが、なかなか鎮まりませんでした。そのため、一縷の望みをかけて、当時八幡宮の境内におまつりされていたこの阿弥陀さまに病の終息を祈ったそうです。すると、瞬く間に13の集落に流行していた病は終息したそうです。そのことに非常に感激した13の集落の人々は、この阿弥陀さまのお姿を写し、集落ごとに掛け軸としておまつりしたそうです。」
「実は、この阿弥陀さまと13の集落の人々との関係は現在も続いており、毎年4月8日、13の集落の代表者はこの阿弥陀さまの前に集まり、法要を行っています。その時の法要には、それぞれの集落でおまつりされている阿弥陀さまのお姿を写した掛け軸が掛けられ法要が行われています。また、非常に興味深いことに、その時の法要は天台宗の法要の流れではなく、真宗の流れで行われています。このように、天台宗の人々だけの祈りの場ではなく、宗派を問わず地域の人々が集う祈りの場所であることが願成就寺の魅力の一つであると考えています。」
「また、阿弥陀さまだけでなく、願成就寺の境内には稲荷神社や祇園神社があり、神仏習合の空間を今に伝えています。」
「また、阿弥陀さまだけでなく、願成就寺の境内には稲荷神社や祇園神社があり、神仏習合の空間を今に伝えています。」
仏さまの世界が広がる願成就寺
「今までご本尊さまや聖徳太子像、阿弥陀さまなど様々な仏さまをご案内しましたが、その他にも様々な仏さまがおまつりされています。ご本尊さまの周囲には四方を守護する四天王像がおまつりされています。また、本堂の隣にある護摩堂には、不動明王を中心に降三世明王や軍荼利明王、大威徳夜叉明王、金剛夜叉明王、つまり五大明王がおまつりされています。また、堂内向かって左側には聖天さまがおまつりされています。」
「また、護摩堂では毎年夏頃に『きゅうり封じ』という祈願をおこなっています。願成就寺でおこなっているきゅうり封じでは、きゅうりに病を移し、そのきゅうりを竹筒に封じることが特徴です。昔からこの地域だけでなく日本全国から祈願にお越しいただいています。」
「さらに、境内には弘法大師をおまつりする大師堂や近江八幡市の文化財である梵鐘を釣る鐘楼、四国八十八か所巡礼を模した石仏が境内におまつりされています。最後に、その中の一つ、地蔵堂へと歩みを進めてみましょう。」
様々な仏さまや梵鐘を鳴らしながら、護摩堂から地蔵堂へと歩みを進めます。
「さらに、境内には弘法大師をおまつりする大師堂や近江八幡市の文化財である梵鐘を釣る鐘楼、四国八十八か所巡礼を模した石仏が境内におまつりされています。最後に、その中の一つ、地蔵堂へと歩みを進めてみましょう。」
様々な仏さまや梵鐘を鳴らしながら、護摩堂から地蔵堂へと歩みを進めます。
護摩堂から地蔵堂へ
「こちらのお堂が、お地蔵さまがおまつりされている地蔵堂になります。こちらのお堂では毎年9月23日に御開帳が行われていますが、今回は特別に厨子の扉を開きますね。」
ご住職により扉が開かれた厨子の中には、人の背丈ほどの大きさの大きなお地蔵さまが姿をあらわしました。
ご住職により扉が開かれた厨子の中には、人の背丈ほどの大きさの大きなお地蔵さまが姿をあらわしました。
「こちらのお地蔵さまは、『木ノ中延命地蔵菩薩』と呼ばれています。この『木ノ中』という名称ですが、霊験あらたかなお地蔵さまと同じ木から造立されたという逸話があり、この名称がつけられています。その霊験あらたかなお地蔵さまとは、滋賀県の長浜市に『木ノ本地蔵』と呼ばれる霊験あらたかなお地蔵さまです。願成就寺でおまつりされているお地蔵さまは1本の木の真ん中の部分で彫りだされたお像であることから、『木ノ中』という名称で親しまれています。さらに、木の先の部分から造立されたお地蔵さまが『木ノ末地蔵』として滋賀県内のお寺におまつりされていますので、あわせてお参りしてみてください。こちらの『木ノ中延命地蔵菩薩』は鎌倉時代に造立されたと考えられており、国の重要文化財に指定されています。」
「また厨子の前には、『満願寺地蔵』と呼ばれるお地蔵さまがおまつりされています。先ほどの『木ノ中延命地蔵菩薩』のお前立像としておまつりされていますが、もともとは別のお寺におまつりされているお地蔵さまでした。この名称の通り、もともとは満願寺というお寺でおまつりされていましたが、満願寺が廃絶してしまい、願成就寺でおまつりされるようになりました。先ほどの『木ノ中延命地蔵菩薩』は鎌倉時代の造立でしたが、こちらは平安時代後期に造立されたと考えられているお地蔵さまです。現在、滋賀県の文化財に指定されています。」
「さらに左手には閻魔大王がおまつりされています。閻魔大王の前には浄玻璃の鏡が置かれており、参拝に訪れる方には、この鏡にいままでの悪行がうつるとお話しすると非常に親しんでいただいております。」
「いままでご案内した通り、願成就寺にはたくさんの仏さまがおまつりされています。そして、その仏さまそれぞれに信仰をしていただいている人々の姿があります。聖徳太子が願成就寺を創建されて1400年、たくさんの人々が集ってきました。これからも様々な人々が集うお寺でありたいと思っています。」
参加学生の感想
願成就寺を訪問して、それぞれのお像に逸話が残されていることが印象に残っています。聖徳太子が造立したと伝わるご本尊さま、集落の人々の病を封じた阿弥陀さま、1本の木から造立されたお地蔵さま。それぞれの逸話をお聞きしていると、地域と仏さまとの絆が垣間見え、とても温かい気持ちになりました。願成就寺独特というきゅうり封じもいつか参列したいと思いました。(文・立命館大学 生命科学研究科 博士1年)
願成就寺
滋賀県近江八幡市小船木町73−1
滋賀県近江八幡市小船木町73−1
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います