埼玉有数の古仏を伝える「等覚院」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

埼玉有数の古仏を伝える「等覚院」を訪ねる

埼玉県東松山市古凍の等覚院は、県内外から多くの方が拝観に訪れる阿弥陀如来像があることで知られています。今回は等覚院の渡辺憲田ご住職と、地域の歴史を知る等覚院の世話人の皆さんにご案内いただき、等覚院の魅力についてお話しいただきました。

等覚院のあゆみ

等覚院は南北朝時代の暦応5年(1342)に創建された寺院で、もとは西岸山等覚院来迎寺という名前でした。かつては付近の慈雲寺・吉祥寺と合わせて古凍の三山と呼ばれていたそうです。しかし昭和44年になって、市野川の河川敷に位置し、水害に悩まされてきた慈雲寺と、等覚院とがこの地で合併することとなり、「慈雲山等覚院来迎寺」と山号を改めることになりました。
等覚院がある地は、「古凍(ふるこおり)」という名前ですが、世話人の方のお話によると、かつては「古郡」と書き、古代の比企郡の役所があった場所だと考えられているそうです。この「ふるこおり」の地に三つの大きなお寺が建立されたのも、古来この地が地域の中心地であったからなのかもしれません。

本尊・十一面観音を祀る本堂

阿弥陀如来像で知られる等覚院ですが、本堂にお祀りされる御本尊は十一面観音です。観音さまのお像は荘厳なお厨子の中に安置されています。

お厨子の正面で屋根を支える鬼のお像がとてもチャーミングです。

本堂建立の際に描かれたものなのでしょうか、本堂の天井には地域の方々の家紋が描かれています。地域の人々に支えられてきた等覚院の姿が伝わってきます。
本堂には御本尊の他にもたくさんの古い仏像が安置されており、地域で紡がれてきた祈りの歴史が詰まっていました。

優美な阿弥陀如来像を祀る阿弥陀堂

国の重要文化財に指定されている阿弥陀如来像も、かつては本堂でお祀りされていたそうですが、貴重な文化財を火災から守るために、昭和51年に阿弥陀堂(収蔵庫)が建立されました。

多くの参詣者を集める阿弥陀如来像は、像内から「大仏師定性」が「建長五年」(1252)にこのお像を「修理」したと記す銘文が発見されており、鎌倉時代以前に造られたことが分かる貴重なお像です。そのお姿からは柔らかな優美な印象を受けますが、一方で表情には威厳も感じられました。江戸時代末期の火災、「古凍の大火」で両脇侍の観音・勢至菩薩は焼失してしまったそうで、現在は江戸時代に造られた観音・勢至菩薩像が両脇に安置されています。毎年10月15日が阿弥陀さまのご縁日で、地域の方々が阿弥陀堂に集うそうです。

境内の中世板碑

阿弥陀堂の周辺には、たくさんの石仏や石碑も安置されていました。目を惹かれたのが、本堂横にあった4つの石碑です。まるで木の板のような薄い石碑は「板碑」と呼ばれるもので、鎌倉時代以降に埼玉県をはじめ、関東地方で盛んに造られたものだそうです。石碑に刻まれている年号は鎌倉時代から室町時代のもののようでした。他の地域ではなかなか見ない、この地域独特のものに感動しました。

参加学生の感想

ご住職も世話人の方々もとてもご丁寧にお迎え頂いて、とても有意義な時間をいただきました。ありがとうございました。
重要文化財の阿弥陀如来像や中世の板碑など、地域の特徴ある歴史文化を今に伝える等覚院。これからも地域の人々とともに、祈りの歴史を紡いでいってほしいと思いました。
等覚院
〒355-0035埼玉県東松山市古凍536-1