花山天皇が出家した西国三十三所番外札所「元慶寺」を訪ねる
TOP > いろり端 > 京都 元慶寺

いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

花山天皇が出家した西国三十三所番外札所「元慶寺」を訪ねる

 京都府京都市山科区に位置する「元慶寺」は、花山天皇が出家した場所であることで知られ、西国札所の番外霊場の一つとなっている寺院です。応仁の乱等により平安時代の広大な寺領でしたが、今は本堂と庫裏となっていますが、四季の花々に囲まれた境内には多くの参拝者でにぎわい、笑顔が溢れている温かさを感じるお寺でした。
今回案内していただいたのは、杉山良空副住職です。

元慶寺の歴史

「このお寺の歴史は古く、868年に天皇の定額寺として国家安泰を祈願するために創建されました。山号は華頂山になります。この華頂山という山は京都東山にございまして、知恩院も同じ山号になります。また天台山の山頂を華頂山という呼び方もするそうです。
創建時は今の場所と少し異なり、ここから少し北側の寺の内町というエリアにあったとされています。もっと大きな寺院であったようで、広さも平安の二十五カ寺として延暦寺と並ぶほどの規模だったようです。
開山した僧正遍照は百人一首の中に出てくる人物です。六歌仙の一人として有名ですね。本堂の中に僧正遍照像を安置し、お墓も歩いてすぐ近くの距離にあります。
元慶寺(がんけいじ)という名は、もとは元慶寺(がんぎょうじ)と呼ばれていたそうで、勅願寺となった元慶(がんぎょう)元年にその呼び方となりました。今でいうと令和寺のような感覚であるのだと思います。それが長い年月を経て、元慶寺(がんけいじ)と変わったようです。」
「元慶寺は第65代天皇・花山天皇が出家され、法皇になられたことで知られています。その縁により、現在は西国の番外札所となっております。最近は大河ドラマ『光る君へ」の舞台として登場しましたのでご存じの方も多いかと思います。花山天皇については大鏡や元慶寺和讃に記され、藤原兼家と道兼に騙されて出家させられたお話が出てきます。この場所は坂の上にあり、牛車に乗っていたとはいえ御所からこんな遠いところまでよく来られたと思います。

この一帯には花山という地名も残り、お寺の地名も北花山瓦町です。文献によりますと花山という場所があったとする説もありますが、地名からもこの地が花山法皇との繋がりが強かった場所だと分かると思います。
しかし、応仁の乱でこの辺りもすべて焼けてしまいました。その後お寺の一部であったこの場所に、妙法院宮尭恭法親王と真仁法親王の御遺志に従った妙厳と亮雄恵宅が再興し、今のお堂があります。本堂や庫裡、護摩堂、門等は江戸時代中期の1700年代後半の建築です。それを少しずつ直しながら今のお寺になりました。護摩堂は、10年程前に全解体をして修復を行っており、昨年は本堂と庫裡の瓦の修復を行いました。古い瓦をめくりますと江戸時代の瓦師さんの名前が入っておりました。」
「山門からこのお寺に入って最初に左に見えるお堂が本堂、隣のお堂が護摩堂になり、渡り廊下で繋がっております。門から入ってまっすぐ進んだ場所には庫裡という住居部分がございます。そこの一部で西国札所番外としてお参りされた方の御朱印をさせていただいております。お堂も面積も小さなお寺ですが、お参りいただく方が多く、参拝に来られた方々をお迎えするように日々努めております。」

西国札所番外の本尊薬師如来とその周りの仏様たち

「本尊は薬師如来像になります。西国三十三か所の番外礼所とさせていただいているのですが、観音さまではなく薬師如来さまであることが珍しいと思います。本堂で今見えているお像がお前立で、その奥に秘仏としてお祀りしております。薬師如来さまの周りに十二神将像があるとされておりますが、実は私も見たことがなくご開帳の予定もありません。本尊はおそらく平安時代のお像で、最澄作とも遍照僧正作ともいわれています。

お前立も優しいお顔をしていて、この像の光背には日光月光菩薩と十二神将が小さく彫られております。

本尊の左隣に十一面観音菩薩立像をお祀りしています。平安時代の像であるといわれ、近くで見るとよくわかりますが、かなり傷んでおりまして専門家の方に見ていただいたところ修復もできないとのことでした。お寺の歴史の長さを感じることのできるお像だと思います。普段は外からの拝観になりますが、毎月8日に写経会を行っており、その日だけは堂内で拝観いただけます。
檀家さんのいない寺院ですので、信者の皆様の信仰と歴代住職の私財を使い修復を行っております。仏様の縁によって繋がっているお寺ですから、その縁を繋いでいくことを意識しています。」

五大院

副住職の案内で本堂から繋がる渡り廊下を進むと護摩堂「五大院」につきます。
「五大明王像をまつるお堂になります。江戸時代に造られた五大明王像で、この像を造られた工房は現在もまだ残っているそうです。5体そろったきれいな姿でおまつりしています。江戸時代の像でも5体がきれいに残っていることは珍しいです。この場所では護摩を焚くので、中央には護摩壇がございます。」

特別に正面の中をのぞかせていただくと、驚くほど迫力ある五大明王が祀られていました!

珍しい竜宮造の山門と境内

「こちらは江戸時代に造られた山門です。この門は竜宮造という珍しい造りになっております。この門の上には鐘が掛かっており、菅原道真が元慶寺に向けて読んだ句が彫ってあります。このお寺が朝廷との関係が強かったことから、道真とも関係があったのだとされています。

この鐘は3代目の鐘であるとされています。1代目は平安時代に造られた鐘、2代目が応仁の乱後に造られた鐘、今の3代目が太平洋戦争後に造られた鐘になります。元慶寺では除夜の鐘として大みそかにこの鐘を鳴らしています。

門の下には、平安時代に造られた梵天・帝釈天立像をお祀りしております。ですが、木造の像になりこのまま外で安置していると傷んでいくということで、京都国立博物館に寄託しております。梵天・帝釈天立像をお祀りしていた場所の天井には龍の絵が描かれております。この絵は仙台藩の御絵師であった東東陽によって描かれたものです。」
境内にはアジサイや椿を中心とした多くの草花が植えられており、非常に華やかです。この境内のお花は、ご住職のお祖母様が庭を作り、お母様がお花を植えて作ったお庭だそうです。現在では元慶寺は花の寺ともいわれており、参拝した方を四季それぞれの花でお迎えしてくれます。

参加学生の感想

 平安時代からのお像はもちろん、本堂や五大堂等江戸時代の建築・多くの仏像が大切にお祀りされていました。花山天皇が出家なされたなど連綿と受け継がれている元慶寺の歴史が応仁の乱による消失といった様々な被害を潜り抜け、お寺の場所や大きさの変化がありながらも復興し守り伝えられていることに感銘を受けました。これは、元慶寺が落ち着き安心することのできる場となっているからだと思いました。門を進むと木々や花たちに包まれ、祈りの空間に入ります。参拝に来られていた方々が、皆さん笑顔でいらしているのが印象的でした。この空間に入ることで落ち着いた気持ちになり、仏さまと集中して向き合うことができるように感じました。

(文・奈良大学博士前期一年)
元慶寺
京都市山科区北花山河原町13