名勝庭園が美しい伝教大師最澄開山の古刹、「清水寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

名勝庭園が美しい伝教大師最澄開山の古刹、「清水寺」を訪ねる

福岡県みやま市にある本吉山清水寺は、平安時代の初頭、伝教大師最澄が唐から帰国した際に開いたと伝わる古刹です。最澄みずから刻んだという観音さまが古来篤い信仰を集め、今日も多くの方々が参拝に訪れます。今回は鍋島ご住職に清水寺をご案内いただくとともに、伝教大師ゆかりのこの地で改めて伝教大師の魅力について教えていただきました。

雪舟作と伝わる名勝庭園

 この日はご住職のご好意で、本坊で朝ごはんをいただくことになりました。清水寺の本坊は、本堂などの伽藍が並ぶ山の麓に室町時代に開かれたものです。
 建物に上がると、見えてきたのは国の名勝に指定されている本坊庭園。その美しさに思わず息を呑みました。
「今日はこの庭園を見ながら、朝ごはんを食べましょう。」
ご住職はお坊さんの朝ごはんの定番、お粥を用意して待っていてくださいました。こんな美しい景色を見ながら朝食をいただけるなんて...。感動と緊張で胸がいっぱいになってきました。本坊には本坊が開かれた室町時代作の千手観音と、脇侍として毘沙門天・不動明王の二尊がお祀りされています。観音さまに見守られながらの朝食のひと時となりました。

本坊庭園は室町時代の終わり頃に造られたもので、雪舟の作ではないかと考えられているそうです。江戸時代の元禄年間に整備されて現在の景観が整いました。周りの山々を借景として取り入れており、自然の美しさそのものが感じられます。私たちが訪問した際には小雨が降っており、山々に少し雲がかかっていて雪舟の山水画の世界のような深山幽谷の世界が広がっています。
ご住職の奥様から、お庭のことについて教えていただきました。

「お庭にある池は心という漢字の形をした『心字池』で、私たちの心を表現したものです。
この池には月が写るようになっていて、中秋の名月なんかはとても綺麗です。月が綺麗に水面に写るには、水面がわずかでも揺れていてはいけません。これは私たちの心と同じで、心が落ち着かず歪んでいると、物事を正しく捉えることはできません。心を落ち着かせることが大切なのです。建物の中から立ってお庭をみると、奥にある山は見えません。心を落ち着かせるためには、坐禅のように、座ることが大事なのです。座ってみると初めて、遠くの山までよく見えるようになります。心を落ち着けないと、存在しているものにも気づくことができないのです。」

なんとなく見ているだけではただただ綺麗なお庭だなという感想で終わってしまいますが、お話を聞いていくうちに、お庭に込められた意味がわかってきて、お庭の見え方も変わってきました。
「紅葉の時期にはたくさんの方が見にこられるのですが、紅葉に夢中で池や山の存在に気づかない方も多いんです。人間は見たいものしか見えないんですよね。自然の景色は常に移り変わっていき、二度と同じ景色には出会えません。今その瞬間のありのままの自然を感じてほしいですね。」
長い時間眺めていると、雨の降り方や雲の様子がゆっくりと変わっていくさまが見て取れます。耳を澄ませば鳥の鳴き声や雨音も聞こえてきます。そこには人間が本来持っているはずの、自然のリズムが存在していました。
日々の生活では忘れてしまいがちなこと、気付けないことを自然が教えてくれる。そんな空間が広がっていました。

伝教大師最澄ゆかりの地で学ぶ、天台の教えの魅力

お寺巡りをしていても伝教大師の教えの中身について詳しく学ぶことはなかなかないでしょうと、ご住職に天台の教えについても教えていただきました。

「伝教大師の魅力というのは、天台の教えを広めることで、人々を救いたいという熱意だと思います。では、伝教大師は天台の教えのどこに魅力を感じられたのでしょうか。天台宗を大成した中国の天台大師智顗は、法華経こそが釈迦の真実の言葉だと考え、大乗仏教の教えそのものであると考えました。天台の教えの重要なポイントの一つは『一仏乗思想』、つまりは、すべての人々が仏になれるという考え方です。

仏教には般若心経で説かれるような『空』という考え方があります。すべての根源は『空』です。『空』とは無一物、つまり何もないのですが、同時に無尽蔵、つまりあらゆる命を生み出す力を持っています。『空』から直接的な要因である『因』と間接的な要因である『縁』、つまりは因縁によって、『色』、物質や現象が生まれてくるという考え方です。
私たちの根源である『空』が持つ、あらゆる命を生み出すはたらきこそが、『仏』や『仏性』と呼ばれるものです。私たちの根源は『仏』と同じ、つまり誰もが『仏』になれるということなんですね。

伝教大師の功績は、法華経の教えである一乗思想を通して人々の救済を目指したことです。そして、法華経の思想をもとに、のちに浄土宗や浄土真宗、禅宗なども生み出していく日本仏教の礎を築いたことでしょう。」
天台の教えの中心にあるだれもが仏になれるという一乗思想、これまでも耳にする機会は多い言葉でしたが、その中身が今回のお話を通してようやく分かってきたような気がします。ご住職は、仏教の教えはただ知識として学んだり、暗記したりするものではなく、人生に活かしていくことが重要だとおっしゃっていました。ただ知るだけではなく、それをどう活かすか、それは今回のお話に限らずこれからの人生を歩んでいく上でもとても大切なことなのではないかと考えました。

山内の諸堂を巡って

本坊から車で山上に上がっていきます。
まずご案内いただいたのは大きな三重塔です。
「この三重塔は江戸時代末期の天保七年(1836)に完成しました。大阪の四天王寺の五重塔をモデルに、当初は五重塔を建てる予定だったのですが、大工の棟梁が急死したことで、計画を変更して三重塔になりました。九州では珍しい木造の塔です。」

外から見るとどっしりと大きく構えて見える三重塔、元々は五重塔を目指していたと聞くと納得の姿です。福岡県唯一の江戸時代の三重塔として、県指定文化財にもなっています。塔内にはお釈迦様がお祀りされていて、ひと月遅れの5月8日の花祭りで開扉され、そのお姿を拝することができるそうです。

三重塔のある平地には、伝教大師と同じく唐に渡るために九州にやってきた慈覚大師円仁ゆかりの乳父観音のお堂もあります。唐から帰朝した慈覚大師は、子供たちの健全な成長を願って観音を刻んだと伝わっているそうです。

続いて本堂をご案内いただきました。
「ここが清水寺の本堂です。比叡山の根本中堂と同じように、内陣が低くなっていて参拝者と仏様が同じ高さになる天台様式のお堂です。
かつて有明海にやってきた伝教大師は、谷間伝いに歩いて行ってこの清水寺の地に辿り着きました。そこにあったネムの大木から観音様を刻み、翌年お堂を建てたのが清水寺の創建になります。」

およそ1200年前の大同元年(806)に創建され、1200年以上の歴史を持つ清水寺。長い歴史の中で、焼失と再建を繰り返してきたと言います。

「源平合戦のころには、平家の落人を清水寺が匿ったことで、追っ手によって焼かれてしまっています。また戦国時代には龍造寺隆信によって焼き討ちにも遭っていますが、江戸時代に入って、柳川藩主の立花宗茂公によって再興されました。それ以来、柳川藩の祈願寺として大切にされてきました。」
何度も焼失をしながら再建されてきた背景には、人々の篤い信仰があったとご住職は話します。

「平成の初めに水害にあった際にも、復興のための援助を募ったところすぐに集まりました。本当にありがたいことです。庶民救済のための仏教を目指した伝教大師の願いが受け継がれているように思います。」
現在の本堂は大正時代に火災に遭った後、昭和初期に再建されたものです。創建当初も火災によって失われてしまい、現在の御本尊は昭和50年に仏師の松久朋琳・宗琳親子によって作られたものだそうです。御本尊は秘仏で、厨子の中に収められており、普段はお前立ちの観音さまが私たちを迎えてくださいます。

「毎年8月9日の夜観音では、ご本尊をご開帳しています。約5mのとても大きなお像で迫力がありますよ。」
御本尊の前で般若心経を唱えてお参りさせていただき、本堂を後にしました。

山内には他にも、本堂の横には阿弥陀堂があり、参道沿いには延享二年(1745)に第六代柳川藩主、立花貞則公によって再建された山門(福岡県指定文化財)や、同じ時期に人々の寄進によって建てられた仁王門などの建物がありました。どのお堂・門も周りの緑に照らされていて、小雨の中だったこともあり境内は幻想的な雰囲気に包まれていました。

参加大学生の感想

 自然豊かな境内を巡っていると、五感が研ぎ澄まされていって自分の中の感受性が豊かになっていくような感覚になりました。
今回はお寺のことだけではなく、空の思想のことや、伝教大師の魅力についてもたくさんお話いただきましたが、それが自然と心の中に入ってきたのは、清水寺のこの素晴らしい環境があってのことであると思います。
伝教大師の創建以来、1200年に渡って祈りの歴史が繋がれてきた背景には、権力者だけではない、一般の人々の信仰があってのものだとご住職はおっしゃっていました。たくさんの人々を引き寄せて、心を清らかにしてくれる。そんな力がこのお寺にはあるのではないかと感じました。

(文・京都大学大学院2回生)
清水寺
〒835-0003 福岡県みやま市瀬高町本吉1119−1