いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
大宰府政庁初代長官が創建した筑紫野市の古刹「武藏寺」を訪ねる
福岡県筑紫野市に位置する「武藏寺(ぶぞうじ)」は、7世紀半ばに大宰府政庁の初代長官である蘇我日向臣身刺によって建立された寺院です。菅原道真が無罪を訴えた天拝山や経塚があり、多くの人々が篤く信仰し、現代にまで積み重なりながら受け継がれている寺院であることを感じることができます。今回案内していただいたのは、井上隆照住職です。
武藏寺の歴史


「この付近には太宰府の観世音寺をはじめ多くの古代寺院がありましたが、多くは廃寺となっているので戦乱や廃仏毀釈の中よく生き残った寺院であると思います。それにはそれぞれの時代の守ってきた人々のおかげであるのだと強く感じます。それは宿命のようなもので、このお寺を無くしてはいけない、壊れたものも直し私たちの支えとしたいという数多の人々の力が伝わり、この武藏寺が存続され今に継承されてきているのだと感じています。」
武藏寺縁起と伝説

境内には藤原の名がなくなることにちなみ「藤」を植えたため、1000年を超える樹齢の藤の木が生えています。藤が咲く間はお寺も同時に栄え、民たちもともに安穏に過ごせるようにと願いが込められています。今でも毎年藤祭りが行われますが、これは創建を祝う祭りでもあります。明治時代にはこの藤の木を見に訪れた五卿の1人である東久世通禧が
~ふじなみの はなになれつつみやびとの むかしのいろにそでをそめけり~
と詠っています。」
「縁起の物語では、この地域に火の玉が飛び回るということから始まります。虎麿は、民衆の安寧を守るために弓矢を持ち火の玉を退治しに行き、仕留めました。その夜、夢枕に十二神将の一人、摩虎羅大将が現れてこう言いました。『弓矢で射た火の玉は、薬師如来の宿った霊木の精である。火の玉となったのも薬師如来の縁によるもので民衆を救い導くためなのだ。その霊木で薬師如来・十二神将像を造り、お堂を建てなさい。』
翌朝仕留めたものを確認すると、椿の木に矢が刺さっていました。虎麿は夢枕のお告げ通りに急いで京都から仏師を呼び、霊木から薬師如来・十二神将像を造らせ、堂宇を建てたことが起源とされています。」
「三幅目には、現代と同じく疫病が流行し、虎麿の娘が病に侵されてしまったため、お薬師様の夢のお告げにより二日市温泉を発見し、そのお湯に浸からせるとたちまち病気が治ったことが描かれています。今は二日市温泉と呼ばれているのですが、以前は薬師湯と呼ばれていました。」
翌朝仕留めたものを確認すると、椿の木に矢が刺さっていました。虎麿は夢枕のお告げ通りに急いで京都から仏師を呼び、霊木から薬師如来・十二神将像を造らせ、堂宇を建てたことが起源とされています。」
「三幅目には、現代と同じく疫病が流行し、虎麿の娘が病に侵されてしまったため、お薬師様の夢のお告げにより二日市温泉を発見し、そのお湯に浸からせるとたちまち病気が治ったことが描かれています。今は二日市温泉と呼ばれているのですが、以前は薬師湯と呼ばれていました。」
本堂のお薬師さまと十二神将像

「本堂は400年前ほどの建物で、平成5年に改修が行われました。祈願寺であったため、元より小さいお堂でした。改修の際に広げられた部分には、多くの人々に般若心経を書いていただいた板を天井にはめています。それによりお堂に入ることでお経に守られ、仏教に守られ、お薬師さんに守られているようで、お堂入っただけで心が清まるとなっています。
元の堂宇の部分は以前のまま残され、そこには詩が書かれています。修理が行われたときに、江戸時代の落書きが見つかり「小工」と記されていました。建物を建てる人として「大工」は知られていますが、大工だけでなく小工もいたようですね。」
元の堂宇の部分は以前のまま残され、そこには詩が書かれています。修理が行われたときに、江戸時代の落書きが見つかり「小工」と記されていました。建物を建てる人として「大工」は知られていますが、大工だけでなく小工もいたようですね。」



境内に残る祈りの痕跡「経塚」
「このお寺には経塚が発見されました。出土した経筒には寛治八年(1094)の銘が書かれているものも含まれていました。こういった出土品を見ても武藏寺の歴史の深さを感じますね。経塚は武藏寺の山の頂上は残されており、海抜100ⅿほどあります。山の高い場所から、仏の力が大きく広がるようにとの思いが込められていたのだと思います。経筒の数点には母の供養のためと書かれ、髪の毛が入っているものもありました。経筒には経典を収める意味合いだけでなく、供養の願いを込める意味もあったようです。経塚から出土したものは今は筑紫野市歴史博物館へ寄託されています。」「近くには菅原道真が冤罪を訴えた天拝山があります。800年ぐらいは天判山という名でしたが、道真がこの山で天を仰いだ山として天拝山なりました。またその際に身を清めるために使った「紫藤の滝」もあります。道真がこの大宰府に流されてからの書物を読ませていただいたのですが、ほとんど悔やみ節でした。その時代に翻弄され京都に帰りたい、私は無実だということを辛抱強く訴え続けた辛かった2年であると思います。そういった2年であったから天拝山があり、武藏寺に訪れた足跡があるのだと思います。」
参加大学生の感想
武藏寺の創建が7世紀の蘇我日向臣身刺まで遡る歴史を持っていることを聞き、驚きました。また平安時代後期の経塚から多くの貴重な品
が出土していることを聞き、この地が多くの人々に長い間脈々と信仰され続けてきた年月を感じることができ考え深かったです。
が出土していることを聞き、この地が多くの人々に長い間脈々と信仰され続けてきた年月を感じることができ考え深かったです。

(文・奈良大学文学部4回生)
武藏寺
〒818-0052福岡県筑紫野市武蔵621
〒818-0052福岡県筑紫野市武蔵621

人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います