1200年自然の生命力に守られ続ける「千葉山智満寺」を訪れる
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探訪「1200年の魅力交流」

1200年自然の生命力に守られ続ける「千葉山智満寺」を訪れる

2022年10月22日 訪問
静岡県島田市にある智満寺は、源頼朝公が手植えしたとされる「頼朝杉」が樹齢800年を超え守られてきた(※2012年に自然倒木)寺院として知られています。不思議な力を宿した山を守り続ける、北川教裕ご住職にお話を伺いました。
「こちらのお寺は、771年(宝亀二年)に広智菩薩さまによって開かれたと伝わっています。栃木県の大慈寺第二代住職だった広智さまが、東海道を歩かれている際、雲のたなびく不思議な山の頂を見て、あの山には何かあるに違いない、と登ってこられました。すると、千手観音像が現れてお告げを言われたそうです。そこで広智さまはこの地にお寺を開いたわけです。」
「この地域は東海道沿いで、武士などいろいろな方が往来していました。源頼朝公も伊豆から挙兵する際に武運長久を祈るためにおまいりされて、杉を手植えしたといわれています」
「その後、大願を成就された頼朝公は配下の千葉常胤を普請奉行としてこの地に派遣されました。その常胤の功績を称え、「千葉山」という名前がついたそうです。駿河で一番大きな伽藍を備えたお寺だったので、この地域を治めた今川氏や徳川家康などからも大事にされたようです。本堂も家康が建てたそうです。家康は源氏を名乗っていましたので、頼朝公の伝説を意識したのかもしれませんね。」

「このように、さまざまな方から守られて続いてきたお寺だからか、非常に不思議なことが多く起こるのです。例えば、私は元三大師さまに日々線香を上げてお勤めしておりますが、線香の燃え残りが消えてしまったことがありました。また、台風で杉が倒れてしまったことがあったのですが、近くにある吉祥天さまのお像をまったく傷つけないようにギリギリで止まっていました。とにかく不思議な力があるなあ、と感じるのです。」
私たちがこちらを訪れたきっかけも、大慈寺さまにご紹介いただいたことと、別の方より頼朝公像作製に関するお話をうかがったことが偶然重なってのことでした。
「そういう不思議なご縁が、智満寺はみんなつながってしまうのですね。」

本堂(国指定重要文化財)

茅葺屋根が印象的な本堂は、天正17(1589)年に徳川家康が建立したとのこと。内陣に特別にお通しいただけました。
「こちらが頼朝杉からお造りした弥勒菩薩像です。3年ほどかかったでしょうか。本来、杉というのは彫刻にも向かないそうですが、樹齢800年もある木ですので木目が詰まっていて立派に弥勒菩薩さまのお姿に形を変えられました。」
「弥勒菩薩というのは未来仏ですので、杉としては命が終わっているけれど未来永劫残るようにという想いをこめました。みんなから愛された杉で、お寺のシンボルでもありましたから、何とか残したかったのです。」
「頼朝杉は中に空洞があって、じきに倒れるだろうというのはわかっていたのですが強い台風にもじっと耐えて残っていたのです。倒れたときは本当に静かな朝で、まるで武士が自分の死に場所を誰にも見せないかのようでした。そんなエピソードを仏師の江里先生にお伝えしましたところ大変感動されて、こちらにいらっしゃった時にも感じるものがあったようです。截金の装飾も見事ですよね。まだ杉が生きているかのように思えます。」

「ご本尊のお前立ちは江戸時代のものと言われています。これも珍しいと思うのですが、雲に乗って浮いているような造りになっています。」
「元三大師さまのお像は平安時代か、鎌倉時代か。比叡山の焼き討ちの際に運ばれたと言われていて、文化庁の方も重要文化財級と言っておられました。今は県の指定を受けています。」

「開山の広智さまのお像がこちらです。江戸時代かと言われていますが、修繕の時にきれいに塗装しました。後ろには千手観音さまの眷属二十八部衆です。かつては普通に置いてあったと思うのですが、スペースの関係でしょうか、変わった置き方になっています。ご本尊横の仁王像も重要文化財級のもののようです。」
次々と貴重な、他では見られない文化財をご紹介くださいました。


駿河一の規模を誇り歴代の有力者に守られたことが、残っている文化財の数の多さ、種類の豊富さからも窺えます。

山門

続いて修繕中の山門を特別に見学させていただきました。
15年に一度は修理の必要があるそうです。葺き替えの様子を間近に見られる機会はなかなかありません。軒下の構造なども興味深く拝見します。葺き替えのための材料は地域の方の協力により智満寺でとれたものを使っているそうです。

葺き替えも若い世代への伝承が必要な技術です。「けっこう若い方が作業されています。葺師の数も少なく、全国を回っているんだそうです。」

薬師堂

つづいて、同じく改修中の薬師堂へご案内いただきます。
「こちらは建物と中のお厨子が県の文化財です。建物は江戸時代初期のものではないかと思います。」手を合わせたあと、こちらも工事中の足場へ特別に上がらせていただきます。
すると、薬師堂の裏手が眺められますが、一か所だけ木が少なく、明るい場所があります。

「ここから杉の根元の部分が見えますね。これが頼朝杉です。倒れる時にお堂をかすめてもおかしくなかったけれど、違う方向へ倒れていきました。」

足場を降り、根元の残る場所へ近づきます。根元だけでも存在感があり、思わず手を合わせたくなる佇まいです。
最後は険しい山道を登り、奥の院へお詣りしました。頼朝杉を含めて、樹齢の古いと思われる十本の杉がかつて国の天然記念物に指定されていました。それぞれに名前がついています。頼朝公がお手植えされたと言われる「よりとも杉」、普請奉行であった千葉常胤の名前がついた「つねたね杉」、広智菩薩のお手植えとされる「開山杉」など、ご住職は険しい山道を登りながら、自分の家族を紹介するかのように教えてくださいました。

参加大学生の感想

智満寺は自然の力を感じるお寺だったと思います。背が高く雄大な本堂や茅葺き屋根が美しい堂舎の景観も、自然と調和していて山と寺とが一体になっているように感じました。山 を登っていって天然記念物に指定されている杉の大木を見たときには、自然の力強さに圧倒されるとともに、このような大木が大事に残されているのも、絶えず人間が関わってきた 歴史があったからなのではないかと感じました。人間と自然、信仰の三者の関わりについて、改めて考えさせられました。

 今回の訪問では、太古から受け継がれている人々の自然に対する祈りが智満寺の境内にあふれていることが印象に残っています。特に、本堂から奥之院までの山中に林立する杉の巨木群「十本杉」の前に立つと、自然の雄大さや畏怖の感覚を覚えると同時に、智満寺の千年以上の歴史を、杉の巨木が私たちに語りかけているような心地がしました。そして、数百年前に生きた人々と同じ空間に私たちが入り込んだような、普段の日常とは隔絶された不思議な感覚を感じたことを覚えています。このような感覚を覚えたのは、現在に至るまで智満寺が位置する山全体が祈りの対象として様々な人々から信仰され、大切に守られてきたからこそだと感じました。

 バスでは上ることができない細い山道をタクシーに乗り換えて進んだ先に、大きなお堂が急に現れその立派さに大変驚きました。弥勒菩薩像は素地に截金が細かく施されとてもきれいでした。源頼朝が植えたとされる頼朝杉を用いて造られたそうですが、本来、杉材は木目の幅が大きいため仏像を造る際には向かない材だと理解していました。しかし、この像はきれいに木目が詰まっており、杉材であることが不思議なようにも感じました。頼朝杉は、倒れて木としての命はその時点で終わってしまったのですが、「頼朝の思いを後世に伝える」という使命から、木自身が仏像に適するような材に成長し、仏像という新しい命を授けられて、これからも生きていくのだと思いました。

京都や奈良でもあまり見かけないような珍しい文化財を特別に拝見させていただき心が躍りました。特に、北条政子さんの枕本尊となっていたものを智満寺に寄付したと伝えられる小さなお厨子には感動しました。それだけ源頼朝公や北条政子さんにとってこの智満寺が霊験あらたかな場所であり厚い信仰を行っていたということを伝えているものだと思いを巡らせました。

 本堂の内陣には、十本杉の一つであった頼朝杉から造立された弥勒菩薩坐像が安置されています。このお像は、「頼朝杉に込められた、時代を超えた様々な人々の気持ちを未来へ受け継ぎたい」というご住職の願いから造立されました。このお像の前に立つと、頼朝杉がたくさんの人々に愛され、大切に守られてきたか、そして人々の願いや祈りを受け止めてきたのかを代弁されているように思えました。
 山中を巡っている際にしていただいた、「智満寺が位置する山中をただ通りすぎるのではなく、どのような祈りが捧げられてきたのか感じながら境内を巡って欲しい」というご住職のお話が心に残っています。先人達の祈りや願いに思いを馳せ、雄大な自然に向き合うことが美しい自然やそれに密接に関わる日本文化を伝承していく上で重要なことだと感じました。
千葉山智満寺
〒427-0001 静岡県島田市千葉254