いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
岩山の上にそびえたつ観音堂が祈りを伝える「笠森寺」を訪ねる
延暦3年(784)、伝教大師最澄による開基と伝えられる笠森寺。
千年以上の時を経た今もなお、千葉県の岩山の上に観音堂がひっそりと佇んでいます。
山麓の駐車場から階段を5分ほど登ると、参道の途中に子授楠をはじめとする古木が生い茂り、静寂に包まれた境内へと導かれます。
千年以上の時を経た今もなお、千葉県の岩山の上に観音堂がひっそりと佇んでいます。
山麓の駐車場から階段を5分ほど登ると、参道の途中に子授楠をはじめとする古木が生い茂り、静寂に包まれた境内へと導かれます。

頂上にたどり着くと、まず二天門が迎えてくれます。その少し先には売店が軒を連ね、毎年多くの参拝者がこの地を訪れます。

二天門
冬の寒さが和らぎ始める2月中旬、第84世住職を務める小川長圓師に笠森寺をご案内いただきました。
◆十一面観音様の霊地、笠森寺

「岩山の上をご覧ください。こちらが笠森寺の御本尊様をおまつりしている観音堂になります。岩山の上に建つ特徴的な建築様式をしています。笠森寺が開基されたのは奈良時代、この地を伝教大師最澄様が訪れ、楠より十一面観音様を刻み今ある岩山の上に安置されたというのが始まりになります。」

「普通に考えれば、岩山を整地し、そこにお堂を建てたほうが大きいお堂を建てることもできますし、工事も簡単だと思います。しかしながら、このお堂を建てるためにそのようなことは行わず、岩山の上に安置されている十一面観音様をお守りするように建てられています。当時のことを考えると、非常に難しい工事だったのだと思います。」

「近年判明したことですが、この笠森寺は北緯35度23分の場所に位置しているそうです。この北緯35度23分の位置というのは、春分の日に太陽が真上を通る場所なのだそうです。」
「春分の日には、太平洋から朝日が昇り、この笠森寺の真上を通過します。そして東京湾を越え、相模国の一宮である寒川神社の上を通り、さらに富士山の上を通って西へ向かいます。その後、鳥取県の投入堂の上空を通過し、最後は出雲大社の上を通って日本海へと沈んでいくといわれています。」

「この岩山を削ったり崩したりすることは、霊地そのものを損なうことになってしまいます。そのため、岩山を削って平地を造るのではなく、岩山の頂上に立つ十一面観音様をお守りするように、困難を乗り越えて懸造のお堂が建立されたのではないか、そのように推測することもできるのです。」
「また、皆さんが先ほど歩いてこられた森林も、先人たちが大切に守り伝えてきた森林です。この場所は、本州の真ん中あたり、千葉県の中でも真ん中あたりに位置しています。そのため、北の植物の南限と南の植物の北限が重なり、多様な動植物が生息する珍しい森林であるそうです。」
「そして、この地は十一面観音様の霊地であることから、平安時代より木の伐採が禁じられた禁伐林であったそうです。そのため、多くの場所で失われてしまった関東地方古来の森林の様子が残っているのだそうです。このことから、笠森寺の自然林は、昭和45年(1970)に国の天然記念物に指定されました。」
歴史的にどのような経緯でこの建物が建てられたのかという視点に加え、地理や天体の動きに基づく考察も踏まえるご住職のわかりやすいご案内により、困難に立ち向かいながらも岩山の上に観音堂を建てた先人たちの想いの一端を感じることができました。
◆日本で唯一、四方懸造で建てられている観音堂
「観音堂の建築様式は懸造といいます。皆さんが良く知っているのは京都の清水寺本堂ではないでしょうか。清水寺本堂は山の斜面にお堂が張り出すように建てられていますので、『三方懸造』と言われています。ここ笠森寺観音堂は岩山の四方を囲むように懸造になっておりますので『四方懸造』と申します。四方懸造というのは日本で唯一ここだけと言われております。」

数百年、千年と祈りと歴史を支える高い技術力と品質の良い部材に興味を向ける学生たちにご住職が語りかけます。
「観音堂をご覧いただいてお分かりのように、とても太い柱が使われています。当時の時代のことを考えると、当然笠森寺の周りの地域だけでたくさんの太い木材を集めることができないと思います。それでは、どのようにして建てられたのか。その答えのヒントとなるのが、笠森寺が札所の一つになっている坂東三十三観音霊場であると思います。」

「杉本寺から始まり、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県の観音様の霊地を巡ります。そして、最後に千葉県内の霊地を巡り、館山市に伽藍を構える那古寺が最後の三十三番札所となります。房総半島の先にある館山市からは、船で鎌倉へ戻ることができます。昔は今よりも海上交通が盛んでしたから、巡礼を通して関東を一周できるようになっているとも言えますね。」

「後一条天皇の勅願により観音堂が建立されてから、令和10年(2028)に建立1000年となります。昭和33年から35年にかけて、建物をすべて解体して修復を行い、傷んだ木材などは新しいものに取り替え、そのまま使えるものはそのまま使うという方針で大規模な修復工事が実施されました。その際、部材に安土桃山時代の墨書が発見され、少なくともこの時代に再建又は大改修が行われたことが判明しました。」
「もしかしたら、後一条天皇の勅願により建立された平安時代の建物や部材がそのまま残っているかもしれませんし、現在の建物は安土桃山時代に再建された建物であるのかもしれません。まだまだ秘められていることが多く残されていることも観音堂の魅力の一つであると思います。」
盛んな海上交通を通し、多くの苦労を重ねながら修繕や改修が繰り返され、観音堂が長い歴史の中で多くの人々に支えられてきたことを強く感じました。数年後に建立から1000年を迎える建物が、今もなお大切に守られていることからも、人々の深い信仰と、このお堂を未来へ受け継ごうとする人々の想いを体感することができました。

「それでは、観音堂へ歩みを進めましょう。観音堂の高さは約16メートルあります。およそ5階建てのビルと同じくらいの高さになりますので、高所恐怖症の方には少し大変かもしれません。無理のない範囲で、一歩ずつゆっくりと登りましょう。」
観音堂の縁側まで恐る恐る階段を登ります。
その途中、観音堂を支える61本の柱を間近に見ることができました。
「階段から観音堂の下をのぞくと、観音堂を支える柱を間近で見ることができます。懸造の組み方や観音堂が建つ岩山もよく見ることができると思います。」
「この岩山を含めて、笠森寺の一帯の地層は『笠森層』という学術的な名称がつけられています。この笠森層は、風化しやすくさらさらと崩れてしまうという一面があります。観音堂の下は日陰ですから、岩山上の表土が失われやすい場所。表土がなくなってしまうと、観音堂の下の岩山が風化してしまい観音堂も不安定になってしまいます。」
観音堂の縁側まで恐る恐る階段を登ります。
その途中、観音堂を支える61本の柱を間近に見ることができました。
「階段から観音堂の下をのぞくと、観音堂を支える柱を間近で見ることができます。懸造の組み方や観音堂が建つ岩山もよく見ることができると思います。」
「この岩山を含めて、笠森寺の一帯の地層は『笠森層』という学術的な名称がつけられています。この笠森層は、風化しやすくさらさらと崩れてしまうという一面があります。観音堂の下は日陰ですから、岩山上の表土が失われやすい場所。表土がなくなってしまうと、観音堂の下の岩山が風化してしまい観音堂も不安定になってしまいます。」

「これらの保護方法は、岩山の保護を主として施されたもので、どうしても無骨さを感じてしまいますが、近年では岩山の質感や景観を損なわないような方法が採用されています。」
「階段の近く、柱が建つ付近の岩山の表面は、一見すると岩山そのものであるように見えますが、実はモルタルで覆われています。もともとの岩山の質感や色味を調整し再現しており、この技術は、文化財の保護に加えて、遊園地やテーマパークなどでも用いられている技術なのだそうです。」
想像以上に太く大きな柱の迫力と岩山を保護する最新技術の細やかさに圧倒される学生たち。
緊張と期待に胸を高鳴らせながら階段の最上段にたどり着くと、そこには、雄大かつ穏やかな景観が広がっていました。

◆御本尊様とお参りの方々の『御縁』が満ちる観音堂の堂内
「どうぞ中へお入りください。」
ご住職のご案内に従い観音堂の堂内に入ると、そこには内陣から伸びる大きな白い綱が掲げられていました。
ご住職のご案内に従い観音堂の堂内に入ると、そこには内陣から伸びる大きな白い綱が掲げられていました。

『御縁の綱』|お前立観音様の御手から伸びる綱にお参りの方々が願い事を記したハンカチや手ぬぐいを結ぶ。
「こちらにハンカチや手ぬぐいが結んである綱があります。この綱を建物の内側へと辿っていくと、大きなお厨子へ続いていることが分かると思います。こちらの綱は『御縁の綱』と申しまして、お厨子の内におまつりされているお前立観音様の御手から伸びている綱です。この綱にお参りの方々がハンカチや手ぬぐいを結んでいただき、皆様と笠森寺の観音様との御縁を結んでいただく。そして願いを成就していただく。皆様と笠森寺の観音様との御縁を象徴するものです。」
「この『御縁の綱』は一年間の願掛けになります。お参りの方々がハンカチや手ぬぐいにお願いごとを書き、綱に結びます。一年ほどたつと抱えきれないほど重くなりますので、年末にお寺でお焚き上げをしています。」
「それでは内陣へとお進みください。」
お参りの後に内陣を見渡すと、御本尊様がおまつりされているお厨子を中心に、様々な仏様がおまつりされていました。
「この『御縁の綱』は一年間の願掛けになります。お参りの方々がハンカチや手ぬぐいにお願いごとを書き、綱に結びます。一年ほどたつと抱えきれないほど重くなりますので、年末にお寺でお焚き上げをしています。」
「それでは内陣へとお進みください。」
お参りの後に内陣を見渡すと、御本尊様がおまつりされているお厨子を中心に、様々な仏様がおまつりされていました。

観音堂内陣
「中央のお厨子の内に笠森寺の御本尊様である十一面観音様がおまつりされています。通常は秘仏としてお姿を直接お参りいただけないのですが、丑年と午年の秋の一か月間のみ御開帳を行います。丁度今年、2026年は午年ですので、今年の10月に御開帳を予定しています。ぜひお参りくださいね。」

「また、御本尊様は特徴的なお姿をされています。お厨子の扉の前のお前立の観音様をご覧ください。よくご覧いただくと、腕が四本ありますね。このような特徴を四臂(しひ)と申します。四臂の観音様は全国的にも珍しいそうですが、千葉県内にはいくつか四臂の観音様がおまつりされているそうです。」
「先ほどお伝えした観音堂の解体修理の際に、御本尊様の修復や調査も行われたそうです。その際、御本尊様の背中側に室町時代の仏師の方のお名前が残っていたとも聞いています。」

「観音様に願うことは人それぞれございます。受験の時期になれば合格祈願に来られる学生さんもいらっしゃいますし、子宝や安産祈願にお参りに来られる方々も多いです。正月になれば厄除けでお参りにこられる方々もいらっしゃいます。お参りする方々が観音様とご縁を結び、願いが成就できるようにお寺を守り伝えていくことが住職としての使命であると考えています。」
様々な方々の多様な願いを受け止め続けている御本尊様。
お参りすると、たとえお姿を直接お参りできなくとも、穏やかで優しく包み込んでくださるような温かさを感じました。

ご住職による仏様のご案内は続きます。

「堂内向かって左側におまつりされている仏様は延命地蔵様です。お名前の通り、延命長寿の御利益があるお地蔵様で、室町時代に造立された仏様であると考えられています。こちらのお地蔵様は先々代の住職による復興の後に専門的な修復が行われた仏様です。」
「仏様は室町時代ですが、台座の部分は江戸時代以降のものであるそうです。注意深く見ていただくと、模様や雰囲気が異なる場所がありますね。修復の際にも伺ったのですが、もともと別々の台座の複数のパーツを組み合わせて1つの台座にしているのだそうです。」

「阿弥陀如来様は、現在修復の真っ只中でして、仏師の方々に細やかな修復を行っていただいております。阿弥陀如来様は、慶派の流れをくむ仏師の作と伝えられており、今後の修復の進展により、造立年代や造立した仏師など、秘められている歴史や信仰が明らかになると思います。」
「こちらの薬師如来様をご覧ください。少し頭でっかちで愛くるしいお姿をされていますね。こちらの薬師如来様は修復を終えていません。ですから、詳細な来歴等は不明なのですが、仏像に詳しい方にご覧いただいた際に、おそらく地方の仏師さん又は笠森寺のお坊さんが造立した仏様ではないかとのことでした。今後の修復により詳しい来歴が判明するかもしれませんね。」
御本尊様の周囲には四天王様、御本尊様の背後には三宝荒神様がおまつりされていました。
様々な仏様のお姿を通し、笠森寺で多様な信仰が育まれてきたことを垣間見ることができました。
◆お寺をいかに将来へ伝えていくか

「この提灯が表しているように、笠森寺はいつの時代も信者の方々や地域の方々に支えられて伝えられてきたのだと思います。」
「伝教大師以来、笠森寺は1200年以上の歴史があるお寺です。私は84代目の住職ですが、1200年のお寺の歴史を考えた時に、住職一代の歴史は紙切れ一枚くらいしかありません。ですから、どんなにお坊さん1人が頑張っても限界があると私は思います。やはり信者さんや地域の方々とともに皆で力を合わせて『お寺を伝えていこう』とならなければ、これから先お寺を伝えていくことは難しいと思います。」

ご住職ご自身のお寺を将来へ残していこうとする強い思いや考えに、学生たちの眼差しにも熱がこもります。
「笠森寺には歴代の住職方が行ったことを記した『住職記』が伝えられています。この記録を紐解いていくと、笠森寺の1200年の歴史は、歴代の住職方が笠森寺を維持するとともにアップデートし、未来へ引き継いだ歴史であると思います。」
「歴代の住職方の志や想いが代々引き継がれてきたなかで、私の代では何ができるか。私の代では、仏像の修復に取り組んでいます。しかしながら、全ての仏様の修復を終えることはおそらく私の代だけでは難しいでしょう。住職一代だけで終わることのないからこそ、歴代の住職方の志や想いが、次の代、そのまた次の代へと引き継がれていくのだと思います。」

「例えば、笠森寺で一番怖いことは火災です。先ほどお話したように、御本尊様はお厨子よりも大きなお姿をされていますから、観音堂を解体せずに運び出すことはできません。つまり火災が発生してしまうと、全てが失われてしまいます。さらに、笠森寺は山の上にありますから、消防車が到着するために時間がかかります。」
「ですから、笠森寺では、住職である私を防災長として、消防団の経験のある10名で自営消防団を結成して、火災に備えています。観音堂の防災設備による消火とともに消防署や消防団の方々と連携・協力して消火できるように訓練を行っています。」

「笠森寺の歴史をふまえると、笠森寺は一山形式といって、坊や院という複数のお寺から構成されているお寺でした。最盛期には30の坊が存在していたとされており、多くのお坊さんが修行に励んでいたと伝えられています。しかしながら、戦乱や天災など様々な要因により廃絶してしまう坊もあり、現在は2つの坊が残るのみです。」
「どのようなお寺であっても、良い時もあれば悪い時もある。これをどのように乗り越え、お寺を後世へ伝えていくか、このことを日々考え続けていくことが大事なことであると考えています。」
◆参加学生の感想

また、観音堂の内部でお参りさせていただき、特に印象に残ったのは、お前立の十一面観音像です。とても穏やかなお顔立ちで、見ているだけで心が安らぐように感じました。
さらに、ご住職様のお話の中で、将来起こり得る災害に備え、消防団としてのご経験や資格をお持ちであることを伺い、今後も笠森寺を後世に伝えていこうとされる強い覚悟と志に感銘を受けました。
立命館大学 4年
笠森寺
〒297-0125 千葉県長生郡長南町笠森302
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人から人へと紡がれてきた
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